見出し画像

よめいり どうぐ



 『身、ひとつでいらっしゃい』

 あのかたが、そうおっしゃったような気がして、その意味を考えている。いつ、そう感じたんだったか。

 きのう、教会で、牧師の説教を訳していたときだろうか。あのとき語られていたのは、希望について。あのかた、つまりキリストが、わたしたちの希望。キリストがいるかぎり、いつだって希望がある、どんな状況にあろうとも。そんな話し、それがどう繋がっているのかしら。

 ―身、ひとつで、ねえ。

 そういえば、嫁入り道具という言葉も、もう廃れた。

 夫の母は、それらしき大きな衣装箪笥を持っていたりするけれど、そう年の変わらぬうちの母なんかは、趣味の合わない家具なんていらない、と拒絶して、作ってもらわなかったんじゃなかったかしら。

 娘のわたしも、成人式のときに、振り袖はいりませんから、代わりにわたしをこの夏もアメリカに送ってくださいませ、と頼んだ記憶がある。そんなんだから、嫁入り道具などと大仰なことは、とっくの昔の慣習だと認識していた。

 結婚したときの荷物は、細々とあったけれど、よく覚えているのは、大量の本。引っ越し業者なんか使わないで、夫の車で運んでもらった。本といったって、わたしの本はほとんどが文庫本で、量があるだけだ。あとは結婚してから、毎週のように、ふたりでイケアやニトリに通い、生活を営むためのものを買い揃えた。

 曾祖父の日記に、わたしの祖母の結婚仕度のことが書かれていた。戦争に負けて、まだ数年のこと、曾祖父は故郷の会津で、余生を過ごしていた。祖母は高等女学校を終えたのち、沼津の長姉のもとで、家事手伝いをしていた。カトリック教会でオルガンを弾いていたところを、祖父に一目惚れされて、結婚が決まり、お別れのため、会津に里帰りした、そのときの記述。

 昭和二十四年 八月十八日 
 昭子に指輪、ルビー、ブローチ、小笠原桑の置物(菓子入)、硯、水入れ、道八箸立て、コケシ、ヴェルダン記念灰皿、ほかにラヂオテキスト二ヶ月分として百円贈る。
  
 曾祖父は、ながく信州上田に暮らし、終戦直前になって、会津に引き揚げた。そのとき家財を載せた貨車だけが、経由先の長岡で、空襲にあって焼失してしまった。だとしても祖母の嫁入り道具は、さすがにこれだけではなかったろう。いくらなんでも着物や家具が、あったと思う。

 けれど戦後すぐの厳しい時代に、畑を耕し、ほそぼそと英語や仏語を教えながら暮らしていた曾祖父が、嫁いでゆく娘に贈った、こころづくしの餞別だったろうとおもうと、この雑多な品々の記述はいとおしい。それにしても、なんでコケシ。

 ―そう、あのかたの話しをしていたのに。

 亡くなる数日前、祖母は「いつくしみふかき友なるイエスよ」という歌のことばに、その存在のすべてを懸けるように頷いていた。もう言葉は発せなくなっていたので。あのときわたしは、ただそこに漂う、目には見えない雰囲気で、いま祖母とわたしは同じものを信じているのだろう、と感じた。ひとあし先の、ヴェールの向こう側にいた祖母は、そちらの領域で、すべての悟りを得たらしかった。祖母はその悟ったことを、お別れに、わたしに伝えていこうとした。よくそのことを、思い出す。

 ―そう、そう、身、ひとつで。

 キリストが、身ひとつで、とおっしゃるとき、わたしはなにを、置いていけばよいのだろう。たぶん、じぶんで完全を目指せる、という驕りだとか、プライドだとか、肩書だとか、神さまからしたら下らない、人間のいろいろ。

 でも、それだけじゃない。空っぽになること、みずからが衰えること、それはずっと、神さまに言われてる。なんでだろう、いまおっしゃっていることは、なんだかそれよりも、どきどきすることのような気がする。

 ―あの、歌かしら。

 教会にむかう車のなかで聴いていた、All sons & daughters というアーティストの、クリスチャンミュージック。のんびりしたテンポのアルバムで、結婚式のBGMに流したくらい、ずっと好きな音楽。なのに昨日、その一曲の歌詞が、とつぜん開いて、わたしのなかに響いた。
 

 「あたらしくなれるのなら、
 あたし、馬鹿にだってなるわ
落ちぶれたって
笑いものにされたって
向こう見ずに、向かっていくわ
あのかたの もとへ」


 そう、そんな歌を聴いていて、それで牧師が希望について語ったときに、湧いてきたのかもしれない。身、ひとつで、向こう見ずに、あのかたのもとへ飛び込んでいくような、イメージが。
 
 ―希望。

 時として、わたしたちは希望を失う。追い詰められて、魂の闇のなかに、たたずんでいる。わたしたちの手のなかに、あげられるものは、なにもない。なのに、希望が、わたしたちの混沌に、手を差しのべてくださる。

 『身、ひとつでいらっしゃい』

 そう、やさしい声が、ささやく。駈け落ちみたいに、身分違いの恋みたいに。竹行李さえ用意出来ないわたしを、ただそのまま、みうでに抱きとってくださる。

 こんな嫁入仕度では、とか、わたしの器量は、とか、釣書きが、だとか、そういう前時代的なすべてを、あのかたは笑ってらっしゃって、ただ、わたしの心、あなたの心だけを、ずっと求めておられるのだと。

 生きることは、だんだん透明になってきて、靄が晴れて、はっきりと、あのかたを、わたしの心に、感じられるようになってきた。

 ―恋に落ちれば、ねえ。
  



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?