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ほめるな、ともによろこべ
2023年9月24日(日)朝の6:00になりました。
俺は、俺を信じてない。ただ、疑えない。
どうも、高倉大希です。
昔から、褒められることが苦手です。
褒められたときに、どうすればよいのかがわかりません。
気分をよくさせて、操ろうとしているのではないかと疑ってしまいます。
褒めるという行為の裏側には、なにかしらの意図があるような気がするのです。
実際に大人が子どもを褒めるときにも、操ってやろうという意図が見られます。
大袈裟に「すごいね」と言うことで、再現を促そうというわけです。
学びとは本来、「学びたいから学ぶ」という、自らすすんでする行為なはず。それなのに、学校は学びを「教わる」という受け身のものに変え、子どもたちを「教育サービスの消費者」に仕立て上げてしまいました。
小学生のころ、学校に行くことが嫌でした。
毎朝のように、登校をしぶっていました。
数ヶ月後には、気持ちの整理がつきました。
しかし、なかなか「明日から行く」とは言えません。
なぜなら、褒められることがこわかったからです。
親や先生から大袈裟に褒められる未来が、目に見えていたのです。
褒めるんじゃないんですよ、喜ぶんですよ。いつもいるでしょ、太郎のうしろに。決して褒めなかった。お世辞みたいな意味で褒めることは言わなかったけど、飛び上がって喜ぶんですよ、「キャー!すてき!」って。
上記の引用は、岡本太郎のパートナーである敏子に関する話の一部です。
褒めるんじゃないんですよ、喜ぶんですよ。
新しいことをするときは、だれだって不安です。
岡本太郎だって、わたしたちとおなじ人間です。
お世辞も言わない、おべんちゃらも言わない。
岡本太郎は、ともに喜んでくれる敏子に随分と救われたのだろうなと思います。
講義の後のちょっとした流れで学生に怒られたことがある。それが本章のタイトルでもある「先生、どうか皆の前でほめないで下さい」だった。ほかにも、皆の前でほめた後、急に発言が減った学生もいた。これはどういう心理なのか?
決して、相手のために喜ぶのではありません。
それだと、褒めているのとおなじです。
自分がうれしい。
だから、喜ぶ。
至ってシンプルは話です。
ほめるな、ともによろこべ。
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— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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