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月光、幻想、死、狂気――ドイツでロマン派博物館を巡った

「すべて、見えるものは見えないものに、聞こえるものは聞こえないものに、感じられるものは感じられないものに付着している。おそらく、考えられるものは考えられないものに付着しているだろう」

―Novalis『青い花』

単身欧州出張の帰国日、朝から夕方までの時間フランクフルトの街を駆け抜けて観光してきた。
かねてから行きたいと思っていたDeutsches Romantik Museum(ロマン主義をコンセプトにした博物館は世界でここだけ)での体験を旅情と共に書き残しておこうと思う。

ゲーテ『若きヴェルテルの悩み』(1774年)における「愛」、フィヒテの「哲学」、ホフマンの『牡猫ムルの人生観』『砂男』における「自由」、グリム兄弟の「ナショナリズム」。
夢、霧の谷、暗い森、廃墟、自然、神話、そして青い花。ドイツロマン主義は奥が深い・・・・。

*その場で書いたメモをそのまま貼ったりしているので読みづらいです、すみません……時間みつけて定期的に校正していきます)


天国の階段を昇る

いきなり余談になるが、博物館へ行く数時間前レーマー広場をぶらぶらしていると偶然素敵な古書店を見つけた。

奥の階段を昇ろうとしたら「そっちに本はないよ」とおじさまに止められた

古独語で書かれた本まで幅広く扱う店らしく、目ぼしい本を自力で探し出す自信もなかったため、店奥に座っていたおじさま(背が高い!温かい紅茶みたいな良い声がする!)に良い詩集がないか聞いてみると、店のあちこちから本を引っ張り出して候補を出してくれた。悩んだ末、リルケの『Der ausgewählten Gedichte erster Teil』を購入。
雑談しているとおじさまから「ドイツ語が読めるの?」と訊かれ、再勉強すれば、と答えながら、あの時間が有り余ってた学生時代にここを訪れてゆっくりドイツ文学に浸りたかったな・・・とひとりごちた。

購入したリルケの本↑

せっかくなのでE・T・Aホフマン(『くるみ割り人形とねずみの王様』で有名)の本はないか尋ねてみたら(結果なかったけど)、もしやホフマンの展示会に行ってきたのかいと言われて初めて、当日最後に回る予定だったDeutsches Romantik Museumでホフマン展が期間限定で開かれていることを知った。
絶対見るべきだ、行く価値はあるよ、とおじさまに薦められたことあっていよいよ期待が高まる。

E・T・Aホフマン展のポスター!

さて、Deutsches Romantik Museumはドイツの フランクフルトのインネンシュタット地区にある。隣接するゲーテ ハウスも素敵だったけど、子供の頃から傾倒していたロマン主義(ドイツのものに限らずアメリカやイギリスのも好きだけど)の文学、音楽、美術だけにスポットが当たった博物館はまさに天国のような場所だった。

「そっちは入口じゃないわよ」ってカップルに呼び止められた
真・入口
受付でチケットを買う。背景はペトラ・アイヒラーとスザンヌ・ケスラー(『サウンド・オブ・サイレンス』)によるインスタレーション

帰国後知ったけど、この博物館ができたのは結構最近だったらしい。
体験型の鑑賞ができるようマルチメディアを駆使した展示物は目も耳も刺激され、没入型アトラクションみたいで全く飽きない空間だった。

わたしは早歩きでぐるぐる館内を周り少しでも作品を目に焼き付けようと息を切らしていたけれど、他の来訪者たちは、立ち止まって絵や手書きの原稿を読んだり、ロマン派オペラをヘッドホンで視聴したり、書き物をしたり、秘密基地のような入り組んだスペースに腰をおろして読書したり、皆思い思いにリラックスして芸術を楽しんでいたのが羨ましい。毎週末ここで過ごすためだけにフランクフルトに赴任希望出そうかなってわりと本気で思った……。

入ってすぐ目に入るのは出窓から薄ら漏れる青い光に照らされた一階から三階を貫く大階段は、展示室に直射日光が当たらないよう一定の距離を取るための設計されたらしい。階段右手から各階へ行くことができ、二階から順にテーマを巡り建物の上へ上へと昇りつめていくことで構成とクライマックスを楽しむことができる(階段の写真は取り忘れたので上記のサイトからどうぞ)。実際息は切れた。

階段横の出窓。Novalisの『Die Lehrlinge zu Sais』の一節が光明のよう

この階段は、無限に続いていくような目の錯覚を引き起こすため、「天国への階段」と呼ばれているらしい。

各階のテーマをじっくり読む暇はなく本能の赴くまま鑑賞したので、この博物館が語るストーリーを楽しみきれないまま勿体無い見方をしてしまったけど、ここからは特に印象に残ったものから順にまとめておこうと思う。博物館が案内してる順序になってないのでご注意を。

