安心してね。もう泣いてないよ。
以前、この記事を書いてから、しばらくは泣かないって決めていて……
(※前回ほどではないかと思いますが、無理に読まなくても大丈夫です🙇💦)
ずっとがんばっているんだよ、私。
それでも、年々涙腺が弱くなってるな~とも思う。
父が祖父のお見舞いに行く度に握手している動画を見るだけで、すぐ泣けちゃうくらいに。(昔はあまり良好な関係じゃなかったとも聞いているからかな?)
って湿っぽい話ばっかりする私はやだな。
らしくない! って何じゃい! とも思うけど
本来の私はひょうきん者だから!
(高校時代のクラスの文集でのランキングのボケ担当がお調子者の男子に次いで40人中の2位で、母にも言われたくらい😂)
そんな私だから大学の先輩の論文で知ったクリニクラウンという活動にも興味を持っていたくらいピエロに憧れがある。
歌は下手くそだけど、絵本の読み聞かせだけは得意なんだよ! なぜかは自分でもわからないけれど、私が本を開くと子どもたちがわらわら集まってきて抑揚をつけるわけでもないのに聞き入ってくれるんだ♪
泣くのもね、自分のためだけの涙はあんまり好きじゃない。そして、私のことで誰かが泣くのはもっと嫌!
だから私は、自分がつらくても誰かが笑ってくれるならいくらでもおどけられるし、そういう気分じゃない人の側にそっと寄り添ったり、ティッシュを差し出して見守ったり、背中をさすったり出来るような人になりたい。
でも、今の私にはそれすらも出来ないから、それが苦しい。
「我が子なんだから、心配して当たり前でしょ!」
と両親から何度も言われてきたけれど、その気持ちがとてつもなくありがたくて、とてつもなくつらいと感じることもある。
だって、家族の中でも友達関係の中でもその場の空気を察して和ますことが、私の唯一の存在価値だと思ってずっと生きてきたから。
こじらせピエロなのは、自分が一番よくわかっているよ。でも別に苦じゃなかった。
いじられキャラにならなかったのは、私がちょっぴり(いや、かなり?)毒舌だったから。(だからって、本人が嫌がっているのに、いじられキャラ扱いされるのを容認するわけじゃないよ! 私はムードメーカーというよりゆるキャラに近かった気がする……)
それに自ら笑われ者になれば、その間は他の誰かが笑われ者にならないで済む。それが私にとって最良のポジション。(奇数グループで仲介役になるのも、お茶の子さいさい、屁の屁の河童🥒)
それが出来ないなら、家族が悲しい顔をしない選択肢として離れることを選ぶ方がましだと思っていたこともあった。(今ほど症状が悪化する前は特にね。)
両親のセカンドライフが成人した娘の介護になるのが嫌だったから。
今は自身の両親の介護。自分達も老いていくのを感じながら、次は娘を看るなんてそんなことをさせたくないと、喧嘩してでも抗ってきた。
ここまで育ててくれた両親の介護を私が引き受けるならまだしも(あくまでも、私の考えとしてはね)育児を終えた二人にはセカンドライフを楽しんでもらいたいと思っていた。(そのセカンドライフすらまだ始まってないというのに……)
それは家族に介護を背負わせたくないという気持ちだけじゃなく、両親がいなくなってからも一人で生きていける生活基盤を、二人が元気なうちに整えておきたかったから。
そのためにいろんなことにチャレンジしてきたんだよ。たまたま見つけた就労移行支援の事業所に通うにあたって、そこから体調の変化に合わせて支援環境を整えてきた。
今の身体でできる仕事を探して応募して面接まではクリアしても(週○日からでもOKと書かれているパートでも扶養なしの独身女性の場合は「何でこの曜日はダメなの? もっと入れないの? 遅い時間が無理なのは何で?」と聞かれて素直に答えたら)落とされた。
面接で口を滑らせて失敗したこともあるから全部が病気のせいだとも思わないけれど、どんなに資格を持っていようとお子さん連れの人よりも働く本人が健康かどうかの方が重要視されることを痛いほど思い知らされた。(でもその間に子ども預かる仕事をしてきた身からすると、元気ならその人達の穴埋め要員になれたらいいと思っているよ! そのくらい国のお世話になってる自覚はあるから。)
職業訓練学校にも通い、A型やB型の事業所もグループホームや施設も見学に行った。でもダメだった。どこかに行くだけで日常生活に支障を来すこの身体では。
施設も医療的処置の必要がない私は入所するメリットがなく、入所者は私より三倍は生きていて、職員以外に対等に会話できる人すらいないと言われた。同年代の職員に入浴介助されるのも、支援をたくさん増やして一人で暮らすのも今の時代は怖い。
だから今はこんな私でも出来ることを新たに考えて、作り上げていくしかない! と気持ちを切り替えることにしたんだ✊
仕事で知った『ふしぎ駄菓子屋 銭天堂』のように(本だけじゃなく、アニメ化もされていて、再放送された『グレーテルのかまど』という番組でも取り上げられてた影響で)実家の土地に駄菓子屋さんを作って、父の作った野菜や私の手芸品を並べて、本を読みながら店番して、時々昔ながらの紙芝居屋さんになったりとか!
