沈黙がただ流れる金属の籠から

このタイトルを見て、私が今どこにいるのかわかる人はいるだろうか。普通にわかりやすいヒントを出せば、それは、私の体は止まっているのに時速100kmに近い速度で進んでいく。
もうお分かりだろう。夜間高速バスの中である。実を言うと私は今非常に金欠状態に陥っていて、もはや口座の収支はマイナスに突入しているほどである。となれば、東京から京都へ帰る(あるいは行く)のに、新幹線などというブルジョワジー的乗り物に乗るというのは愚の骨頂であろうから、私は今こうしてここにいるのである。

耳からはショパン バラード第1番 ト短調 作品23 が流れてくる。ピンと来ない人には、羽生結弦選手が使っていた曲とでもいえばわかるだろうか。あるいは、アニメ好きもしくはマンガ好きな人には四月は君の嘘のラストシーン手前あたりに公生が弾いていた曲と言えばわかるだろうか。いや、別に曲の紹介をしたい訳では無い。デあるからこの小話はここまでにしておこう。

こんな時間になんで私がこんなものを書いているのか。答えは単純明快、眠れないからである。何故かは分からない。慣れていないからかもしれないし、単純に眠くないからかもしれない。だが、この消灯された高速バスの車内では手持ち無沙汰を私は極めている。であるから、それを紛らわせるためにこうして今日もまた下らない文章を綴っているのである。

さて、先刻承知かもしれないけれども、告白すると、私は文章を書くことが好きなのだ。と言うよりも、正確には創作というものに非常な興味を惹かれずにはいられないのである。一から言わば自らの手で、様々な所から着想、アイデアをまるでスポンジのように吸収して、しかしスポンジとはまた違い、それをふんだんに活用する。そうやって、一つの虚構、嘘を創り上げていくのだ。これほどに面白いことは他にないと私は思う。

変な告白をした上でもう一つ告白すると、私の夢は小説家なのである。しかしながら、私の下らない文章を読んで呉れたあなた方であれば分かるだろうけれども、私は文章を書くことは好きなのだが文才というものをまるで持ち合わせていないのだ。ただでさえ狭き門に行くのにこれは致命的かもしれない。しかし、どこぞの下らない青春の虚構の言葉を拝借して言うなら、やる前から諦めてどうする。ということなのだ。やってみなければ分からない。ということなのだ。
しかし、それだけで小説家になりたいという訳では無い。最も稚拙な理由をぶちまけてしまおう。それは、言葉には魔法の力があると思うから。である。なんとも稚拙だろう?まあ、理由はあるんだ。この言葉にもね。それは、単純なことなのだけれど。恐らく日常生活の中でもしこれを読んでくれる人がいたのなら、その生活の中で、必ずや、多少なりとも感ぜられたことがあったはずだ。というのは、言葉は刃物であったり、時には凶器にさえなりうるのだけれども、言葉というのは人を幸せに出来るということなのだ。例えば、恋人がある人はわかるだろうか。恋人に好きだとか、大好きだとか言われたら、私のような感情表現の乏しい人間であっても少しはココロオドルはずだ。例え方が下手だったかな。分かりにくいや。
とにかく、私は私の文章で、誰かを幸せにするとまではいかなくとも、そういう類の感情、例えば、喜びであるとか楽しみであるとか。そういうものを齎せたら、とただ思うのだ。
もしもこのくだらぬ夢を応援してくれる人があったなら、このくだらぬ類の文章が書店に並ぶことを願っておいて欲しい。

ああ、稚拙だ。醜いほどに稚拙。よくもこんな文章を人様に恥ずかしげもなく見せられるものだ。
正直いえば自分ですら何を書いているのか全くわからない。それでも、なにとなく、書いてみたかったのだ。深夜テンションの産物と言っても過言ではない。けれども、このくだらぬ文章の中に嘘偽りのないことは確約させていただく。未だに原稿用紙にして10枚ちょっとしかいっていない書き途中の小説が手元にある。まずはそれを仕上げるところから。生まれてこの方長編小説というものを書き上げたことがないので戸惑いも多いけれども。短編小説ならば高校の文芸部の部誌に拙稿を乗せてもらったことが幾度かあるのだけれども。

収拾がつかない文章になってしまったことは、お詫びしたい。もしここまでに読んでくれる人があったなら、であるけれど。

では、この辺りで失礼することにしよう。

何目線だというのは思っても言わないで()

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