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サーティーワーンの窓際の席

 どうして今まで誰にも言えなかったんだろうと思った。でもそれは簡単なことで、ただここの人たちが優しかっただけだ。
 就活に疲れ果ててとうとうもうどうでもいいやと思ったからどこか知らない印刷会社に面接に言って私はその話をした。「生活の中でどういう瞬間に喜びを感じますか?」と聞かれて、私はどうしようと唾を飲んで、「やっぱりお水飲んでいいですか?」と、「やっぱり」の意味はわからなかっただろうけど、ペットボトルの水を飲んだ。そして、言うか、と思って、「彼氏がずっと朝から晩までゲームやってるんですけど、」と話し始めた。
 鋤川くんは朝から晩までゲームをやっていて、昔付き合っていた恋人は酔っ払いに殴られて死んだ。検察から直接言われたり裁判所で弁護士の口から何度も聞いたりして、犯人の酔っ払いは、人と人が戦場で撃ち合うゲームをよくやっている奴だった。それと今回の事件を結びつけるのはあまりにも安易なことだと鋤川くんもわかったけど、何回も何回もそのことを聞いているうちに、彼はだんだん腹が立ってきた。裁判所からの帰り道に新宿西口のヨドバシカメラに入って、ゲーミングPCとデバイス一式を買って、クレジットカードは一瞬で限度額を迎えたけど、恋人が殺されたからそんなことはもうどうでもよかった。
 鋤川くんは液晶画面の中で自分の操作するキャラクターが撃ち殺される度に「くっそ」と言うけど、私にはそれがただゲームに負けて悔しがってるようには聞こえない。今自分を撃った奴は、恋人を殺した犯人だったかもしれない。だから私には「なんで?」「なんで殴ったの?」「なんで殺したの?」ってそういう感じに聞こえる。彼はわからなくていいものをわかろうとしていてそれは他人から見たら滑稽で愚かなものに映るだろうけど、私にはそういうのなんか少しわかるような気もするよ。だって負けっぱなしなのって嫌じゃん。恋人殺されたら全然楽しくないじゃん。誰に何言われようとそうなんだもん。だから夕方の喫茶店で私は氷が溶けて汗をかいたアイスコーヒーの側面を少し触りながら「そいつのプレイヤー名とかわかんないんでしょ?」と言った。鋤川くんは「わかんないよ」と冷たい目でじっと私を見ながら言う。あまりにも見てくるから私は鋤川くんの顔を見れない。
「もう既に戦ったことあるかもね」
「そのとき俺勝ったんかなぁ」
 私は「きっと勝ったよ」と言いかけて、そういう中途半端な根拠のない優しさを投げかけることはやめようと思って、「どうだろうね」と素っ気なく言った。
「勝ってたらいいな」と鋤川くんはまた私の目を見て小さく言った。彼の目から細い涙が垂れてきて、私はそういう奇跡みたいな瞬間に出会った時、喜びを感じます。
 そう言った。
 川端さんが「そうですか」と冷静に言って、私はその会社に入った。
 わからない。さっきそういうの少しわかるって言ったそばからわからない。もし今ゲームの中で戦った相手が、自分の恋人を殺した犯人だったかもしれないと思いながら、過去の自分に「勝っていてくれよ」と託し続けながら生きることの苦しさが私には本当のところでわからない。だからずっと見てる。ずっと見て、怒りながら机を叩いている鋤川くんを見て笑ったりもする。笑わなきゃいけないんだとも思う。笑えない時もある。私の方がマジになっちゃって、なんで勝てないの?と泣きそうになる時もある。
 私はここに、私の力で新しい幸福を持ち込もうなんてそんな生ぬるいことをいつも言いかけてやめる。会社の給湯室で川端さんが「緑茶を飲むぞ〜」と自分の行動を具体的にいつも言うから、「全部言いますね」と笑って、二人で給湯室で緑茶を飲んで、嗚呼、楽しいかもな、ってそういう時に、ダメだ、やっぱり、新しい幸福とかそんなんじゃないよ、って思う。あなたは勝たないといけない。だってそいつは、昔あなたの恋人を殺した犯人なのかもしれないんだから。あなたは勝たないといけない。勝たないといけないとかそんな決まりはないんだけど、一回やるって決めたんなら、犯人と直接話してみて理解できないんだと思ったんなら、いつでも放棄できる理解ののりしろをそれでもあなたは手放さずに居られる? なんで? みんなすぐに諦めるんだよ?

「ねえたまにはサーティーワンとか連れてってくれても、いいんじゃな〜い?」ともじもじしながらふざけて言ったら、「行こうよ」と本当に一緒に行ってくれた。新宿のピカデリーの近くの。そして一緒に映画も観た。私は嬉しかったのはもちろんだけど、びっくりした。普通の恋人同士みたいじゃん。でもその普通って何? 別に今までも普通だったよね? 異常なの? 恋人がずっと復讐めいた態度でゲームやってるの見てるのって異常? でもなんでもいいや。「ロッキーロードが一番うまい」と鋤川くんは言った。窓際の席で。

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