#1 w/t PPL
初投稿なので、当然のような前提について。
何かがうまくいかない時は、おそらく相手がヒトになっていないのだと思う。あらゆる場面の相手をヒトとして再認識すると、本当にすっきりする。
仕事がうまくいかない時、仕事の相手がヒトになっているだろうか。誰のために仕事をしているのか。 人間関係がうまくいかない時、相手を自分とは違うヒトとして接しているだろうか。 目標や夢、理想に喜び、モチベーションが得られない時、目的がヒトになっているだろうか。 人生そのものが上手くいかない時、ヒトと生きているだろうか。
方法より以前に、前提を掘り起こすと、大抵の事はうまく事が運び始める。
例えばうちを業種分けするとメーカーになる。けれど僕は、メーカーとは思っていないし、チームにもその概念を捨ててもらっている。なぜなら、作ることとは、作ることが目的ではないから。その前にヒトの人生を豊かにすることが目的。だから作るのだと。当然のことだけれど、多くのヒトが自然と誤解をしてしまっていたわけで。だからものづくりは、ものづくりは、なんて議論になってしまっていたわけで。これは自分もそうだったんだけれど、目的を研磨することは大切。
うちのメイン商材はジュエリー。宝石は研磨して初めて、皆さんがご存知の輝きを手にする。同じこと。宝石を研磨して美しさを得ることが目的ではない。美しい宝石で、人の人生に彩りを添えることが目的。けれどどうだろう?多くの人は、研磨という工程にこだわる。持つ人によっては、研磨されていないありのままの原石の方が合っていることもあるのに。
人のために。人は誰かでもいいし、自分でもいいと思う。誰かのためであろうと、自分のためであろうと、人と生きる人の目的は純粋そのもので美しいから。僕は比較的誰かのために。といった方が燃えるけれど。
例えばバットマンとジョーカー。本来であればバットマンばかりが憧れの対象とされそうだが、実際には違う。ジョーカーの方が人々を魅了してる。絶対的で純粋な悪だから。どちらも人を相手に生きているから、人々を魅了する。
社会は複雑だし、現代においてはビジネスという一言も複雑極まりない。正直自分は一線で活躍している人たちが使用する言語の9割以上を理解できない。けれどなんとか僕はビジネスをやれている。その理由をこの1年間、本気で考えてみた結果、やはり物事はシンプルだと思った。
ノウハウや知識経験、とても大切だけれど、まずは研磨された目的を獲得することが大切なのではないだろうか。方法は1つではなく無数にあって。けれど人生は一度きり。ならば、人と生きていきたい。
もっとジュエリーを楽しんでもらえたり。これからのラグジュアリーを、さらにエキサイティングに感じてもらえたり。ただ食べて、ただ住んで、ただ着て、ただ寝て起きてなんて人生を望んでいる人なんていなくて。出来事という花達が人生に華やかさをもたらしてる。物やサービスは、そんな出来事のきっかけを作るべきだと思っている。
人それぞれ。多様性こそが生命の素晴らしさであり、生命の集合体である社会もまた、その多様性こそがアイデンティティ。だからビジネスにルールなんて必要なくて、マニュアルもいらない。一緒に働くチームやパートナーがそれぞれの多様性を尊重して刺激し合える関係であれば嬉しい。お客様もまた、それぞれ自分の色を持っているから、商材やサービスにも柔軟性をもたせる。それでいいと思う。