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水辺の暴力

 恋人がボクシングを始めた。
「なんで?」と聞くと、彼女は膝を立てたまま鯖の塩焼きを箸でほぐして、「別にいいじゃん」と言った。だから自分も、ああ、うん、としか言えない。
 百貨店の中にある靴下屋で毎日静かに、静かにかは知らんけど、働いている人が急にボクシングを始めることってあるんだろうか。いや、あったんだけど。
 何が書いてあるのか全くわからない詩集だったり、どこが良いのかさっぱりわからない格調高そうな音楽だったりをいつも、お風呂上がりに読んだり聴いたりしていた彼女が、最近はもっぱら「走ってくる」と夜遅くに出て行く。そして今ではもう腹筋がバキバキの腕はムキムキで、彼女は強くなった。そしてあんまり楽しそうじゃない。それこそ、走りに行く前なんかは髪の毛をかきあげたまま突っ伏して、突然「走ってくる」と言う。悩み抜いた末に出した結論、みたいな言い方で。
「別れよう。そして最後に殴り合おう」と提案された時、俺はなんて答えたのか。そしてどうして人は喧嘩をする時に河川敷に来てしまうのか。麻薬や銃の取り引きもだいたい船着き場だし、呑気にそんな、水辺の威力を思っていたら、恋人は集大成みたいなシャドーボクシングを始めた。「シュッ」と放った左ストレートが月の光を跳ね返して白く光る。その残像の感じをずっと覚えている。最後に殴り合いをしたおかげで兆ちゃんと暮らした時間が、兆ちゃんって言います。名前。より特別なものとなって、それを兆ちゃんはどのぐらいわかっていたんだろう。
 気づいた時にはもう視界が波打ち始めて、川岸の向こうにある大きな団地の光が、あそこにいる人たちは今日何してたんだろうか、こんな決定的なことがみんな毎日起きてんの? という思いをもたらした。
 アゴの骨が折れてます、と医者はめんどくさそうに言った。退院後に家に帰ると、彼女の荷物はなくなっていた。ベランダに出て煙草を吸うと、下校中の子供たちが笑っている声が聞こえてきて、あ〜、寂しいなこれ、と思った。
 自分は今、道路工事のアルバイトをしていて、柔らかい土やコンクリートを見ているとたまに兆ちゃんの肌を思い出す。本当にたまに。一年に一回ぐらい。だからもう思い出さない時間の方が多い。新宿五丁目交差点近くの道路を工事している時、休憩がてらうろうろと散歩していたら、アルタ前のビジョンに兆ちゃんが映っていて、プロのボクサーになったみたいだった。よくわからんオランダの世界チャンピオンと今度戦うらしい。もしそいつを倒したら連絡しようかな、いや倒さなくても連絡しようかな、いややっぱやめよ、と思ってあくびをした。ぽきっ、と音が鳴った。

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