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適応障害でクシャクシャになったわたしを救った「3つ」の考え方


「クシャクシャになった紙は元に戻らないから、イジメは絶対にダメなんだよ」というショート動画を見ました。

イジメとは違いますが、鬱状態だった自分を振り返ると
「クシャクシャ」だった気もするし
「燃え尽きる寸前のカス」だった気もします。

いずれにせよ
「もう戻れない」
「なんでこんな人間なんだろう」
「死にたくはないけど生きていたくもない」

こんなことばかり考えていました。

そして程度の差はあれ、どの精神疾患も似たような感情・思考を辿るのかと思います。


そんなわたしですが、今は前向きに生きています。

このnoteでは
「この考え方が出来るようになったから、今、わたしは前を向いている」
というものを、いくつか挙げたいと思います。

わたしの体験談が、メンタル疾患の方の役に立てば嬉しいです。
3,000字超と少し長いですが、お付き合いいただければ幸いです。

メンタルを取り戻す前に


どの精神科の先生も
「まずはしっかり休むこと」
と言っています。

休んでいるうちに
「あれ、前に進めるかも?」
という瞬間が来ると思います。

わたしの場合
「光が見えたと思ったらドン底に落ちていく」
を何度も繰り返していました。

次第にプラスの時間が長くなり
マイナスの波が現れにくくなりました。

なので、まずは休むこと。

これから書くことも
「自分の頭で考えられるくらいには元気」
という前提で書きます。


大切だった3つの考え方


色々な本を読んだり、試行錯誤をしましたが
わたしにとって重要だったのは、まとめると次の3つでした。


70点でいい


療養中はほとんどの物事に対して
「不満足」
「失敗」
「過去に戻りたい」
「やり直したい」
という感情を持っていました。

回復傾向に入ってからも
「もっと〇〇だったらよかった」
「もう取り返せない」
と些細な事から足りないもの探しが始まる。

頭では「よくない」とわかっていても、やめられませんでした。

今は、何かに反応する際に
「これって何点?」
と頭の中で考えるようにしています。

60点なら合格
70点なら十分
80点以上なら素晴らしい


不満や不安を感じた際は
「これって何点なんだろう?」
と冷静に考えてみると、意外と悪くないかもしれません。


優劣や正しさに囚われない


他人に対して「憧れ、嫉妬、嫌悪感」など
いろいろな感情が生まれると思います。

こういった「比較」や「勝負」により生まれる感情
ずっと続くようだと、いずれ病むようです。

したがって
・勝とうとしない
・無駄に判断をしない
・正しさやあるべき状態を考えない

という思考習慣を身につけることが大事だそう。

世の中は答えがわからないことが多く
「何が正しいのか」を考えても
あまり意味がないのかもしれません。


この「優劣や正しさに囚われない」という考え方ですが、完璧に遂行するのは難しいので「70点くらいを目指しておく」というのが現在のわたしのスタンスです。


感情はだいたい忘れる


どんな感情も、放っておけば曲線を描き、消えるそうです。

なので「いつまでもマイナス感情が消えない」という状態はやはりどこかおかしいようです。

どうせ忘れる感情なら、プラスのときは楽しみ、マイナスの時はさっさと忘れたいですよね。


わたしがこの考えを体得した(と言っていいかな?笑)ときの話なんですが

ある夜、嫁に対してイライラしてメンタルが死ぬ」→「次の日の昼頃には忘れていて、ご機嫌に生活している自分に気づいた」

ということがありました。

このときに「ハッ」として、ネガティブなときに考えごとを続けるのはやめよう、と本気でスイッチが入りました。

人の感情はそんなに続かないし、まったく関係のないことをきっかけに、どうでもよくなったりするものです。



また、後述する本に書いてあったのですが
「不安は無限に探せる」そうです。

不安を考えていくと不安しか生まれない上に
考えようが考えまいが忘れるという事実。

鬱症状のときは難しいかもしれませんが
「意識的に不安と向き合わないこと」
はご機嫌に生きるために必要な習慣だと思います。

少し話がそれますが

わたしは、どちらかというと「怒る」という行為が苦手で「落ち込んだり不安になること」が多いタイプだと思います。

そして、それを正当化している自分がいました。人に対して「怒る」くらいなら「落ち込む」「不安になる」ほうがマシだろうと。
しかし「ご機嫌が取れていない」状態であることに変わりなく、マイナス感情の出し方の違いでしかありません。

