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平日の夜

 一回目のコロナが来た時に、安倍晋三の家に侵入した女がいた。私と同じ1993年産まれのその知らない彼女は退屈で醜悪なニュースサイトでは「逮捕されたくて入った」と報じられていたけど、別の記事では凶器と明確な殺意を持って侵入したとも言われていた。
 私はなんとなく後者じゃないの? と思った。

 それから一年か二年が経って、小僧を肩車して私は夕方の下北を歩いていたわけだけど、なぜかそのことをふと思い出しては黙っていたのだ。小僧は私の茶色い髪の毛をハンドルのように掴んでツインテールにしては操作して思い通りに動かしたい。もしくはそれが思い通りの方向じゃなくてもとにかく自分が叔母を動かしているという感覚を楽しんでいた。気候が良いだけで簡単に記憶の小景に取り込まれて動けなくなる時代が終わった今、それが実は大切な原動力めいた何かだったと気付いて切望している愚かな私は恋人の葬式で暴れたことがある。

 そのニュースを見たのは渋谷からの帰りのバスで、マッチングアプリで出会った男が隣に座っていた。マッチングアプリで出会った男は前髪が重めの死ぬほどのイケメンで、それこそマッチングアプリの広告に出てくるような優しさを持った最高な奴だった。私だけだと思う。マッチングアプリを使ってマッチングアプリの広告みたいな男と付き合ったのは。大体において「一瞬の安心」という存在しないものを追い求めてこういう出会い系に手を出す人がほとんどで、いやまぁ知らないけど、それは存在しないから、私は一瞬どころか一年間の安らぎを手に入れられたのは本当に運でしかなかった。マッチングアプリの広告みたいな男は名前が「白川連二郎」と言って、それもマッチングアプリの広告みたいな名前で、なんで付き合ってくれたのかわからないけど、私の無気力を気に入ってくれたみたいだった。私が送った一発目のメッセージは「映画みに行きましょう」で、すぐに「いいですよ〜。なにみます?」と返ってきた。なんで?
 こういう奴はやっぱりマッチングアプリでは引く手数多らしく、死ぬほどセックスしてきたんですけど飽きました、と言って、「あ〜そう」と私は新宿のTOHOシネマズのロビーでその話も割とどうでもよかった。イケメンだから自撮りの写真をガンガン上げろ、SNS上では淡白な態度を保て、ピアスを着けろ、舌をペロッとして白いフィルターを無茶苦茶かけろ、など具体的なアドバイスをする度に白川くんは「うんうん」と従って、すぐにフォロワーが三万人ぐらいになった。私に構え、構うな、を予期せぬタイミングで交互に繰り返すワガママにも辛抱強く付き合ってくれた。起きたら洗濯をして寝る前には皿を洗った。
 白川くんは狂ったように色んな女の子に性器を挿入していたから、私と一緒にいる時も過去の精算に時間を取られて二人ともイライラすることがたまにあった。「殺す殺す殺す殺す殺す」と連呼している留守電が残っていたり、引用リツイートで「友達がこいつに薬盛られて犯された」と書かれたり、まぁそういうのがたくさんあって、私は別に何でも良かった。なぜなら白川くんは私が仕事から帰ってくると、炊きたての米とぶり大根を出してくれたし、一緒に風呂に浸かった時には肩を揉んでくれたからだ。私のいないところで極悪人だとしても私といる時はマッチングアプリの広告みたいな男を全うした。例えそれが嘘だとしても、同じ部屋でずっと演技をし続けたのなら、私にはそれができないから、偉い。そして、だから、そんなことは誰にもできない気がするから、演技じゃなかったってことだよね? あなたはマッチングアプリの広告のような男でありながら実は一人の人間としてそういう類型から解き放たれた上で善良だった。
 私はお通夜の日にそういうことを思いながらパイプ椅子を蹴っていた。だって私ともう一人知らないおばさんしか居なかったから。孤児だったのだ。白川くんは。産まれてすぐ目黒の郵便ポストの上に捨てられていた。そんなことも知らなかった。
 そのおばさんは河北さんと言って、児童養護施設の指導員だった。夜の、二人しかいないのにたくさんのパイプ椅子が並んだそこで、白川くんの過去を聞いた。暴力的で手をつけられなかったから里親にも引き取られず、十七歳になった時に「バイトしながら暮らすわ」と一人出て行ったらしい。そこからだんだん掃除や料理を覚えていくために河北さんの元を訪ねて来たりする白川くんの話を聞いてると辛くなってきて、「すいません、ちょっと、それ以上聞くと立ち直れなくなりそうなので、また今度でもいいですか」と白川くんの過去を知るのを私は辞めた。そして「叫んでいいですか?」と河北さんに許可を取ると、ただ「うわ〜」とか「おりゃ〜」とか叫びながら椅子を蹴って回った。肩で息をしながら振り返り、「すっきりしました」と河北さんに伝えると、河北さんは悲しそうに微笑んで「良かった」とだけ言った。