もちろん、自営業のノウハウを知らないまま始めるのはムチャだとか、万引きにも要注意だとか言われたし、私自身でも今は子どもを集めるのも良し悪しな時代で、自ら仕入れるどころか、座って応対出来るかも危ういという現実もちゃんとわかっている。(無人販売の監視役も考えたけれど、私じゃ盗っ人を追いかけられねぇ!)
それでも、一時期言っていた「生まれ変わったらパンダ or レッサーパンダになりたい!」や「医者を連れて帰って開院するぜよ!」といった妄想よりは少しずつ現実味を帯びてきたとは個人的に思っている。(阿佐ヶ谷姉妹同盟は継続中かな🤔石油王を掴まえる夢も捨ててないよ!)
婿医者に関しては機械が高い&人の出入りが激しくなるとのご意見もあった。けど精神科なら私もがんばって院に行ってカウンセラーを目指す手もなくはない。まあそれも、実習を乗り切り論文を書き、しばらく現場で働いてからじゃ無理なことも、ぐでたまのようなカウンセラーにしかなれないことも分かりきっているけども。(占い師だったら、どうなんやろ?)
そりゃもう、つらいことも山ほどあるさ。人間の尊厳について考えてしまうほど。前回の記事のように、人間の退化を逆行するかのような日々に絶望することも。
辛うじて頭は働くけれど、それだって息切れが起きたら意識朦朧となるし、入浴中はだいたい黒目どっか行っちゃうし、年に数回だけれど入浴中に目が開かなくなって慌てて浴室を飛び出し助けを求めたくても声が出なかったこともあった。(でも、てんかんの友達も、お風呂で溺れかけたことが何度もあると聞いたよ……実は私も何度かある……)
床を叩くけれどドアを閉めきっていると気づいてもらえず、マンションだからあまり強くも叩けないから、なけなしの声でようやく母に助けに来てもらったけれど、パンツの前後もわかりゃしない! 情けないったらありゃしない!!
こんなんじゃ「安心して下さい」も言えないよ! そもそも私が安心できないよ!!大事なところがフリー過ぎるよ!!!
せめてパンツだけは自分で穿きたいから何か印になるものをつけようと思ったのと(基本的に服のタグは左側についているけれど、下着だとついてないものもあるし、こないだはひっくり返ったまんま穿こうとしてたから、もうどうすればいいのやら……ただジンクスとしてはいいんだけどね!)
今はたまたま発掘した鈴を脱衣所の洗面台の下の収納扉に吊るしている。目が開かない時はへたりこむしかないから、とりあえずその辺なら手探りでわかるし、周辺を叩けば音が鳴るっちゃ鳴るから。
食事と入浴の困り事でどっちがつらいかっていうと、やっぱり食事の方が断然つらい。
一日のうちの回数が多いのもあるとはいえ、せっかく母が作ってくれた物を食べられない悔しさ、好き嫌いがあるわけじゃないのに、ロシアンルーレットの如く、その時々によってアウトな食材を避ける自分も嫌だ。
でも、アウト食品を食べるとそれだけで延々に咀嚼して飲み込めなくなったり、ギュッと力を入れて飲み込むと目が開かなくなったりもするから、嫌だからと無理して食べるわけにもいかない。
無駄に感受性が高くて、テレビの中での食事シーンとリンクして食べられなくなることもあるし(もはや『食事』というワードもNGに……)、日によっては酸っぱい・辛いだけならまだしも、最近は甘い・しょっぱいですら食べるのに難儀することもある。
祖父母が専業農家だったのもあって、どんな食材にしても生産者がいて、販売者がいて、購入者と調理者がいると思うと本当に悔しくて、申し訳なくてたまらない。
栄養面は、経腸栄養剤で凌げても、薬を飲み込むのも一苦労。そうまでして生きる価値があるのかは、やっぱり頭に過る。
くじけそうになるよ。将来どころか明日が来ることさえ逃げ出したくなるよ。
それでも両親の存在(葬儀屋の予約やそれにかかる費用、財産分与、遺品整理もしてからじゃないとしぬにしねないと思う質だから、希しが高まってもよっぽどじゃない限り実行に移せないんだ、私は……)と負けず嫌いのド根性魂で病気に負けてたまるか! って思いながら毎日を繋いでいる。
