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パリじゃ収まらない 『レバノン』

レバノン。ゴーンさん、今頃どうしてるでしょうか。行ったことのある方は少なくとも、ゴーンさん事件なり、15年も続いた内戦なりで名前を聞いたことのある方は多いと思います。これらの影響からか、日本からはマイナスな印象を持たれることが多い気がしますが、実際に訪れるとその印象は大きく変わります。 レバノンは首都ベイルートの街並みの美しさから「中東のパリ」と表現されることが多いですが、それはごく国の一部の話。都市の一部のイメージだけで国の全てのイメージを「パリ」という単語だけで片付けられてしまうのがもったいないほど、魅力溢れる国でした。

レバノンは、西を地中海に面し、北、東にシリア、南にイスラエルという場所に位置する中東の小さな国です。これだけ聞くと危なそうな印象がありますが、外務省の危険度はベイルート周辺で1と、十分観光が可能なレベルです。テロ等の危険性がゼロではないとのことですが、実際滞在中は危ない雰囲気を感じたことはなく、むしろ人の温かみから安心感すら感じました。また、レバノンは中東で唯一砂漠を有さない国としても有名です。

レバノンは基本的に物価が高めで安宿業界もあまり発達していません。いつもはBooking.comで良さげなゲストハウスをささっと予約してしまうのですが、レバノンでは全く見つからず、普段はあまり使わないAirbnbに手を出しました。当時最安値で一泊4000円ほど、1ヶ月以上の貧乏学生珍道中の序盤で訪れたこともあり、そう長く滞在しては破産してしまうため、泣く泣く3泊の短い日程です。しかしながらこの宿の飼い猫ピウちゃんは最高にナイスキャットで、最終日は観光そっちのけで半日間ずっと一緒に遊んでいました(動画しかなかったのでピウちゃんは割愛)。写真はベランダからのナイスビューです。

冒頭で書いたようにベイルート中心部は「中東のパリ」と呼ばれるほど美しい街並みで、写真のエトワール広場周辺にはガンガンハイブランドのショップが並びます。そんなこの場所も70年代から15年間にも及んだ内戦時には壊滅的被害を受けたそう。空港に戦後直後と現在のビフォアフター写真がありましたが、懸命な復興作業によって今の街並みを取り戻したと思うと本当に頭が下がります。すごいぜレバノン。

しかし場所によっては内戦の傷跡が生々しいほど残されており、街中をただ歩いているだけでも考えさせられることが多かったです。

ここは観光地としてはマイナーなベイルート・アメリカン大学(American University of Beirut)。中東屈指の名門大学であり、建築家ザハ・ハディドが学んだ場所としても有名です。彼女の建築見たさに高校の卒業旅行先に香港(香港理工大学のジョッキークラブイノベーションタワー)を選んだほど彼女の大ファンの自分は、最高にロックでパンクでザッハな時間を過ごすことができました。セキュリティが厳しくふらっと入ることはできませんが、受付で書類を記入し、パスポートを預ければ入れていただけますよ。

人口の36%がクリスチャンが故、アラブ世界とは違ったオープンな雰囲気が漂うという話からもわかるように、他の周辺諸国に比べてイスラム色の薄いレバノンですが、他の中東諸国同様、巨大なモスクもあります。このムハンマド・アーミン・モスクは青い屋根が映える非常に美しモスクで、自分がこれまで歩んできたモスク巡り人生の中でもトップクラスに感動した内装でした。

ベイルートで街並みや大学、モスク以上に印象に残ったのが現地の人々です。東洋人観光客が珍しいからか、カメラをぶら下げて歩いていると、現地の方々がオープンに声をかけてくれ、もれなく「オレを撮れ祭り」が開催されます。普段訪れた各国で現地の方のポートレートを撮らせてもらいたいと、常に許可を取る・仲良くなる手段を模索している自分にとって、自分からオープンに撮影をお願いしてくれる国は大好きで仕方ありません。しばし「むしろこっちから写真を撮らせてくれとお願いしたいくらいなのに、逆にお願いされちゃった挙句、撮ってくれてありがとうと感謝されているオレ」に酔います。

ちなみこの彼は英語を話せなかったこともあり撮影中はわからなかったのですが、半強制的に交換させられたFacebookから、彼は内戦中の隣国シリアから逃れて来た方だと知りました。この先の旅程でも度々シリアからの逃れて来た方々に遭遇し、現地の悲惨な現状を沢山聞かされました。現在22歳の自分の一回り上の世代の旅人にとってシリアという国は、世界一周や中東巡りにおいて訪れるメジャーな国だったそうです。不安定な中東情勢におけるたった数年の重みを感じさせられます。