不気味な視線

鑑賞者をぐっと惹きつけると同時に、向こうからも視線を投げかけてくる絵画たちはヘンリー・フュースリーの手によるもの。

DER NACHTMAHR 1790/91

若い女性が苦悶の表情で横たわり、その胸元ではゴブリンが蠢き、不気味な馬がカーテンから頭を突き出し見下ろしている……。DWJの世界観のようで想像力を搔き立てられる。

DER TOD DER CORDELIA
Um 1810/20

取り返しのつかないこと。

コーデリアの死。タイトルを見なくても主題が理解できる絵もあって嬉しい。

DIE WAHNSINNIGE KATE

目を逸らせない

これはフュースリーと同時代のウィリアム・カウパーの詩『The Task』を着想としている。恋人が溺れ正気を失った少女、ケイトは、風雨と絶望に曝されながら、浜辺を彷徨っている。精神の境界が曖昧になってしまったことを暗示するように、彼女の足は岩は一体化し、恍惚とした表情とは裏腹にその髪とローブは嵐によって千々に乱れている。

DAME AM FENSTER BEI MONDSCHEIN Um 1800/10

月と窓辺と貴婦人

女性というモチーフからくる柔なイメージより、鋭さを強く感じる。つ、と伸ばされた腕が良い、腕が。

BRITOMART BEFREIT AMORETTA AUS DER BEZAUBERUNG DES BUSIRANE 1824

妖精の女王、いつか手に入れるぞ……

余白のない絵なのにこの躍動感。エドモンド・スペンサーの『妖精の女王』の ワンシーン。地下牢にて魔術師ブシラネが若いアモレットを捕らえているが、騎士の格好をした乙女ブリトマートによって解放されようとしている。

UNGEDEUTETE SZENE Um 1810/25

最初この絵が妖精の女王に見えた

未解釈のシーン。

世界をロマン化する

元々、“Roman“「ロマン」、つまり“romantisch”「ロマンティック」という言葉は、‚wie in einem Roman‘「小説の中のような」という意味を持ち、軽蔑的な意味で、架空の物語やありえない戯言を想起させるものだった。

しかし時が経つにつれーーたとえばイギリスで「ありえない」ものが実際に発明され世界が夢を見始めた頃ーー想像力そのものが尊重される風潮へと変わり、それに付随してロマンという言葉の暗示するものも変容を遂げる。“romantisch”は、感情と空想によって形成される世界の認識やその態度(を称揚する態度!)を表すようになったのである。

なんて素敵な動詞なのだろうか

初期ロマン主義を代表する詩人ノヴァリス(本名フリードリヒ・フォン・ハルデンベルク)の

“DIE WELT MUSS ROMANTISIRT WERDEN”「世界はロマン化される必要がある」

という言葉は、ラテン語の「Fragmente」 を訳して『Bruchstück』“断章”と呼ばれた大量のメモ書きの冒頭に著されている。
生前は出版されなかったこのメモ書きは後に文学の一形式として評価されるようになった。

ここでの「ロマン化する」という言葉の意味は、見知ったものが不可解な存在にし、不可思議なものが見慣れたものする「異化」が比較的近いニュアンスなのではないかと勝手に考えている。思考停止や伝統をそのまま受けいれるのではなく、想像力に身を任せ思考のプロセスに一捻り加えるのが「ロマン的なもの」の魔力であるからだ。現実性を帯びたものを日常的空間から乖離させる魔力を持ったまなざしは、物事の本質を捉えようと思考することを助けてくれる。

わたしがロマン主義に惹かれるのは、いわゆる“ロマンチック”な物語や芸術が好きだから、という理由ばかりではない(エキゾチスム・オリエンタリズム・神秘主義はあくまでロマン主義に付随する題材であって、美味しい果肉であってもその本質ではない)。上記のとおりロマン主義の思考の様式は事実をそのまま受け入れるのではなく、夢と現実、他者と自我、存在と非存在、自然と人工、といった二律の境界を跨ぎ、観念的な深淵を覗き込む知的活動である。もともと感情とは非合理なものだから、よくロマン主義の主題になる自我の探究もこの「境界」に足を踏み出す行為にあたる。たぶんその方向を間違うとホフマンの悲劇的な主人公のように都合のいい感情や解釈、すなわち妄想に囚われることになるのだろうが、この思考実験そのものがときに芸術として単純に美しい作品になるところがロマン主義の良いところだと思う。

ちなみに、かなり雑にいえばルネサンスが中世への反発であったのと同様、ドイツロマン主義はテーゼ(古典主義や教条主義、フランスの啓蒙主義)へのアンチテーゼ(ロマン主義)である。つまり反骨精神をその性質として持っているのだ、ロックンロール!