「不安」も「怒り」も自分で対処できる「大人」になることが、メンタル安定の第一歩だと、今回の経験を通して学びました。


3つの考え方を支える行動


以上、3つの考え方でした。

それを補完する、具体的な行動を2つ書きたいと思います。


笑顔にならざるをえない場所に行こう


3つの考え方の中でも
「負の感情をちゃんと忘れること」
は特に大事だと思っています。

それを具体的に実行するための方法として
笑顔になってしまう場所に行く
というものがあります。

笑顔になれそうにないのであれば「癒される」とか「ボーッとしてしまう」などでもいいと思います。

わたしもロサンゼルスに(しかたなく?)行ったことをきっかけに、症状が好転しました。

>> 「 適応障害だったわたしがロサンゼルスに行ったときの話

こういったハウツーだったり、考え方については
感情的にならない気持ちの整理術
にわかりやすく書いているのでオススメです。

いろいろ読みましたが、これがわたしの指南書です

個人的には日本から離れてみることでメンタルが改善される人、多いんじゃないかと思います。

陽気に生きている人に囲まれているだけで、けっこう元気もらえるので。


簡単に日記をつけよう


これはよく言われていることですが、やはり日記はつけた方がいいと思います。

「70点でいい」にも通じるのですが、1日って意外と悪くないことが多いし、習慣づくりの練習にもなります。

何でもいいので日記を書きましょう。


わたしは毎朝ノートに「前日の夜ごはんに何を食べたか。それはおいしかったか」だけを書き続けていました。

意味は、、、たぶんあったと思います。


わたしが思う世の中の現実


最後に「世の中ってそんなもんなんだな」と思ったことを2つ書きたいと思います。

毒にも薬にもならないかもしれませんが、せっかくここまで読んでくれたのであれば、付き合ってください(笑)


みんな似たような人生を歩んでいる


人は知らないところで苦労していて、だいたい同じような経験をし、同じような人生を歩んでいます。

一般人も芸能人も天才も、だいたいは同じだと思います。

憧れる誰かになったところで、そこにはまた似たような苦しみがあるだろうし、あまり多くを期待しても仕方がない気がします。


わたしたちは似たような世界で、別々の人生を歩んでいて
目の前の現実以外は、知りようがないし
自分以外の人生を手に入れることは、永遠にない。

そう思うと、人生ってけっこうしんどいし、どこかつまらない。
だけど、みんな言わないだけで、それをなんとなく知っていて、いろんな思いを抱えたまま生きている。

ということを、35歳で知りました。


だからこれからは、自分のできる範囲で幸せになれるように、無理せず、焦らず、「楽しい」を増やしていこうと、それだけで十分なんだと思いながら生きていこうと思います。


そんなに自分が可愛いのか


次に、久々に会った後輩の言葉がなかなか刺さったので、少し厳しい表現ですが紹介します。

メンタルヘルスについて話していたら
「みんな、そんなに自分が可愛いんですかね?」
と彼は言いました。

「自分なんてほんとクズですけど、人生それなりに楽しいですよ」
と、笑っていた後輩。
学生時代からの付き合いなのですが、たしかに彼のクズっぷりはなかなかのものです。

しかし、なるほど。
結局「自分程度」なんですね。
自分の程度を知り「ありのままの自分」が少し背伸びをして得られる幸せを目指そうと。

それを続けていけば、想像もしなかったような素敵な出来事が待っているのかも?

というか、その過程が楽しければ、それで十分なのかも?


わたしたちが生きる意味


療養中は「生きる意味」について考えまくっていましたが

人生に生きる意味はなく
どれだけ楽しみ、感動し、素晴らしいことに出会うか
ただ、それを積み上げていくもの

というのが「人生」や「人が生きる意味」に対する、今のわたしの考えです。


これを読んでくれたみなさんが、自分らしい幸せに近づいていけますように。


あ、タイトルの回収を忘れていたんですが

クシャクシャになった紙は戻らないし
人のことをクシャクシャにしちゃ絶対にダメ

だけど

誰もがクシャクシャな部分をもっているし
クシャクシャだからできることもある


わたしのクシャクシャが生んだこのnoteが、前に進もうとする誰かに読まれ、そこに希望や勇気が生まれたとしたら、それほど嬉しいことはありません。


わたしはこれから、支えてくれた人たちへの感謝を絶対に忘れず、自分に出来ることを少しずつ積み重ねていこうと思います。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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