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HSP、エンパス体質 三姉妹の長女 広島生まれ広島育ち   17歳→アメリカへ交換留学…

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HSP、エンパス体質 三姉妹の長女 広島生まれ広島育ち   17歳→アメリカへ交換留学   26歳→オーストラリアにワーホリ   27歳→カフェ、花屋、生地販売 掛け持ちアルバイト  28歳→短大卒業後初めて保育士として働く  現在東京都在住 だれかの心にに届きますように

最近の記事

卒業式までの高校生活

高校3年生に何とか進級できた私を待っていたのは 受験生の夏。成績も普通より少し下。 親から「大学2年分のお金を留学で払ったと思いなさい、 専門学校は絶対だめ。」と言われていた 母からは「国家資格を必ずとりなさい」まで言われてしまったので 自分ができることと国家資格で短大でと考えて候補としてあがったのが 「旅行関係」「保育士・幼稚園教諭」だった。 「旅行関係」は両親から却下された。 Rも帰国し、受験生として進めていかなければいけなくなったころ、 親友だった子とも距離感を取り戻

    • 帰国後フォロー

      久しぶりの日本、広島。 家には大親友がいる状態。 当時の家は子供部屋はみんな一緒で、 プライベートなんて皆無。 家族の中で英語を話せるのは私と次女なんだけど 野球部のマネージャーをしていた妹はほぼ家にいる時間が なく、私も帰国したばかりでこれからまた高校生活が始まるという ことに自分が思っている以上にストレスを抱えていたみたい。 Rに対して冷たいときも多かった。 本当に申し訳なかったと思う。 母が渡米前に言っていた。 「留学前にオリエンテーションがあるのはわかるけど帰っ

      • 帰国の日

        10ヶ月という留学生活は私の常識を簡単に覆し、 初めて経験することや感覚、趣味などを経験することができた。 1番私が学んだことは「ひとの話を聞くこと。」 これはホストブラザー(次男)から学んだこと。 今までは他人に興味がなくて、そのくせ一人にしてほしくなくて 妹からは「人間がきらいっていう空気だしてた」と言われるほどだった 私だからこそ「人の話を興味を持って聞く」ということはとても 大きくて、大切なまなびだった。 今でも人の話を聞くときは1本の映画を見るような感覚で 聞い

        • 帰国前の思い出

          帰国前にホストファミリーと自由の女神をみた。 天気が悪かったけど、週末は家で過ごすことが多かった私は 一緒に観光ができてうれしかった。 もう一つ観光地ではないけど、印象に残っている場所がある。 ホストファザー側の家族が住んでいるところにいったときに 大きな川がある公園?緑地?のようなところに連れて行ってもらった。 田舎ではなくて町中にあったその場所へホストシスターと いとこ(小学生くらい)たちと一緒に散策をした。 水の上を木でつくられた道を歩いたり、静かで夕方前の明るさが

        卒業式までの高校生活

          ふつうじゃないプロム

          学年末前にプロムがあった。 日本で同じ学校だった子は友だちも彼氏も作って リムジンを借りて完璧に楽しんでいた。 一方私はリムジンを一緒に借りる友だちもおらず、 もちろんお相手もいないのでどうしようかとおもっていたけど SやSの友だちと一緒に行くことにした。 (本当にいまでもほかの子がうらやましくなる。 英語力があってきれいで可愛かったらとなんども思う。) (どうして息するように友だちができて、恋人もできるんだろう。 それすらできない自分は人生負け組だとこのころからおもっ

          ふつうじゃないプロム

          SAYONARA

          Rが発つ1週間前に数人でニューヨークに遊びにいった。 服や、コスメなど女子だな~ということを一通り楽しんだ。 服を試着してみんなに見てもらおうと試着室をでたら Rの試着室に集結。 試着室をでてしまったために、監視する人とも目が合い、察したのか、 着たままでていいよとジェスチャーをもらったので 本当は引っ込みたいほど恥ずかしかったけど わざわざどうかなって聞きにいった。(なんか切なくなった。) こうして、次男もランチ仲間のRも日本に旅立ち、この二人が いない高校生活はやはりち

          SAYONARA

          私は誰かの代弁者

          ホームステイ先の近所に、同じ高校に通うAというエジプト人の女の子がいる。 一つ下の弟もいて1度だけ学校からの帰り道で会い、イヤホンをしていた私が気づかないのでそこらへんに落ちていた大きな枝をぶつけて気づかせようとしてきたのもいい思い出。 私がホームステイ先での出来事をメールや電話で伝えているうちに 留学、ホストファミリーになることもすべて断固拒否だった 父親がなんと短期間だったらいいと許可を出してきた。 あの面接は何だったんだというような変わりように驚きながらも それで

          私は誰かの代弁者

          初めての差別

          私が利用した留学団体主催のお泊り会があった。 同じ団体の子がニューヨーク州の雪がたくさんふり積もっている 場所に行き、現地の高校と生徒の家にホームステイをさせてもらうという プログラムに参加した。 ほかにもいろんな旅行企画があったけど、ことごとく逃した 私は最後のチャンスであるこの外泊をとても楽しみにしていた。 現地の高校生と一緒にバスにのり、アクティビティをたのしんだり 留学生同士で話したりバスケットをしたりと順調にたのしかった。 ステイ先はドイツ人留学生の女の子と一緒