DIE WELT MUSS ROMANTISIRT WERDEN, FRÜHJAHR 179 Doppelblatt ausden Logologischen Fragmenten. Mit Anmerkungen und Markierungen des Herausgebers Eduard von Bülow

編集者のマーキング付き

LUISE KÖNIGIN VON PREUSSEN, 1797/98; FRIEDRICH WILHELM III. KÖNIG VON PREUSSEN, 1797/98

フリードリヒ・ヴィルヘルム3世国王夫妻のパステル画。淡い色遣いの絵で、国王と王妃は親しみやすい柔和な表情を浮かべている。
『プロイセンのルイーズ』は 1797 年から 1798 年頃に書かれた『信仰と愛』(ノヴァーリス)と同時期に作られた。彼らは王族というよりむしろブルジョワのような質素さを持つ理想的な統治者の夫妻として描かれているが、実のところそれは現実から乖離した姿だ。つまり彼らは絵画という媒体を通じて「ロマン化」されているのである。絢爛な印象がないのはわざとなのね・・・

どうでもいいけど、「おまえをロマンチックにしてやる」ってなんか良くない?このブース見てるときにふと思っただけなんですけど……

寂しさを求めて

ERINNERUNG AN ROM II, 1839Öl auf Holz.(1796)

“黄昏にあの日二人で眺めた謎の光思い出す”という歌詞が浮かんでくる

カール グスタフカルースによって、前景のラファエロとミケランジェロが夕方の薄明の中でローマとサン・ピエトロ大聖堂の望洋とした景色を眺めている様子が描かれている。この光景は”ロマンチックな”再会なのであるーーなぜなら二人ははサン・ピエトロ大聖堂の制作に携わったものの、建物の完成を見ることはなかったからだ。

二人組といえば、別のブースに1794 年の夏ヴィルヘルム・ハインリヒ・ヴァッケンローダーがティークに宛てた手紙が展示されていた。
ハイキング野思い出についてヴァッケンローダーは次のように述べている。

"Die Natur war unser Hauptzweck bey der Reise; Bergwerke, und alles Nützliche u Lehrreiche, wie man es nennt, haben wir vernachläßigt."  

BRIEF AN SOPHIE TIECK, GÖTTINGEN, 29. JUNI 1794

「自然こそが我々の旅の目的だった。鉱山や有益で為になると評判のものたちすべてを無視した」

Wir „freuten uns der romantisch einsamen Plätze“

「我々はロマンチックで寂しい場所を楽しんだ」

青きノスタルジーの花

ロマン主義といえばやはり「青」なのだけど、その起源ともいえるノスタルジア(ドイツ語でSehnsucht)を描いた作品がここで紹介されている。

『Heinrich von Ofterdingen』はドイツの詩人ノバーリスの未完の小説。『青い花』の訳名で知られる。時は中世、ある夜夢に見た青い花の中に佇む少女を求めて旅に出た主人公ハインリヒが詩人として成長する過程を描いており(第1部「期待」) 、第2部「成就」では詩と愛と信仰によって現実からの解放された詩人の活躍と栄光が描かれるはず”だった”。実はこの小説、第1章のなかばで中断されたままに終っているのである。

ゲーテの『ウィルヘルム・マイスター』に対抗して書かれたこの作品はノバーリスの最高傑作であるばかりでなく,ドイツ・ロマン主義の代表作であり、彼のいう「魔術的観念論」の結晶とい呼ばれている。ロマン的憧憬の象徴として現れる「青い花」の名はドイツ・ロマン主義の異称として以後広く浸透した。
 
ノヴァリスが青い花の夢を書いているのと同じ頃、ベートーヴェンはSonata quasi una Fantasiaを草稿していた。そのピアノ曲(ピアノソナタ第14番嬰ハ短調、1801年)は同じ展示室で聴くことができた。

KLAVIERSONATE NR. 14 CIS-MOLL, 1801

なんだかモンゴメリの『青い城』を読み返したくなる

ゲーテの魔術

この博物館のメインディッシュ、ゲーテのコーナーも面白かった。ところでゲーテがロマン主義を代表するという見方はあくまで国外からの評価であって、ゲーテ自身はロマン主義を自称していなかったし国内では古典派と看做されているというのは初めて知った。ホフマンのこと好きじゃなかったんだもんね…

CHARLOTTE KESTNER GEB. BUFF Um 1782, 

ゲーテはインターン生として赴いたヴェッツラーの宮廷控訴院シャーロット・バフと出会い、既に婚約者のいた彼女に恋に落ちた。ゲーテその経験を書簡体小説『若きウェルテルの悩み』に取り入れた。ウェルテルとファウストはこのフランクフルトの地で書かれ、多くの芸術家を魅了した。

ALCHEMIST / DR. FAUSTUS Um 1680/90

17 世紀のオランダ美術で盛んに用いられた錬金術師、魔術師、魔女のモチーフ。

ゲーテはファウストの初期の出版物の口絵に、レンブラントの最後の弟子であるデ・ゲルダーが描いた錬金術師のエッチングを使用した。

DER ALCHEMIST 2. Hälfte 18. Jh.

