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#短編小説
赤い小箱が皆無の衒い
銭湯からの帰り道、路地裏の、電信柱が一本しかない暗い小道に赤い小箱が落ちていた。その前に突っ立った私は長いことそれを見つめた。見つめている間、夜風が吹いて髪が揺れたり、大きな鳥がゆっくり頭上を通ったりもした。
それは牛乳石鹸の赤い小箱だった。持ってみると中身は空で、なのに箱の輪郭はしっかりと強いまま、「箱」であること、それだけでしかなくて格好良く思った。ホテルに持ち帰ると、窓のところに置いて
サーティーワーンの窓際の席
どうして今まで誰にも言えなかったんだろうと思った。でもそれは簡単なことで、ただここの人たちが優しかっただけだ。
就活に疲れ果ててとうとうもうどうでもいいやと思ったからどこか知らない印刷会社に面接に言って私はその話をした。「生活の中でどういう瞬間に喜びを感じますか?」と聞かれて、私はどうしようと唾を飲んで、「やっぱりお水飲んでいいですか?」と、「やっぱり」の意味はわからなかっただろうけど、ペット
形骸化のフォーエグザンポー
一九九三年の朝五時頃に産まれた私は列を成してとぼとぼ歩く蟻の群れを見ては、その列に従わない蟻を必死に探す子どもだった。そんな蟻は一匹たりともいなかったのに。
やっぱり逸脱の在り方についてばかり考えていた二十代前半、私は大麻を吸ったり筋肉ムキムキの知らない男とセックスをすることで時間をはぐらかしてばかりいて、目が覚めた時には下高井戸の駅から徒歩四分、日当たりがめっちゃ悪いワンルームで青の光に包ま
コーディーに教えるその後の話
1998年4月14日にはハイウェイ61を一台の真っ青なワンボックスカーが時速75マイルですっ飛ばしていた。そこに乗っていたのはでっかい腹を抱えて、窓の外を切っていく風の音にも負けないぐらいの大声で叫ぶ母と、汗びっちょりの手でハンドルを握り、「大丈夫だ!もうすぐ着く!」と叫び続ける父で、そうして俺は産まれた。俺だけが産まれた。コーディーは死んだ。双子だった。本当は。
大事にしていたプテラノドンの