悔しくなるのは、まだまだやりたいことが山ほどあるのに出来ないっていうのもわかっているから。
・働いて社会貢献したい。
・家族以外の人とも関わりたい。
・両親を安心させたい。
・不安を抱えることなく、楽しい老後を過ごしてもらいたい。
・お世話になった人に恩返ししたい。
・私みたいにつらい思いをする人を一人でも減らしたい。
・困っている人が一分一秒でも早く病気や障害の診断がつき、必要な支援に辿り着けるようにしたい。
・当事者の家族の力にもなりたい。
・今つらい状況の子ども達を助けたい。
・好きなコスメでお年寄りを元気づけたい。(それもあって障がい児の仕事を離れてからも児童養護施設の職員やエンゼルケアについても調べたし、ワンチャンでサビ管の講習を申し込んだこともある。)
まだまだ読みたい本も、作りたい物も、行きたい場所も、聴きたい音楽も、食べたい物もたっっっくさんある。
身体が不自由とそうでない時の波があることや、頭はしっかりしているからそのギャップの理解されにくさ等、車椅子の私だからこそ発信出来ることもきっとあるとも。(発達の凸凹や内部疾患の方も理解されにくくて、つらい思いをきっとされているよね😢)
十人十色、千差万別、私の経験が全てじゃないのも重々わかっているけれど、良くも悪くも健康だった時に気づかなかった些細なことが実は大変だとわかったこともたくさんあるから。
私はそれが中途障がい者の苦しみでもあり、強みだとも思っている。
ただ強みだと思うのは私個人の考えであってこれ以上苦しむ当事者やご家族を減らしたいというのが本音だ。(もちろん支援者も含め)
なかなか診断がつかなくて(中には当事者が病院に行きたがらない場合もあるけれど……本人がネットや論文を読み漁って当たりをつけていても医者が認めてくれないパターンも多い)病院をたらい回しにされ、その間にどんどん進行していったり、支援環境を整えるためにいろんな場所に自ら問い合わせても「介護保険適用外の場合はわからない」と、すげなく断られてしまったり……
ただでさえしんどい中で、心の血を流さないで済むように。当事者もご家族も安心した生活を送れるようになってほしい。
私の経験で生かせることがあるなら、今後も発信していきたいと思っている。とはいえ、当事者でもまだわからないことの方が多いから経験談としてしか語れないけれど……
入院歴があればまた違ったのかもしれないけれど、中途障がい者にとってのケアマネのような存在である相談支援員さんにすぐ繋がる世の中になってほしい・なるように、細やかながら尽力したい。(実際に私がそこにたどり着いたのも別のルートからだったので……)
とにかく困ったら、役所の障害福祉課に相談してみてね🙏💦 そして、主治医が見つかったら障がい者手帳の対象になるのかも聞いてみてね。
私は市の福祉について書かれている冊子をくまなく読み込んだつもりだったけれど、「難病でも先天性じゃないから対象外か……」って勝手に諦めていて……ヘルパーさんのアドバイスを受けて聞いてみたら当てはまる項目があると知ったくらいだから。(明らかな手術歴があれば違うのかもしないけれど、手帳を嫌がる人もいるからか医者側からはあまり教えてくれないんだよね……)
と、ちょっぴり真面目になったから話を戻し~の🪄
食べられるかがわからないから難しいこともあるかもしれないけれど(うちの家系は私も含め、みんな好き嫌いが全くない底なし胃袋だから食べ残すことはないかと思われる)、元々は食べ歩きが好きだったから車椅子でも入れる地元の名産店マップを作るのも有りかなって。(伊能忠敬が地図作りに着手したのは57歳からだよ! なら、全然イケるっしょ!)
そして、こっそり画策していることも実はあって。うまくいくかはわからないけれど、チャレンジしてみたいなって思っているよ。
だからたぶん大丈夫! 根拠はないけれど、大丈夫じゃないなら、中丈夫くらいになれたらいいかな🤭<あ! やっぱり笑丈夫で!
みなさまのお身体も丈夫になりますように🕊️
(という駄洒落が言いたかっただけ😂)