床に置かれた動物の頭蓋骨と魔法の本、天井からぶら下がっている小さなワニは、彼がサソリを使って行う魔法の実験を暗示しているらしい。

FAUST UND GRETCHEN, MARTHE UND MEPHISTO IM GARTEN 1863

ゲーテの『ファウスト』の庭園のシーンをグリザイユ(モノクローム)で描かれている。

約束の地

ゲーテの友人たち

とても美しい風景画ばかりが飾られた展示ブースは、ゲーテが「人生で完全に幸せだった」という2年間のイタリアの思い出がテーマになっていた。ゲーテは1786 年から約 2 年間ローマに滞在し、画家のティシュバインと一緒にコルソに住んでいた。

Fernwehというドイツ語は、これまでに行ったことのない場所やどこか遠い場所へ行くことを欲する状態のことを指すそうだ。多くの芸術家たちにとって、ラファエロ、ミケランジェロ、デューラーは理想の存在、そしてイタリアは憧れの地だった。

Angelica Kauffman 
BILDNIS EINER DAME IM ENTARI Um 1790/95

異国情緒のある衣装

JACOB PHILIPP HACKERT 
BLICK AUF ROM VON DER VIA APPIA 1796

赤い夕日を背負ったサン・ピエトロ大聖堂

息づく古の歴史の跡、自然の美しさ、ルネッサンスの傑作、狭い社会的制約を超えた自由な生活のアイデアに溢れたローマ、イタリアは何世紀にもわたりアーティストや芸術愛好家に繰り返し感動を与えてきた、との説明に納得。事実かどうかに関わらず、イタリアは幻想的でロマンチックな異国だったことがよくわかる、まさに心象風景だ。

色彩の宇宙

お土産を見ていたら学生時代にBrain Pickingsの特集で見かけて意味も分からず一目惚れした“Zur Farbenlehre”のストラップを発見!!まさか現物がここにあるのかなと思って館員さんに尋ねてみたら、色彩学のコーナーが2階にあるよとのこと。
ホテルに帰る時間まで一時間を切ってたけど階段を駆け昇り、野生の勘で右に曲がるとそこには見逃していたコーナーにゲーテ『色彩論』“Zur Farbenlehre”(1810)がありました‥‥。全く予備知識なしで来たので、これだけでもうめちゃくちゃ嬉しかった。

フィリップ・オットー・ルンゲは理論的な色の研究を行っていた。自身も芸術家だったルンゲは、研究成果が画家たちの活動にとって実用的であることを重要視し、主に顔料を研究したらしい。1806 年から彼はゲーテと文通しており、ゲーテも光の屈折から生じるスペクトル色の実験に興味を持っていた。

ルンゲは地球の赤道や方位を立体的色彩論に落としこんだ

仕事柄カラーバランスを意識することが多いのだけど、まさにL*a*b*色空間みたいだなと。

ゲーテが 1809 年に記した色彩環では、原色の赤、黄、青の間に「青赤」、「黄赤」、「緑」の混合色を配置することでスペクトルが整えられている。彼は人間個々人の特徴を色に帰属させ、精神的な面を色のグラデーションと紐づけ「色の感覚的および道徳的効果」を説明しようとした。

FARBKREIS ZUR SYMBOLISIERUNG DES „MENSCHLICHEN GEISTES- UND SEELENLEBENS“, 1809

あった〜↓動画


 FARBEN-KUGEL ODER CONSTRUCTION DES VERHÄLTNISSES ALLER MISCHUNGEN DER FARBEN ZU EINANDER, UND IHRER VOLLSTÄNDIGEN AFFINITÄT, MIT ANGEHÄNGTEM VERSUCH EINER ABLEITUNG DER HARMONIE IN DEN ZUSAMMENSTELLUNGEN DER FARBEN. VON PHILIPP OTTO RUNGE 

ルンゲは8 年間にわたり色彩の研究を行ったそう

DIE ZEITEN. DER MORGEN, DER ABEND, DER TAG, DIE NACHT
Radierungen / Kupferstiche, Stecher: Johann A. Darnstedt, Ephraim G. Krüger und Johann G. Seyffert. 1. Auflage, Hamburg: Perthes 1805.

わずか 25 部しかない初版

ルンゲの絵。当初部屋の装飾にすることを意識しアラベスク等からインスピレーションを得て筆を進めたが、それは途中から、幻想的な音楽詩を伴った体験型の総合芸術作品を作るというアイデアに切り替わり、彼は自身の4 つの絵が「まるで交響曲のように」朝と夕方、昼と夜に対応する形になるように描いた。

森の孤独

『VOLKSMÄHRCHEN HERAUSGEGEBEN VON PETER LEBERECHT』の展示。展示室自体もヘンゼルとグレーテルが迷い込んだ不気味な森のようで面白い。

ロマン派時代以前にも、超自然的な要素をふんだんに盛り込んだ教訓的な物語を意味する”Märchen”「おとぎ話」というジャンルはあっがか、あくまで口頭で伝えられた物語、という設定で編纂されたこの民話集は、実際のところルートヴィッヒ・ティークによって有名な題材と創作が混ぜ合わされた、まさに発明品ともいえる物語が多いという。

ティークが生み出した「森の孤独」という言葉は各地でキャリアを築き、ハインリヒ・ハイネやアメリカの作家エマーソンにまで伝播した。

VOLKSMÄHRCHEN HERAUSGEGEBEN VON PETER LEBERECHT
Band 1 (von 3). Berlin: Carl August Nicolai 1797. Titelkupfer und Titelvignette von Wilhelm Jury. S. 191–242: Der blonde Eckbert.

