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きれいごとの実践

 北方謙三の『三国志』を読むために図書室に行ったら、隣のクラスの三池さんがいた。いたっていうのは、そこにいたってことじゃなくて、入口近くにあったファッション雑誌の表紙が三池さんだった。あ、隣のクラスの人だ、と思って立ち止まってまじまじと見た。かわいい。付き合いたい。手を握ったり握られたりしたい。
 三池さんはなぜかいつもオーディオ研究会の人たちといた。オーディオ研究会という名前はもう名前だけになって、実際はただ部室に集まってテレビゲームをやっているだけの部活だった。
 昼休みに三池さんがオー研の三人とパンを食っていたらサッカー部の誰かが三池さんに「ねえLINE教えて」と話しかけて、三池さんは無視した。あまりにも無視するので、ジャムパンとメンチカツバーガーを交互に食っていた黄介くんが「鈴ちゃん、話しかけられてるよ」と言った。「サッカー部嫌いだから無理」と三池さんが言うと、サッカー部のそいつは舌打ちして仲間たちのところに戻って、仲間たちは楽しそうに笑った。その話を誰かから聞いた。顔がかわいくてかっこよくもあるんだ、と僕はこっそりファンになった。
 オー研の三人とも三池さんとも卒業するまで話したことはなくて、でも「あの四人組はいつもいいな」と思っていたから卒業式が終わったあとの、教室に戻るまでの変な時間にそれだけ伝えておこうと、渡り廊下を四人が並んで歩いている背中を小走りで追いかけて、黄介くんに「ごめん」と言った。四人とも不思議そうに僕の顔を見ると、「いや、別に、あの〜、あれなんだけど、いつもこの四人組最高だなって思ってて、それだけ、言っときたくて、あ、僕隣のクラスの佐々木なんだけど、」
「うん、知ってる」
「あ、うん、そう、ただそれだけなんだけど」
黄介くんは少し不安げな様子を現しつつも微笑んで、「ありがとう」と言った。
三池さんが「もっとそれ早く言ってくれてたら仲良くなってたかもね」と、僕と、オー研の三人に向かって言った。
「あー、そっか、そうだね、そうかも」
「うん」
すぐに山室くんが「大学どこ行くの?」と聞いてくれて、
「行かない。東京行く」と、少し後ろにいたところから黄介くんの横に、五人が横並びになるように、でもそれがバレないように、進み出ながら応えた。
「へー、いいね」
「東京行っても囲碁やるの?」
 僕が囲碁部に入ってたことを箕島くんが知っていたことに少し驚きながらも、「うん」と応えた。

 東京に出てきてから十年が経って自分は二十七歳になったけど、未だに酒屋の配達のアルバイトをしながらその隙間でオンラインで囲碁を打って勝ったり負けたりしていた。暇で感傷的な人間誰しもがやるように、乱雑に美化されたその過去を引っ張り出そうと無理をしてインターネットで「三池鈴」と調べると、二〇一七年で更新が止まったツイッターアカウントが出てきた。プロフィール欄にあるメールアドレスから連絡して、新宿の煙草が吸える喫茶店で三池さんと十年振りに会った。
 彼女はハイライトメンソールの火を灰皿に押し付けながら「何に期待してるのか知らないですけど本当に何もないですよ」と言った。ちょっと怒ってる感じだった。肩につくかつかないかぐらいの長さの髪は真っ赤だった。
「いや、期待とか、どうなんだろう、そういうつもりもないはずなんですけど、はい、なんとなく」

 三池さんはアイスコーヒーをめんどくさそうに飲みながら、高校卒業と同時に上京してしばらくモデルをやっていたけど三年前に辞めたという事を話した。
「こういうのってこのあとセックスするの?」
「してもいいししなくてもいいんじゃないですか?」
 なんで来たんだろうと思った。どんな部屋に住んでいて、今日どんな気持ちで歯磨きしたり靴履いて家の扉に鍵をかけたんだ。それでそれを聞いた。
「三池さんってどんな部屋住んでるんですか?」
「見に来る?」

 三池さんの家は東横線沿いのどっかの駅(名前覚えてない)から歩いて四分ぐらいの四階だった。思っていたよりも高級なマンションだった。なんで勝手に木造二階建てだと思っていたのか。でもそれは愛着のある木造二階建てだから、別に見下していたとかそういうことではない、と言いながら、三池さんがサッポロ一番みそラーメンを作っている横に立っていた。
「黄介くん山室くん箕島くんとは連絡取ってるんですか?」
「取ってない」
「そうなんですね」
「うん」
「うまいですねラーメン」
「誰が作ってもこうなるよ」

 ベランダに出て、駅までの一本道を通る車の群れを見た。
「なんで囲碁飽きないの?」
「好きだからですかね」
「強いの?」
「そんなです」
「ムカつかないの?」
「ムカつきます。物とかめちゃくちゃ投げますし大声も出します」
「怖っ」
「固執してます」
「それ本当に好きなの?」
「どうなんですかね。好きだとは思ってるんですけど」
「あーそう」

 ラーメンを食ったらすぐに帰った。

 三池さんと会ったのは結局その一回だけで、まぁまた今後会うかもしれないけど、それだけで、あの日のことを自分はよく思い出す。原付で配達を回っている時の信号待ちなんかに。コンビニでハイライトメンソールを見かける度に。スーパーでサッポロ一番みそラーメンを見かける度に。囲碁で負けて大声を出す直前なんかに。ただ外が晴れてるだけの時なんかに。ただ外が大雨なだけの時なんかに。

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