          初めての差別

          比較大魔王なわたし

          私が通っていた高校には日本人留学生はいないのだけど アメリカにいる間、現地の留学団体が3回ほどオリエンテーションを 組んでおり、そこで3人の日本人留学生にあった。 そのうちの一人Sが家も比較的近く、ママ同士が仲良くなったこともあり、 おうちに遊びに行かせてもらった。 家がとてもきれいで広くて、家の真ん中にグランドピアノが置いてある その家や音楽活動をしているホストファザー、ホストマザーとのコミュニケーションや、週末の外出、外食に慣れていること(英語でのオーダーの仕方など)、

          比較大魔王なわたし

          誕生日とSNS

          私が日本を出発する前に、高校に何人もの留学生がいた。 短期から長期まで、国も様々。1年生の時はモンゴル人が同じクラスメイト。アメリカから数週間だけ来ている子やカナダ人などたくさんはいなかったけど国際色豊かだったとは思う。 同じ交換留学をしたメンバーのうちの一人がホストファミリーとして カナダ人の子を受け入れているとき、初めて”Facebook”というものが 今海外ではやっていると教えてくれた。 冗談抜きで日本語直訳を頭の中でした私は「顔の本?なんじゃそりゃ」と 思ったのが第

          誕生日とSNS

          夢をかなえる姿を見せてくれた子

          私が入ってすぐの時に「日本人留学生だよね?」と声をかけてくれた M君。彼に誘われてランチを食べに行ったのが最初の友達との外食だった。 (その後時間割が分かれてしまったのでランチできなくなってしまった。) ホストブラザー曰くゲイだそう。なんか嫌そうな顔をしていったきたから 仲わるの?ってなったけど、私には関係ないもんってなった。 貴重なんだよ話しかけてくれるの。ありがたい子だったんだよ私には! Mに私はピンクソース(ケチャップとマヨネーズを混ぜたもの)を 教わり今でも家ではた

          夢をかなえる姿を見せてくれた子

          初めてできたともだち

          カフェテリアでランチを食べる友だちができ始めたころ、 体育の時間にも友だちができた。 (ここでいう友だちとは、ホストブラザーがらみではないことが 当時のわたしには大切だった。) 女の子二人。背がとてもたかいSとラテン系美人さんのK。 最初の体育の時間はジムルームでひたすら運動をするというもの。 ダンベルやランニングマシーンなど高校の中にこんな設備があるんだと 感動した。先生も優しかったので(金髪のバービーみたいな先生だった。)  ランニングマシーンをしながら話していたのは初め

          初めてできたともだち

          迷子の新学期

          入学前からホストブラザーのおかげで何人か 同じ高校の子たちとは出会えたものの、 やっぱり現地の高校に入るのは緊張するもので、 始まってしまった・・・といった感じ。 当時私が思った日本の高校と違うのはカウンセラーがいること。 カウンセラーと一緒にどの授業をとるか、何時にランチを取るかを 話して決めてテストの結果などで必要であればクラス替えをする。 なので何組と言ったクラスはないし、担任もいない。 あとは廊下に決められた番号のロッカーがあること。 南京錠はあらかじめ買っておい

          迷子の新学期

          ホストシスター

          ホストファミリーの中で一番下の妹は 中学2年生くらいで歌がうまくて、顔がかわいくて、 カーリーヘアでいつもケータイを手放さず、メールが来るたびに笑っていて次男と充電器を取り合い、ビートルズやthe70's show をずーっとみていた。 そういった年代のものが好きで、彼女なりのこだわりもあった。 ボーイフレンドや少し上のちょっと悪い友達に夢中なまさにteenagerだった。 兄妹関係において驚いたことは 私があめりかであった兄妹のお互いの呼び方は「お兄ちゃん、お姉ちゃん」と

          ホストシスター

          性格が正反対のホストブラザー

          長男(34)次男(16) 2人のホストブラザーは性格が正反対で、 長男は繊細、優しい 次男はナルシスト、頑固 優しくないことはないけど やさしさ以前の問題に自分が大好きすぎるが強すぎて 優しかったっけ?ってなってしまった。 長男は働いていたのと、地下に住んでいたので あまり顔を合わせることはなく、途中で彼女さんと アパートを借り家を出た。 家にいたころはダッド(ホストファザー)とよくケンカしていた 印象しかない。(私は怒鳴り声がすごく苦手なんだと気づいた。) あと次男か

          性格が正反対のホストブラザー

          ホストマザーとわたし

          ママはチリ人。 おばあちゃんは英語がはなせないので家の中ではスペイン語が飛び交うことも日常だった。(アラビア語より多かった。) きれいにカールされたヘアスタイルでネイルもしていた。 ヒールを履いて部屋を歩く音、車のカギを持つ音が私は好きだった。 メイクもきちんとしていて女性らしい人だった。 優しいひとで、愛がある人というのが今も変わらない印象。 チリは魚も野菜も新鮮でとてもごはんがおいしい国なのと教えてくれ、 時々魚を焼いてくれていたが、ママ含め家族が部屋中が「魚くさい

          ホストマザーとわたし