ティークの民話集の中で、 Der blonde Eckbert金髪のエックベルトの物語は特に有名。この物語では ‚Waldeinsamkeit‘ 「森の孤独」という言葉ー人間と自然との精神的な絆ーが随所に登場する。『青い城』のジョン・フォスターがいかにも言いそう…

月光のある風景

カルスの絵、風景画が叙情的でとても好きになった。

DEUTSCHER MONDSCHEIN  1833, Öl auf Leinwand

ゴシック様式の教会、屋根裏部屋、書き物机

ERINNERUNG AN ROM I 1831,

1828年、カールスはザクセン公フリードリヒ・アウグストの同行者としてイタリアへ旅行しその思い出を本として出版した。これは先に挙げた、ラファエロとミケランジェロの夢の再会の絵と兄弟。

ITALIENISCHER MONDSCHEIN 1833

イタリアの満月、葡萄の木、サン・ピエトロ大聖堂、糸杉

DER ABENDSTERN 1830

オレンジと青紫の空

WEIDENGEBÜSCH BEI TIEFSTEHENDER SONNE Um 1832/35

SCHWÄNE IM SCHILF Um 1819/20 CASPAR DAVID FRIEDRICH

BRIEF AN KAROLINE VON GÜNDERRODE, MARBURG, MITTE MAI 1802, 1 Doppelblatt, auf S. 4 Siegel und Adressierung: „Fräulein Caroline von Günterode in“ (danach Textabbruch).

これは視覚的に良いなと思った手紙。クレメンス・ブレンターノ(民謡集『少年の魔法の角笛』 (Des Knaben Wunderhorn) の著者)がカロリーネ・フォン・ギュンダーローデ(男性的と評判だったロマン派詩人。男女間の自由で平等な関係を夢見た。niteと誕生日が同じ・・・)に宛てた。内容は欲望に駆られた吸血鬼のように恋する男性によるものという「体」で書かれているが、実際にはギュンダーローデがどう切り返してくるか文学的に試しているというのが真相。
1ページ目と2ページ目は端までいっぱいに情熱的な言葉が迸っているのに対し、3ページ目は短い追記だけで構成されており、手紙の文章量配分が独特のコントラストを生み出している。4ページ目の受取人の名前とともに残っている封印シールが血の一滴のように見える。

フランクフルトの画家たち

E.T.Aホフマンの悪夢

Unheimlich Fantastisch – E.T.A. Hoffmann 2022 

ETA ホフマン (1776 – 1822) の没後 200 年にあたる2022年にベルリン州立図書館が企画した大規模な展覧会。バンベルク、ベルリン、フランクフルトの 3 つの機関から所蔵品が集められた。

悪魔、狂気、幽霊、罪の意識、死、暗黒の世界へようこそ!

歪んでるねえ

上階の常設展示を見終わって博物館の地下に降りて行くと、ホフマン展の起点となる一角に巨大な鏡面が。

自分の鏡像を見ているはずなのに向うからは視線を外されているような、奇妙な感覚を味わう。紫や陰気な青のライトの不安定な光も相まって、擬似的な酩酊状態に陥りそうになる。

ミヒャエル・エンデの『鏡のなかの鏡』みたい

自分の見ている世界が見たまま、信じるままではない、というのがホフマン作品のなかで不変のテーマだ。つまりこの仕掛けは、視覚的な不安(Uncanny)によって自分の持つ「認識」への自信を揺らがせるようとする不気味な誘いである。貴方はもはや後戻りはできない、と言われているみたいで……興奮してきたな。

文学のブースだけでなく、ホフマンが法律家時代に起きた殺人事件の関連品、手紙、彼が書いた風刺画、製作したオペラの楽譜、様々な形態の展示物も見ることができ、上記の鏡のように、現代アーティストたちによるインスタレーションを楽しめる。不気味すぎて撮らなかったけど、からくり人形も置いてあった。機械仕掛けの人形はホフマンの十八番。

↑たとえばVIRTUELLE ZEITREISE IN E.T.A. HOFFMANNS FRANKFURT(ホフマンのフランクフルト仮想時間旅行)は、 フランクフルト アム マインを舞台としている(半径500メートル未満の範囲らしい)ホフマンの童話小説「Meister Flohマイスター フロー」(1822 年)を元に、作品内で描かれた架空の街に実在する地形を重ねて探索できるアプリも。めちゃくちゃ面白い。こういうの探せば日本にもあるのかな。

グロテスクな顔

Jacques CallotNancy, 1592 - Nancy, 1635
The Temptation of Saint Anthony (second version)

カロの版画の主題は宮廷の祝典、コメディア・デラルテの登場人物、宗教的主題、風景、社会批判

Jacques Callot Balli di Sfessania 

 

Wolfgang Amadeus Mozart: Don Giovanni. Notenausgabe mit Besitzvermerk E.T.A. Hoffmanns. Königsberg 1795.