 小僧が私のツインテールを左に曲げたので、空気を読んであげて、左折して路地裏に入ってあげた。すると小僧はキャッキャと笑い、自分の操作が通じたことを喜んで、私もそれで笑った。その後も小僧の操作に従っていると、ふと、白川くんが死んだところが近い事に気が付いた。もうすぐだ。ここのT字路を右に曲がった先の100円ローソンの前だ。小僧が左と指示を出したが、私はそれを無視して右に曲がった。「なんで! なんで!」と揺れる幼い股間を首の上に感じながらその言葉を無視すると、着いた。ここだ。多分。へ〜。意外にも「へ〜」でしかなかった。確かに、交差する道路が見えづらくて、如何にも事故りやすそうな場所だ。
 100円ローソンの中に入ると小僧に葡萄味のガムを買ってあげて、小僧はそれをおいしそうに噛んで簡単に機嫌が直り、私たちはまた秋が始まったばかりの夕方を歩いて姉ちゃんの家に戻った。

 ちゃぶ台に片肘を突いてぼーっとテレビを眺めながら、今あの人は刑務所で何をやってるんだろう、と思った。国の一番偉い奴を殺すという簡潔さが、恋人が死んだ場所に行っても「へ〜」としか思わない私には快く響いて、羨ましかった。そういう気合いが。姉ちゃんと小僧とゴマ豆乳鍋を食って、玄関でエアフォースワンの靴紐を結んだ。

 仕事場の同僚から「付き合って下さい」と言われて、やんわりお断りしたらブチギレられたのが一週間前で、やっぱり「顔がかっこよくないので無理です」とは言えず、その人から電話がかかってきた。液晶画面をチラッと見て、無視して現実の夜に戻った。SEIYUに入ってがぶ飲みメロンソーダを買うと、甲州街道沿いのガードレールにもたれかかって休憩した。めんどくさい。
 白川くんが死んだあとに彼のアカウントで死んだことを報告すると、たくさんの人が気遣う言葉を投げかけてくれる中、二つ、「男のくせに自撮り上げてるナルシストを見てるの気持ち悪かったんで死んで良かったです😄」というのと、「それも嘘ですよね?」というリプライが来た。あの二つのリプライを思い出していた。そういうことを送ってしまう人の気持ちは全然わからないのに、安倍晋三の家に入った人の気持ちはなんだかわかる気がして、でもそれも気がするだけで確かじゃない、という自分のその厳しさは無駄だと初めてそう思った。わかんないよお前ら。その浅いカウンターでもう辞めることにした。他人に迷惑をかける悲しい螺旋階段に巻き込まれてその中で得られる喜びが生きがいの人たちには無視が一番効くぜ。ガードレールから腰を離すと車の流れに逆らって街灯の橙色に染まる歩道橋の階段を上がりながら、少し、このなんてことないただの平日の夜に、私は少し楽になった。

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