どこかの誰かにとっては居場所
2024年6月28日(金)朝の6:00になりました。
常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことを言う。
どうも、高倉大希です。
生まれてこの方、クラブと呼ばれる場所に行ったことがありません。
どうしても、パリピが集まる賑やかな場所という印象があります。
クラブに、通っている。
そうと聞くと、自動的に「チャラい人なのかな」と想像してしまいます。
先日、tofubeats さんの『クラブ』という曲の MV を観ました。
そこに寄せられていた、ひとつのコメントを紹介します。
このコメントを読んで、衝撃を受けました。
自分が偏見をもっているだけで、どこかの誰かにとっては居場所なんだ。
朝までただ鳴り続けるビートと低音に、救われている人がたくさんいるんだ。
そう思った瞬間に、なんだか急に羨ましくなりました。
吉本隆明さんが書いていた、銭湯の話とよく似ています。
大勢の中の孤独を味わえるのが、銭湯であり、クラブなのかもしれません。
逆に言えば、学校という場所の苦しさの要因もここにあったような気がします。
大勢の中の孤独が、学校ではなぜだか許されません。
休み時間をひとりで過ごしていたら、友だちと遊べと言われます。
昼食をひとりで食べていたら、心配されてしまいます。
クラブに通っている人は、チャラい。
この偏見と、結局は同じなのかもしれません。
あなたが偏見を寄せるそれは、どこかの誰かを救っています。
あなたが偏見を寄せるそれは、どこかの誰かの居場所です。
知らないままに否定するのは、簡単です。
無自覚なままに人を傷つけるのも、簡単です。
今夜クラブに、出かけようかな。
明日も暇じゃない、予定あるけど。
サポートしたあなたには幸せが訪れます。