ドン・ジョヴァンニ!!『オペラ座の怪人』でエリックが引き合いに出してたことで知った作品

ホフマンが所蔵し現存している『ドン・ジョバンニ』の楽譜版。ETA ホフマンの所有権エントリ付。ホフマンはヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトを崇拝していたらしい。その情熱は自身のミドルネームを変えるほどで……エルンスト・テオドール・ヴィルヘルムは音楽家エルンスト・テオドール・“アマデウス”になり、それ以来彼はETA・ホフマンとして知られるようになった、って書いてあってびっくり!!

E.T.A. Hoffmann: Drei skurrile Gestalten. Berlin 1818. Stadsbiblioteket Linköping

»hinter die Fassade« 「ファサード(上っ面、見せかけ)の裏側」鋭く見つめるまなざし

彼はこのグロテスクな風刺画について1808 年に説明書きを残している。

„fantastischen Reich, wo der Scherz regiert, und wo der Ernst selbst zur komischen Maske wird“

「真剣さが喜劇の仮面へと変わってしまうような、幻想が支配する領域
群集劇におけるドラマチックアイロニーの構成みたいに、ホフマンの物語にも死や悲哀がどこか滑稽に思えてくるような冷静な眼差しがる。真剣なのは本人ばかりなり・・・。

バンベルク劇場で職業として音楽の才能を活かそうとしたホフマンは、音楽監督から後に劇場監督フランツ・フォン・ホルバインの下で舞台装置のデザインや劇場の実務を担当するにまで情熱を注いだという。下三つの絵は、ベルリン国立劇場での公演に参加した後、地元の俳優を役柄に合わせて描いたもの。

Hoffmann: Sammlung grotesker Gestalten nach Darstellungen auf dem K. National-Theater in Berlin. Nro. 1. Pasquin aus dem Singspiel Michel Angelo. Berlin 1808

コメディアン〜かなと思ったら、Singspielって書いてあった

Der Schneider aus dem Ballette: Die Lustbarkeiten im Wirthsgarten. Berlin 1808

バレエの仕立て屋: ヴィルスガルテンのお祭り騒ぎ

Doktor Bartholo, aus dem Singspiel: Figaro’s Hochzeit. Berlin 1808.

Singspiel「フィガロの結婚」より、バルトロ博士


音楽への情熱、水の精

“Ich mag mich nicht nennen, indem mein Nahme nicht anders als durch eine gelungene musikalische Composition der Welt bekannt werden soll,“ 

「私は自分の名前を作曲家としての成功以外で知られたくない」

ETA・ホフマンが1813年に出版社のカール・フリードリッヒ・クンツに宛てて手紙からも読み取れるとおり、彼は実のところ作曲家としての成功を望んでいた。

歪む説明書きの段落

Hoffmann: Undine. A 70. Erster Akt. Partitur. 1813

感動した

フフーケの同名の物語に基づき、ホフマンは世界初のロマン派オペラ作品と呼ばれる「ZauberOper in drey Aufzügen」ウンディーネを作曲した。1816年の初演以来、ベルリンの旧劇場で14回上演されたオペラは作曲家としての彼の最大の成功となったという。

また、ホフマンはベートーベンの交響曲第 5 番について次のようなレビューを書いていふ。この批評のなかでホフマンはロマン派音楽という言葉を造語した。

Mozart nimmt das Übermenschliche, das Wunderbare, welches im innern Geiste wohnt, in Anspruch. Beethovens Musik bewegt die Hebel des Schauers, der Furcht, des Entsetzens, des Schmerzes, und erweckt jene unendliche Sehnsucht, die das Wesen der Romantik ist. Beethoven ist ein rein romantischer (eben deshalb ein wahrhaft musikalischer) Komponist, und daher mag es kommen, daß ihm Vokal-Musik, die unbestimmtes Sehnen nicht zuläßt, sondern nur die durch Worte bezeichneten Affekte, als in dem Reich des Unendlichen empfunden, darstellt, weniger gelingt und seine Instrumental-Musik selten die Menge anspricht.

Hoffmann, E.T.A: Sämtliche Werke in sechs Bänden. Hg. von Hartmut Steinecke und Wulf Segebrecht. Band 1. Frühe Prosa/Briefe/Tagebücher/Libretti/Juristische Schrift. Werke 1794–1813, Frankfurt a. M. 2003, S. 532–535.

