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なつやすみとおばぁ

ずっとうまらずに欠けている。、

か〜けて〜るから〜

魅力なんだよ、ー

_(:3」z)_




最近ね、私。気づいちゃったことがあるんです。

経営してる店の名前が龍宮っていうんですよ。


でね、夫婦二人でやってるし、

自分は乙姫だと思ってたんだけどね…

完全に〜笑

まさかの乙姫は夫で私は亀だったと発覚!!!!


それっていうのは、

昔の記憶というか自分の本質がやっと確立してきたから判明したことで

まわりから見られている自分と

内面の自分には大きなギャップがあったことに気づいたわけです。



遡ること…

小学生の頃。

のびのびと育っていた六年間。

毎年、夏になれば母の帰省で

一カ月は沖縄で過ごします。

いつも夏がくるのが楽しみで楽しみで仕方なかった。

おばぁからゴーヤが送られてくると

もうすぐ沖縄へ行ける!と指折り数えてラジオ体操行っていたなぁ。


もう20年も前の沖縄はそれはそれは綺麗で

(ちょうどNHK朝ドラちゅらさんが流行ってた頃)

神奈川県で毎日を生活している私にとって

目に入る全てのものが楽園だった。



おじぃおばぁの家は沖縄の北部やんばる、本部町という場所にあり

したが海、上は山⛰と自然しかない場所だった。


おじぃの家が一番上で、それより上には山しかない。



夜になれば街灯はほとんどなくて

すぐ下にある電照菊の畑からは

虫や蛙たちが声を揃え一晩中鳴いていた。


まだ赤瓦の家だった頃は戸も薄くて部屋の中まで虫の声が聞こえたり


24時を回るとコウモリやなにかわからない獣たちのこえまで聞こえてくる。


夜から朝へバトンタッチするころ

今はもうないが

昔居間にあった

鐘時計が🕰ボーンボーンと四回なると


廊下の扉がひらきスッスツと歩く音と同時に


台所から音が聞こえはじめる。

おばぁがせっせとお湯をわかしお茶と線香を神棚、仏壇へ置いて拝むのだ。

信仰深いおばぁは

毎朝晩欠かすことなく

ヒヌカン(台所にいる火の神さま)とご先祖に手をさすりながら

ウートートーあー

ご先祖さまおはようございます…といいながら

自分の子供、家庭、孫の名前を全ていって

今日もみんなが健康に幸せでありますように。といっていた。


その時間、実に線香が半分以上なくなるまで。

おばぁは目を開けながら

まるでそこに

ご先祖様がいるかのように語りかける。


シワシワになった手を合わせ語りかけるおばぁの横顔を、いつも不思議に見ていたのを覚えている。


おばぁのウートートー(拝むことの沖縄の方言)が終わる頃、

引き出しから

はい、だーだー、お駄賃あげようね〜

アイスケーキ(アイスのことをなぜかおばぁはアイスケーキという)たべなさいね〜

と、おばぁからもらった50円をポケットにいれて

わたしはラジオ体操にでかける。


次へ続く…