ベイルートの海は、ぼーっと眺めているとウミガメが度々息継ぎをしに顔を出すほど綺麗です。砂浜はほぼありませんが、イケイケベイルートガイズは岩の上で肌を焼き、釣りをし、泳いで夏の海を楽しむようです。自分も水中でタートル・トークがしたかったのはやまやまですが、水はあまり好きでないので岩の上で30分ほどウミカメの息継ぎを暖かい目で見守っていました。

ちなみにベイルートはかなり広い挙句、公共の交通手段が発達していません。バスや乗合タクシーなどがあるものの、短期滞在ではとても把握しきれず、(ログインの問題でウーバーも使えず)タクシーは高額なので全て徒歩移動で強行しました。そのため、これまで上で挙げた場所は全て同じ日に訪れたのですが、当日の総移動距離は33km(全て徒歩)でした。こんなに疲労しても嫌いにならないほどの魅力がベイルートにはあります。

次の日に訪れた都市がレバノン第2の都市トリポリです。あまり順位はつけないようにしているのですが、恐らくこれまで訪れて来た数多く都市の中で最も好きな都市だと思います。

分かりますでしょうか、この旧市街に漂うノスタルジックな雰囲気。そもそも観光地としてはあまりメジャーでないトリポリにある旧市街ということもあり、観光っ気など一切ないローカルすぎる路地が迷路のように張り巡らされています。ローカルすぎるものの、東洋人若年一人旅人が踏み入れてはいけないような硬い雰囲気は一切なく、むしろ温かみすら感じられるような場所です。潮風で風化したような味のある路地にも活発な人の行き来や生活感があり、そのギャップもトリポリ萌え萌えポイントです。路地中で目にする表記はほとんどがアラビア語でアルファベットを見つける方が難しいほど。しばし「異国で迷子になっちゃってる状況すらも楽しんじゃってるオレ」に酔います。

細い路地を抜けるとすぐ海につながっており、旧市街全体で磯の香りを感じられます。水着で遊ぶ人が多いオープンな雰囲気も、イスラムが主流の周辺諸国とは異なるところでしょう。70kmほどしか離れていないにも関わらずベイルートよりも圧倒的に海が汚いことすらトリポリ萌え萌えポイント2に思えてきます。

人の良さや気さくさはベイルートと変わらず、むしろベイルート以上に感じられました。「オレを撮れ祭りvol.2」が開催されたことは言うまでもありませんが、写真を撮ってくれたお礼にと、子どもたちは自分のお菓子を分けてくれたり、お店を経営している大人たちは自分の店のコーヒーやケバブをご馳走してくれたりと、ホスピタリティの宝石箱や。写真を撮っていてこんなにも幸せを感じられることは、と新調したカメラに感謝の気持ちでいっぱいです。目玉となるようなインパクトのある観光地はありませんが、自分が心の底からオススメできる土地です。きっとあなたの感染症に振り回されて汚れてしまった心も漂白してくれることでしょう。

車に乗ったおじさんからは「ウェルカムトゥーレバノーン」と謎のミドリをいただきました(宿のピウちゃんが気に入ったようなので置いて来ました)。思い返せば着ベイルートの飛行機内でも、仲良くなった隣の席のレバノンの女性からライターをいただいたりと、レバノンの方にはいろいろいただきました。

その後しばらくの間、ミドリを片手に現地の方々に洗われた心を踊らせ、キラッキラした瞳で街を見回しながら、ぶらり撮影を続けました。

本記事を通して、マイナスな印象を持たれがちなレバノンに対して何かしらプラスの印象を持っていただけていたら幸いです。「ベイルートの一部のみの印象から『中東のパリ』という言葉で片付けられがちなレバノンですが、パリのような街並みだけでなく、むしろそれ以上に様々な魅力に溢れた国です。」などと偉そうにまとめに入っている自分自身、訪れることができたのはこの2都市のみで、他の観光地として有名な古代フェニキアで有名なビブロスや、中東のスイスなどと呼ばれる山岳地方には足を伸ばせていません。人の温かさやオープンな雰囲気に心打たれたミ・アモーレレバノンは、きっと自分が思っている以上に「パリ」では収まりきれない様々な魅力溢れる国なのだと思います。コロナ後のリベンジを楽しみに待ちます。

Camera: SONYα7Ⅲ, OLYMPUS PEN F(フィルム)

Lens: Voigtländer Nokton 40mm F1.2 Aspherical, OLYMPUS F.Zuiko 38mm F1.8

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