“モーツァルトは超人、つまり内なる精神に宿る奇跡を訴えかける。ベートーベンの音楽は、震え、恐怖、畏怖、痛みといった感情の舵を切り、ロマン主義の本質である終わりのない憧れを目覚めさせる。ベートーヴェンは純粋にロマンティック(romantischer)な(そしてそれゆえに真に音楽的な)作曲家であり、だからこそ、際限のない憧れを認めず、言葉で表現される感情のみを表現する声楽では、その音楽は聴衆へ訴求しないのかもしれない”   (nite拙訳)

ベートーヴェンは、1820年3月23日の手紙の中で、自分の作品の批評に対して感謝の意を示している。

Ludwig van Beethoven: Brief an E.T.A. Hoffmann vom 23. März 1820

感動物

ネコチャ!

Kater Murr, 2 Bde. 1820-1822

『牡猫ムルの人生観』

Quartblatt mit den Schriftzügen des Katers Murr- Staatsbibliothek Bamberg EvS.G H 4/1 Staatsbibliothek Bamberg, Signatur. Foto: Gerald Raab

最近フォロワーさんにすすめられて「まほやく」インストールするまで知らなかった牡猫ムル

ETA・ホフマンが猫の足をインクに浸し、それを紙の上に誘導することでメモを作成した。

Clemens Brentano, Godwi oder Das steinerne Bild der Muttera. Ein verwilderter Roman con Maria. 2 Bde

Bremen: Wilmans 1801

先ほど血の手紙を書いてたブレメンターノのロマン小説。
ここで読める↓

ゴヤの束縛

Francisco de Goya y Lucientes (Spanish, 1746-1828). Can't Anyone Untie Us? (¿No hay quien no desate?), 1797-1798. 
<Los Caprichos>: No one has seen us

風刺的で空想的。

近世スペイン社会の性格、制度、価値観に対する痛烈な批評を呈した80 枚のエッチングとアクアチントから成る『カプリコス』の版画の展示。ヨーロッパ美術の中で最も影響力のある絵の 1 つという。

砂男ー目玉、実験、機械仕掛けの人形

『砂男』はバレエの演目『コッペリア』の元ネタだけど、全くもって可愛い話ではない。 

Der Sandmann. Manuskript. Berlin 1815. Stiftung Stadtmuseum 

コッペリウスの特徴づけ

砂男とは、主人公ナサニエルが子供の頃乳母から聞かされトラウマとなった「悪者」のこと。その男は、眠るのを嫌がる子供たちの元にやって来て、目に一掴みの砂を投げ込み、血まみれになった子供たちを袋に投げ込んで三日月まで運ぶのである。……こんな話聞いたらむしろ眠れなくならないか?

帰国してから京都の丸善で衝動買いした

砂男はくり出した子供たちの目玉から血を吸って生きているらしい。ギリシア神話や吸血鬼にも類似した怪物の伝承があるので、この怪物はホフマンのオリジナルというよりゲルマン民話から着想を得ているとも考察されている。

物語のなかで、主人公ナサニエルは成人してからも子供の頃トラウマ(砂男)に悩まされる。それはあるとき出会った弁護士コポラのなかにかつての砂男の恐怖を見出だしたことを引き金に、ナサニエルは狂気の道をひた走る。ドウジに婚約者クララがいるにも関わらず彼はオリンピアという女性に恋をするーー彼女はたった一言しか発しないにも関わらず、だ。

この、オリンピアという女性が話せる一言が「Ach!」という感嘆だ(下記あらすじネタバレ含むのでご注意)。

エマ・ブラスラフスキーのキュレーション

学生時代、授業で翻訳したOliver JahrausのDie 101 wichtigsten Fragen: Deutsche Literatur 2013のWarum sagen Frauen ‹‹Ach››?の章では、Heinrich von Kleistの『Amphitryon』を引き合いに出しながら「それでも、いやむしろそのためにナサニエルは彼女が自分を深く理解してくれていると感じている」という解釈がなされていた。

ちなみにAch!という台詞はHeinrich von Kleistの『Amphitryon』にも登場することでも有名だ。Amphitryonギリシア神話をベースにしたストーリーで、夫に化けたユピテルに騙され情を交わした貞淑なアルクメーネ(そしてヘラクレスを生むことになる)が本当の夫アンフィトリオンの帰還と同時に残酷な真実ーー意図せぬ姦通ーーに気付き漏らした叫び「Ach!」。これで作品は終わる。

『砂男』において、オリンピアが一言だけしか話せないという事実は、彼女が人間ではなく自動人形である技術的な限界を示すだけのものだが、ナサニエルはそこに愛を見出す。ナサニエルのこの独り善がりさは、全てが彼の一人芝居に過ぎないという物語の筋書き、ひいては想像力に解釈の余地を見出すロマン主義の性質を暗示している。

ナサニエルの自己投影の歪みがよく表れているシーン↓

»O du herrliches, du tiefes Gemüt«, rief Nathanael auf seiner Stube: »nur von dir, von dir allein werd ich ganz verstanden.« […] als habe Olimpia über seine Werke, über seine Dichtergabe überhaupt recht tief aus seinem Innern gesprochen, ja als habe die Stimme aus seinem Innern selbst herausgetönt. Das mußte denn wohl auch sein; denn mehr Worte als vorhin erwähnt, sprach Olimpia niemals. Erinnerte sich aber auch Nathanael in hellen nüchternen Augenblicken, z. B. morgens gleich nach dem Erwachen, wirklich an Olimpias gänzliche Passivität und Wortkargheit, so sprach er doch: »Was sind Worte – Worte! – Der Blick ihres himmlischen Auges sagt mehr als jede Sprache hienieden. […]«

