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<映画感想>Upgrade

どうも、

ノミが白昼夢をみた、です。

いいSF映画探している方いたら、今すぐ『Upgrade』をチェックしてください。

すべての要素が揃ってます。

俳優の演技はうまくて、笑わせられたり、考えさせられたり、

そして何よりも、飽きません。

話の流れの予想ができたと思ったら、できなかったり。

とにかく、意外性に富んでいて、面白いです。

何が意外かって、映画の前半がほとんどコメディということです。

これはもう「ステムとグレイ」というコンビの漫才です。

拷問にも爆笑してしまう自分がいたりで、少し罪悪感を感じますが、、、

マインドコントロールを除けば、本当にいいデュオです。

最初の方こそはステムの存在に違和感を持つグレイですが、

映画の後半のセリフを見ると「足が動かない」というセリフが「my leg」ではなく、「our leg」となっています。

明らかにステムによって施されるいくつものアップグレードに追いつけないグレイの様子は「I cant keep up」という台詞からもわかります。

思考が肉体についていけないとは、このことですね。

私もグレイ同様テクノロジーには疎い方で、いつも「ついていけないよ〜!」と思うことが多々あります。


しかし、考えてみれば、逆のような。

普段我々が考えるのは、「肉体が思考に追いつかない」ということではないでしょうか。

「老い」がその一例です。

どんなに頭では若いと思っていても、肉体の劣化は止められません。

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思考は常に肉体より先に置かれがちです。

ダイエットすることを決めて運動し始める人はまさにそれです。

なのに『Upgrade』ではその構図が逆になっているんです。

もともとステムはあくまでも肉体機能のみコントロールしていました。

それも、グレイの許可なしでは喋ることさえできない。

この一見フレンドリーに始まる従属関係は、

ステムがグレイの肉体的障害という弱点につけ込むことで覆されます。

最終的に、ステムによるグレイの精神及び肉体的支配が成し遂げられますが、それはすべてグレイの「許可」があったからなんです。

ここがこの作品の最も評価されるべき点だと思います。


『The Exorcist』を考えてみてください。

人間がなんらかの勢力に乗っ取られる過程はいつだって意識の完全支配から始まります。

だから、リーガンは意識が戻っても悪魔に取り憑かれていた期間の記憶がないわけです。

一方、グレイは物語のギリギリ最後まで完全に意識を保っていますし、ステムと話したり、交渉したりします。


反対に、映画ではバーチャル世界にハマっている人々がいて、彼らは思考によって肉体の限界を超えている例です。

バーチャル世界では時間も感覚も異なります。そのため、彼らは食わず飲まずで平気に何日、いや、何週間も立ち続けます。

将来、AIに人間が乗っ取られる時が来るとしたら、

それは従来の考えでは理解できない事態になるのかもしれません。

その事態とは、ずばり、

我々がAIに洗脳されるのではなくて、我々がAIの洗脳を「許可」するという事態です。

現に、我々はすでに身体に様々なテクノロジーを取り込む習慣がありますし、それに抵抗もあまり感じない。

Facebookやゲームは我々が自ら選択し、同意していますが、一体同意書に何が書かれていて、どのように自分に影響するかなんて考えないわけです。

同意なんてワンクリックですみますし、その方が楽ですし。

結果、人間が携帯電話に支配される現象が生まれるというわけです。


映画の趣旨でいけば、この現象は人間の「報い」です。

確かに映画は従来のSFのテーマ同様に、テクノロジーの危険性を強調しますが、それ以上に人間に対しても批判的です。

グレイはテクノロジーコンシャスな妻のアシャとは正反対で、機械に頼ることには抵抗があります。

しかしステムによる身体麻痺の回復を経験したグレイはその能力に味をしめ、映画の後半ではステムに体のコントロールを譲ることによって人を殺します。

妻を殺した奴らは殺してやりたいが、実際の拷問は機械にさせると。

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AIが嫌いで、何があっても頼らないと思っていた人間がいつしかAIに依存していく過程が実に見事に描かれていて、「ハッ!」となります。

グレイの母が言うように、彼はこの素晴らしいテクノロジーを使って新しい人生を歩むことだってできたわけなんです。

しかし、妻の死への怒りによって殺人を選んだのは彼自身です。でも、そのアイデアを煽ったのはステムなんですよね。

なんとも言えないマシンと人類の複雑な関係です〜!

とにかく、マシンに頼り他人に汚れ仕事をさせた結果、妻の殺人犯の企みに手を貸すことになってしまったと言うことです。それだけでなく、意識と体さえも失いますから、徳なんてこれっぽっちもないわけです。

ただし、エンディングをどう捉えるかによって損得感は大きく変わるかもしれないですけどね。


結論を言いますと、『Upgrade』はAIの洗脳物語以上にも、肉体的限界に直面した一人の男のその運命への争いの物語です。

頭脳を鍛えるのは結構なことですが、身体への気配りも同じぐらい大事といったところでしょうか。

現代の最も超え難い壁の一つですね。細い体とか筋肉のついたからとかではなく、「健康な体作り」が難しいですね。

身体麻痺というこれまでどうしようもない運命だと思われてきた概念を破壊するのがテクノロジーの役割ですが、

監督はそれに対して、「果たしてそうなのか?」という疑問を投げかけていて、人間批判と機械批判が平等になされています。

このオープンエンドなエンディングに答えを与えられるのは観客のみです。


あ〜、またもや自分のテクノロジーへの信頼度が削られた感じですが、今回はAIよりも電気自動車の方が怖かったような。

この映画は電気自動車メーカーの宣伝としては最悪ですね。デザインが独特で近未来感たっぷりな車ですが、いとも簡単にAIに乗っ取られ、事故ってしまうのですから。

電気自動車、お気の毒さまです。

AIに支配された男は果たして幸せなのか?この問いに興味がある方、この作品おすすめです。











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