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嘆き全集

12
短編小説集
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私が渇望し、救いと信じて疑わなかったこの自由は、あまりに虚しく、孤独だ。そこには一切の喜びも、美しさも、天国的親密さもない。あるのは広大な無で、途方もなく長い時間が、私をゆっくりと、確実に蝕んでゆく。

私はかつての制約のある幸せを想い、自由のために失った全ての代償について考える。

「貪婪故の罰なのだろうか」と私は枯れた唇で問う。

「この苦しみは、いつ終わるんだろうか」と周りの静寂にもう一度問

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授かった発露

20年に及ぶ苦難をもってしても、解決の糸口など見つからない。そこに残ったものは空虚と、一握りの苦しさ。そして摩耗した精神と、若くして作り上げられた、シワだらけの老獪めいた顔だけである。

「バカだなあ」と私は鏡をみて呟く。

やさぐれた、惨めで無力な自分に辟易した私は、裂けた胸から垂れ出た重い心をひきずって病院に行く。

数十年にも感じる手術を終え、私はなるべき姿になっている。今までの陰鬱で小汚く

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加害

錆びれた手間包丁を強く握りしめている。

目の前に積まれた亡骸を前に、傍ら寂しくすすり泣くばかりだ。

言葉にならない寂寞な思いを叫び、大切な存在を慈悲もなく奪った天を責める。

しかしまだ私は、自分の犯した徒疎かな罪を知らない。

肉体に私の水を捧ぐ

肉体に私の水を捧ぐ

青天の空の下、風光明媚な丘に私は立っている。眼下に広がるみずみずしい若草色の草原では、私の愛する友人らが次々と火だるまになり、「助けてくれ!!誰か助けてくれ!」とのたうち回っている。

切迫と使命に駆られ、苦しむ友人らをなんとか介抱しようとする。手持ちの水筒の水や体液を振り絞って鎮火に努めるが、それもただの徒労。火はどんどん強まるばかりだ。丸焼きの身体に触れると途端に私の手はケロイド状になり、造形

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哀愁の楽園

哀愁の楽園

私は荒々しい色を絢爛と浴びせる白練の砂浜の上に立っている。心地よい海風が頬を撫で、私に僅かな微笑みを授けてくれる。

遠くの湾曲した砂浜に見える、一切の汚れがない月白に輝く灯台の元へ向かう。しばらく歩くと、屹立するその灯台と白練色の砂浜をわずかに区切る、大きな岩に腰掛けた人影が映る。私がかつて何処かで交友を結んだ、愛する友人達の姿だ。

静かに談笑をしながら明鏡止水の大海を眺める仲間の元へゆく。

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Beseech

Beseech

Do I dare leave before you give me a smile,
you look back upon this?

So I lie awake to dream of you and I
sailing through life

But you and I are to drift away

For dust you are, unto dust you shall

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痴呆

紫紺色の鬱汁をスプーンですくい、それを一滴づつ緩慢に、しかし狂いもなく正確に垂らす。音もなく湧き出るその泉が枯渇することはない。私はそれを毎日繰り返す。

ある日、私は本能がそうするようにあたりを見回す。当たり前のように、皆はそこからいなくなってしまったことに気づく。刹那、湧き出る紫紺色は消えてなくなり、かつての色を失った古びた花崗岩が姿をあらわす。私は、何千年にもわたる内省の末、何も疑問に思うこ

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手術

「これは君のためだけではなく、君の周りのみんなのためでもあるんだ」

と猫背の医師は男を念押しするように諭す。

「これ以上君が人の心を慈悲もなく破壊し、腐らせないようにするために」

男は「わかった、わかった」と医師の話を遮る。オペ室の看護師は、血の染み付いたサメの刃を持つ電動鋸を携え、床に落ちた食べ物を見るような、同情と憐れみ、若干の軽蔑の混じった目で男を見つめる。

「でももう大丈夫だ」と医

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嘆き 短編集1

嘆き 短編集1

所業

私は自らの堕落や私欲による悪業によって報いを受けていることを自覚している。しかし、他の人間が善良故に豊かな生活を送っているとも到底思えない。

仏滅

屠殺される雌牛のような胴間声をあげる妊婦の肉体を張り裂き、大きな肉塊がその頭を突き出す。私は助産師と共に、分娩台の上で血塗れで痙攣するその肉叢にいかめしい喝采を浴びせる。針金のような硬い髪を持つ医師が宣告する。

「おめでとうございます。立

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強姦される男

強姦される男

私は男だが、奇妙な場所に受け口がある。毎朝の化粧は怠らないし、パステルカラーが好きだ。時に可愛らしいボックスプリーツを履くこともあるし、異性の記憶は上塗りされる。ある時は5分の間に5つの人格が現れ、今さっきまでは笑っていたのに、幾許か歩けば癇癪を起こしてしまう。

ある日、私の部屋に侵入してきた蟻の群れを観察していると、銃声のようにドアを激しく打ち付ける鈍い音が何度も響き渡る。女がやってきたのだ。

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頭脳労働

私は肥大した脳の前頭葉あたりを狙う。先端が斜め切りされた鋭利なストローをゆっくりと差し込み、口から吐き出された介護食のような、固形とも液状ともいえないそれをチュウチュウと赤子のように啜る。

数年も経つと脳汁は枯渇してしまう。身体から切り離されているからだ。小脳は梅干しのように縮み上がり、大体の部分はその皮質だけを残し、空気の抜けた風船のように萎んでいる。私はわびしい切迫感に駆られて脳の中を弄り、

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嘆き

嘆き

古くから知る最愛の友人がもうここには戻ってこないという知らせが届き、私はある種の譫妄状態に陥る。

切らすまいとなんとか保ち続けてきた一本の糸がプツンと途切れてしまったような感覚を皮切りに、窓の外の金色の靄は密雲に覆われる。

私と友人の2人で時間をかけて育ててきた、幾尋にも及ぶ美しい植物の海に、灰がポツポツと降り始める。私は乾いた唇の間から気の抜けた声を漏らし、バンガローから飛び出る。

5大陸

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