 「おお、なんて素晴らしく深い魂を持った人なんだ」と、ナサニエルは自分の部屋で叫ぶのでした。「貴女だけにしか、貴女だけが、私を理解してくれる人なのだ」ー(中略)ーオリンピアが自身の作品や詩才について、彼の内面の奥深くから語ってくれているかのように、実際、自分自身の中から声が聞こえてきたかのように感じたのでした。というのも彼女がそれ以上の言葉を語らなかったからです。彼の頭が明瞭で冷静な瞬間、たとえば朝起きた直後にオリンピアのまったくの受け身な姿勢や寡黙さを正確に思い出しても、なお彼はこう言うのでした。「言葉なんて、言葉なんて問題じゃない! – 彼女の天のような眼差しは、どんな言葉よりも多くを語る(…)」(nite拙訳)

»Liebst du mich – liebst du mich Olimpia? – Nur dies Wort! – Liebst du mich?« So flüsterte Nathanael, aber Olimpia seufzte, indem sie aufstand, nur: »Ach – Ach!«

彼はオリンピアの隣に座り、彼女の手を握り、彼自身にもオリンピアにも理解できないような言葉で情熱的に愛を語りました。彼女は彼の目をまっすぐに見て、何度もため息をつきました「ああ、ああ!」(nite拙訳)

結局のところオリンピア(感情はないとはいえ)の内面、精神が男性視点から都合よく解釈され、その欲望を投影されるだけで、実のところ展示会冒頭にある鏡のように、見返せば全くの虚であるオリンピアという鏡像は結局のところナサニエルを狂わせてしまうのだ。

目に見えないもの、科学、ファンタスマゴリー

Heinrich Khunrath: Tabula Smaragdina Hermetis Amphitheatrum sapientiae aeternae、solius、verae: christiano kabalisticum、divino magicum、physico chemicum、tertriunum catholicon。Hanau 1609

「Sic mundus creatus est“世界は創造された”」

医師ハインリヒ・クンラートの死後に出版された『Amphitheatrum Sapientiae Aeternae, Solius Verae』に「Tabula Smaragdina Hermetis」の図版。錬金術に関する重要なテキストがラテン語とドイツ語で書かれている。着想となったのは伝説の錬金術師ヘルメス・トリスメギストスが書いたとされているEmerald Tablet(紀元前 2-3世紀)。

このあたりのブースのディスクリプションが良かったので軽く要約。

ホフマンが傾倒したファンタスマゴリア(つまりレンズ、鏡、幻灯機などの光学技術を使用し幽霊、死者を映し出すショー)や、彼の作品によく登場するレンズ、眼鏡、望遠鏡などの光学機器たちは登場人物の認識や視覚を時に歪め、あるいは目に見えないものを知覚する手助けを行う。それらはすなわち、目に見えるものと見えないもの、自分の内部と外部の異質なもの、認識と誤認を揺れ動く知識や想像力の道行き、そのもののメタファーとなっている。

疑似科学や光学技術が舞台装置になりうるというのは、まさにニール・ゲイマンやイアン・マキューアン、カズオ・イシグロ(『クララとおひさま』『NLMG』)のSF作品にも共有されている手法だと思う。

https://www.instagram.com/p/CNfWhCagRbB/?igshid=MTc4MmM1YmI2Ng==

電気の発明

E.T.A. Hoffmann's Erzählungen aus seinen letzten Lebensjahren, sein Leben und Nachlaß. In 5 Bänden. Herausgegeben von Micheline Hoffmann. Stuttgart, Fr. Brodhag'sche Buchhandlung, 1839, 1. Band.

ホフマン晩年の作品

人生をロマン化する

「文学作品を書くということは、予言をすることに他ならない。ロマン的なものとは、この地上にある空間以上に大きな未来への予感なのである」。

ジャン・パウル


Deutsche Romantik-Museumの良いところは、ロマン主義とは何かという定義を堅苦しく解説せす、膨大な作品たちとそれを鑑賞する来場者との「場」に委ねているところだ。

色とりどりのカードからわたしも一枚引いて、壁一面にまるで絵馬のように並べられたピンボードにわたしの答えを加えてきた。

いや〜ほんとめちゃくちゃ楽しいひとときだったな。隣接するゲーテの生家の書斎も興奮したけど、Nathaniel Hawthornの有名な一節にあるとおり、全てを白日の元に晒す眩しい日の光ではなく、微かな月光が見慣れたものの陰影を作っていくように、建築構造からインスタレーションまでしっかりロマン主義にこだわった博物館は圧巻だった。今度はもっとゆっくり巡りたい…!




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