手術

「これは君のためだけではなく、君の周りのみんなのためでもあるんだ」

と猫背の医師は男を念押しするように諭す。

「これ以上君が人の心を慈悲もなく破壊し、腐らせないようにするために」

男は「わかった、わかった」と医師の話を遮る。オペ室の看護師は、血の染み付いたサメの刃を持つ電動鋸を携え、床に落ちた食べ物を見るような、同情と憐れみ、若干の軽蔑の混じった目で男を見つめる。

「でももう大丈夫だ」と医師は続ける。
「私も彼女も、この手術で良くなった。本当に良くなった。本当に何も感じなくなってしまったのさ!」

感情のないはずの医師は歓喜に声を震えさせ、銀に光る医療器具を持った両手を広げてみせる。男は少しばかり恐怖を覚える。しかし、一度やると決めたことはやるしかないのだ。

誰からの許可もなく都心の地下にて営業しているこの病院の院長の信条で、手術は一切の麻酔を伴わない。医師がブツブツと何かを唱え、全てが損なわれてしまった男の心、そして男が(結果的に)破壊してしまった、幾つもの女達の心を弔う。

乾いた唇からふぅと息を抜くと、医師は何の合図もなく、凍ったケーキを切るような具合で胸骨に切れ込みを加えていく。キリキリした不快な音と共に血が湧き出し、男の皮膚を伝う。「少々手荒ですが」と申し訳程度に詫びると、骨を裂き、心臓のギリギリまで刃を到達させる。開胸した私の中にずけずけと手を入れ、脈幹を乱暴に剥離する。工作を楽しんでいるかのようだ。

男はあまりの苦痛に目を見開き絶叫する。今まで男の貪欲の犠牲となってきた、純粋無垢な心臓達に何度も詫び、祈り、赦しを乞う。医師は返り血を浴びるも怯むことなく、男の紫に腐った、邪悪の根源たるその器官を掴む。

「哀れな心臓」と看護師は呟く。
「なんとちっぽけで、惨めな心臓」

医師は私の萎縮しつつも強く鼓動する心臓を、大きなうねり声とともに外の世界へと引き抜く。男の胴間声は外気に触れて激動する心臓の異音とハーモニーを奏で、血と共に排水溝の中へ飲まれていく。

途中で失神してしまったとはいえ、何十年にも感じる、長く終わりの見えない激痛をなんとか乗り越える。「成功です。...やりました!」と側頭部のみに巻き毛を残した医師は弱く叫ぶ。「どうでしょう」と指を鳴らすと、看護師がかつて男がダメにしてしまった女たち、あるいは男の心を修復できないほどに引き裂いた女達の写真を一枚づつ男に見せる。男は首を傾げ、覗き込む。その様子を見た医師は、どの言語にもない悦びの声を上げる。

翌日、男はあやうく自分の心を引き裂こうとするところだった一人の女にばったり会う。女のどうとでもとれる、広義だが意味慎重な言動に、今までの自分ならすぐに恋に落ちてしまうだろうと知覚する。しかし、手術の効果通り何も感じない。本当に何も感じなくなってしまったのだ。

男は、これ以上自分のが灼ける炎の熱が身体中に駆け抜けることも、孤独に頭を垂れ、凍てついた自我に包まれ涙することもないと思うと、たまらなく安堵する。そしてなにより、これ以上自分の飽くなき欲望の為に、男を愛する誰かが犠牲になることもないことに、心のつかえが取れる。

男は機械のように、他人行儀な口で会話を続ける。あらゆる束縛から解放され、人心地がついた矢先、突如発した女の金切り声に耳の筋肉が疼く。男は取り返しのつかない行為に及んでしまったことをすぐさま後悔する。女の心が壊れてしまったのだ。

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