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コーディーに教えるその後の話

 1998年4月14日にはハイウェイ61を一台の真っ青なワンボックスカーが時速75マイルですっ飛ばしていた。そこに乗っていたのはでっかい腹を抱えて、窓の外を切っていく風の音にも負けないぐらいの大声で叫ぶ母と、汗びっちょりの手でハンドルを握り、「大丈夫だ!もうすぐ着く!」と叫び続ける父で、そうして俺は産まれた。俺だけが産まれた。コーディーは死んだ。双子だった。本当は。
 大事にしていたプテラノドンのフィギュアを母が間違って捨てた時も、高校受験に向かう地下鉄が人身事故で止まって遅刻しそうになった時も、初めてできた恋人に振られた時も、いつも右の肩の上にはコーディーがいる気がして、俺は顔も声もわからないはずなのに、その存在を何かしらの、自分を自分として繋ぎ止めるパワーとして使った。
 ミリアンの家にみんなで遊びに行く日の夕方、幼い時から人見知りが激しかった俺は家を出る直前になって「行きたくない」とごねて、そして言ってはならない「俺じゃなくてコーディーが産まれてたら良かったね」という言葉を、何の考えもなしに放ってしまった。母は呆然というか、力が抜けたような顔になって、父は「ビリーもう何も言うな。今すぐ謝れ。それで終わりだ。ミリアンの家にも行かなくていいし、今後一切全てお前の好き勝手にしてくれていい。ただ、今すぐ謝ることができたらだ。それだけでいい」と言って、俺はすぐに謝った。自分のワガママを承認された途端申し訳なさが襲ってきて、結局ミリアンの家には行ったけど、ミリアンがミニチュアの豪邸について事細かに説明している時も、ずっと俺は両親のことを考えていたし、それはつまりコーディーのことを考えるということでもあったのかもしれない。
 これらは新聞記者になった一年目、あまりの忙しさに自分のデスクの前で灰色のくたびれた椅子に体の全部を預けて天井を見ながら眠ろうとした時に思い始めたことで、その初めて振られた恋人っていうのはもちろんミリアンだった。休み時間になる度に俺の机の前にやってきてミニチュア人形が着ているドレスのレースが凄い綺麗で、とか、今度は黒のドレスも買いたいだとか、それでミリアンは服飾の専門学校に通い始めた。「あなたは自分のことしか考えていない」という理由で朝の光がたっぷり溢れる公園で振られた時、俺はもう今では誰もいないその真ん中のベンチで「じゃあ一体誰が自分以外のことを考えてるって言うんだ」と静かに怒りを携えていた。コーディーが「焦るな」と言った。でももう誰もいないんだけど、と応えた。すぐに大学に戻って、フォークナーの文章についてのテキトーな何ちゃらをゼミで発表して、『響きと怒り』ってこのことか、とミリアンのことばかりを考えた。
 父はすぐに上海に単身赴任になって、あれから十二年が経った今でも帰ってこないし、母は癌で二秒ぐらいで死んだ。
 会社と家を往復するだけの毎日の中でコーディーの姿形は段々と薄くなってきて、最終的には風に吹かれてどこかに消えた。
 「いわゆるうつ病です」と医者から言われた時、「そんな事ないと思いますけどね」と反射的に返すと、「私が決めることです」と、その年老いた医者は優しかった。
「働きすぎなので休んで下さい」
 大学で唯一できた友達のグレッグに久しぶりに連絡をすると、「俺今シューティングゲームにハマってるから一緒にやろうぜ」と誘われて、すぐにプレイステーションを買った。毎日二人で他人を撃ち殺す日々の中で、コーディーがまた誰にも気付かれないスピードで現れ始めた。グレッグは「どうしてビリーは毎日休みなんだ?」と聞いてこなかったし、俺もグレッグに「君もうつ病なの?」とも聞かなかった。それがもう半年続いている。グレッグが手榴弾を相手の家に向かって投げて、俺がダッシュして屋根の上に登る。グレッグが何の遮蔽もない野原からアサルトライフルを撃って、じりじりと、敵を追い詰めると、彼らは慌てて家を飛び出す。コーディーが「今だよ」と言う。俺は屋根の上からショットガンを連射して、倒れた相手の上に向かってジャンプする。背中に太陽を背負った俺の顔は、地面から見ると逆光になってきっと見えないだろうなと思う。

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