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『巡りめぐる思い』 #シロクマ文芸部

 月めくりと聞くと思い出す、母方の祖父母の家のトイレに吊られていたカレンダー。

正確に言うと31日カレンダーなのだけれど。
何年経っても変わらぬままぐるぐると巡り、その日気づいた人がめくるルールだった。

あえてちがう日付ページに替える人もいた。まあ私なんだけど……だって31ページは他の日付より目にされる機会が少ないから。

でも、これは31ページ目への思いやりに見せかけた私なりの反逆だったのかもしれない。

入学した瞬間、出席番号1番が確定する私の学生時代の苦労を、後ろから数える方が早い母方の親戚達は知りもしないだろう。安易に日付で指名する教師の多いことよ……不平等極まりない。

そして、スマホになってからは間違い電話も増え、つい最近も元上司から1時間もの無言メッセージが録音されていてギョッとした。

全く気づかなかった私も私だけれど、31ページもこのくらい働け! 何気に良いこと書いてあったりするんだから胸を張れ! と言いながら何が書かれていたのかは、もはや私も忘れている。


 基本的に多少のことでは動じない私でも、そのトイレの吸い込み方だけは苦手だった。

新幹線の「ジュ……ジュボッ!」というのに少し似ていたからだ。

スパッとジュボッとしてくれたらいいものを一向に掴めないタイムラグにいつもビビる。焦らされるのは恋でも面倒なのに、トイレごときが何をそんなにもったいつけるのか。

「そこは一気に行ってくれよ!」と願う私を嘲笑うかの如く、二段階でビビらせてくる。クソが! と思うがブーメランの時もあるから、花の摘み方よ! と可愛らしく誤魔化すことにしよう。

なんて言ってみたけれど、超絶負けず嫌いな私は「絶対ビビってやるものか!」と無駄な闘志で可憐な花をも焼け尽くす。

だから私はどんなタイミングで、どんな音が鳴ろうとも涼しげな顔でやり過ごす。これが私とトイレの(タイム)ラグゲームだ。


 しかし、いくら平静を装ったつもりでも、別件で驚いてしまったこともあった。便座の蓋の上に何やらベージュ色の三角形のものが乗っていたのだ。思わず

「ば、ばあちゃーん!!」

と叫んだ。でも祖母は見つからず、代わりにそこら辺にいた兄を捕まえた。

「ただのコーンやん」

当時から近視が進行していて、色のコントラストだけやたらハッキリしていた私には解けない謎を、視力だけはやたらいい兄は一瞬で見抜いた。

確かにそれは、よく見ると食べかけのソフトクリームのコーンが逆さに置かれていただけだった。犯人は当時二歳くらいの従弟だ。

逆さまのコーンは色といい、ほどよく溶けて先が曲がった形といい、パッと見、とぐろを巻いた💩に見えなくもなかったのだ。何せ、場所が場所だし……


 証拠隠滅を図った結果なのかは今となってはわからないけれど、私の耳たぶがお気に入りで片手で私の耳たぶを触り、片手で指を吸っていた従弟も今や大学生だ。

一方で私は、昔で言うクリスマスイブもクリスマスも遠に過ぎ、今で言う大晦日も過ぎてしまった。つまり私は31日カレンダーさえも一周してしまったのだ。

でも、結婚や出産といったライフステージに関しては私はそれほど悲観していない。
(仕事のキャリアは積みたいけどね……)

年々自分の年齢があやふやになってきているのもあるけれど、周囲の人達にはずっとクリスマス頃に見えるらしく、実年齢を言うと高確率で時が止まる。もしくは二度見される。
(お世辞が含まれているとしても……もしや冷凍ケーキなんか? 私は)

たぶん祖父母の中でもそれは同じようで、病気のことを伝えてなくとも、結婚をせっつかれることもなくなった。(身内から見ても、年齢不詳っぽい。何でや……)


きっと今の私は、カレンダーの1ページ目がまた巡ってきたのと同じ状態なのだろう。

だからもう、31ページにわざわざ替える必要も、毎月1日ついたちに怯えることもない。


 そして、これから出会う人は車椅子込みで私と認識していくことだろう。それも含めて私のカレンダーはまた1ページから始まる。

会話に花咲かせ
また一人
阿佐ヶ谷姉妹同盟 締結


 もちろん今の法律上では血縁関係のない者や婚姻関係にない者同士では難しいことも多々ある。今の私では対等な関係が築けないだろうということも、相手への負担が確実に重くなるだろうということも、承知しているつもりだ。


人によってはこの話をすると、「裏切り者が現れそうね」と言うけれど、本当に好きな人が出来てその人との生活を望むことは裏切り行為ではなく、心から喜ばしいことだ。

それを裏切り行為だと捉えるような人を無理に同盟に引き入れようとは思っていないし、私が勝手に作った同盟に縛られることを、私ははなから望んでいない。

共感の意を握手として交わしただけのことだから、途中で気や状況が変わることは、誰にだってある。

ただ同じものを食べて「美味しいね」と共感できて「また明日!」と言い合える、そんな人が側にいてくれたらお互いに心強いよね、というだけのこと。

だから私にとっては相手が同性であろうが、異性であろうが、たいしたことではないとも思っている。

たまたま出会って、気が合って、側にいると安心できるなら、年齢も性別も障害の有無も関係ない。

むしろ血縁関係に縛られずに、ほっとできる関係を築けるなら、その方がずっといい。

それでも、私のカレンダーの1ページ目には

『相手が同意していないことを
 絶対に無理強いしない』

というルールだけは、忘れずに記されることだろう。


 珍しく真面目で不真面目なエッセイもどき。ヘッダーは『ミルフィーユのように時を重ねたい』という思いからお借り致しました🙇(美味しそうだったのもあるけれど🤤)

 あえてバウムクーヘンにしなかったのは、いろんな具材を挟んでひとつのケーキが出来上がるように、いろんな人と関わりながら、おいしい人生になればいいかなってね😋✌️

 少しポリアモリーに通ずるところもあるので「何それ?」と思った方は

こちらの本が参考になるかな、と……
(※感じ方は人それぞれなので、押し付けたいわけじゃないことをご了承下さい🙇)

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