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SAYONARA


Rが発つ1週間前に数人でニューヨークに遊びにいった。
服や、コスメなど女子だな~ということを一通り楽しんだ。
服を試着してみんなに見てもらおうと試着室をでたら
Rの試着室に集結。
試着室をでてしまったために、監視する人とも目が合い、察したのか、
着たままでていいよとジェスチャーをもらったので
本当は引っ込みたいほど恥ずかしかったけど
わざわざどうかなって聞きにいった。(なんか切なくなった。)


こうして、次男もランチ仲間のRも日本に旅立ち、この二人が
いない高校生活はやはりちがった。

ランチは三人で食べていたので必然的に二人になってしまった。
Aのやさしさで食べてくれてはいたものの、
やっぱりRがいないと気まずい。ランチを済ませ
Aが案内してくれたのは音楽室。ピアノが好きだと言ったことを
覚えてくれていたみたい。一人で少しピアノを弾いたあと、午後の
クラスへ。

そうだよな、気を遣うよな~申し訳ないな~
でも最後にひとりっていうのもなんだかかっこ悪い、
Aが根をあげるまで甘えていよう。

Sも家庭の事情で高校を中退していたため、
体育の時間もKとKの友達とすごす日々。
Kは私が口数少なくともあまり気にしないかんじだったので
なんだか楽だった。

6月学年末、私にとっては最後の登校日。
教室に入ると1限目のアメリカ史の先生が生徒の椅子に座り
違う先生とチェスをしていた。
「ここでの高校生活はたのしかった?」と聞いてきたので
「ありがとう、おかげさまでとっても。」と答えられた。
先生の視線はすぐまたチェスに戻ったけど、
わたしがいままでこのクラスにいたことを認識してもらえていた
みたいでなんだか嬉しかった。(落ちこぼれで足をひっぱっていた生徒という認識だろうけど。これは私の想像にすぎないから本当のところはわからない。)

毎日宿題を見せてくれた男の子に感謝を改めて伝えた。
「どういたしまして」とやっぱりやさしい一言をくれた。
(私が帰国後、ホストシスターの友達になっていてうれしかった。)
気まずくなってしまった子ともこのころには打ち解け、
ジムのロッカーでこの子と友達が「あの時はごめん」って謝ってきてくれた。

誕生日を祝ってくれたリーディングクラスのみんなとも
写真を撮り、お礼をたくさん伝えた。

理科の授業ではちょっと近寄りがたいかっこいい感じの
女の子が意外と気さくで話しかけてくれ、隣の席の子や近くの席のことも
写真をとれてもっと早く話しかければよかったと少し後悔した。
(でも今日だからお互い話せたんだと思う。)
ちなみに理科の先生はNASAのマグカップを大切に持っている
授業中にお昼寝をしてしまうかわいいおじいちゃんだった。
きちんとお礼をつたえることができた。

日本語クラス。
このクラスのおかげで楽しく、安心して
高校生活を過ごせた。次男の友達が多い=初期の私をしっているので
何かと近くにいたら気にかけてくれたり挨拶をかわせてうれしかった。
もちろん先生とはたくさん話をし、みんなで写真をとった。

自分のロッカーも返す日。
憧れていたアメリカの高校のロッカー。
実は両隣のロッカー友だちが私にはできた。
オフィスデーの時はスーツのような恰好をして
一緒にロッカーの前で写真を撮った。
このご近所さんという距離感が丁度よかったんだと思う。


私はこの生活で人とのいろんな距離感を知ることができた。
友だち=いつも一緒にいて常に行動を共にする存在から
ロッカー仲間、各クラスのその時間の雑談仲間、
休憩時間にたまたま居合わせた仲間。

どうしても日本の時に思っていた友だちが欲しくて
いきなり距離を詰めようと、形づくりをしようとしていた時は
本当になにもうまくいかなかった。
”友だち”とはこうあるべきという自分で作っていたルールや
これくらい親しくあるべきという思い込みを無理やり押し付けようとして
”友だち”ができない自分を責め、恥ずかしいと
思い落ち込んでいたけれど、いろんな場所にいろんな人と
ほんの少しの時間話せる関係というのもいいじゃんと
思えるようになってきた。
その細やかなカテゴリーがある意味私を居心地よくしてくれていたことを
知った。

全部が深い関係になるなんて私には息が詰まってしまう。

この限られた時間と距離感だからこそ
お互いが心地よく過ごせるのだと思う。

もちろんすべてが浅いわけではなくて
そこからお互いの共通点や過ごす時間がお互いの
もう少し踏み込んだ信頼関係を作ることもある。
すべてが完璧でなくていいのだ。


ランチ友だちだったRとは昨年も広島を兄妹で訪れ、
一緒に観光し家族ぐるみでの付き合いにもなっている。



カウンセラーの先生にもお礼をつたえて
高校を出た。


私は帰る時にいつも決まった道を通る。
家の近くになったときに毎日旗をもって横断歩道を
わたる時にいてくれる女性がいた。(日本でいう地域見守りたいのような感じ。)

わたる時にいつもお礼をいうだけだったけど、
今日はこの道を制服をきてわたるのも最後。

私は彼女にお礼と会話をどうしてもしたくなって話しかけてみた。
「いつも安全に通らせてくれてありがとうございます。
実は私は留学生で今日が最後の登校日でした。ここの道をとおるのが
好きでした。」というとサングラス越しににっこりと笑顔で
「あら、そうだったの?どこの国からきたの?」
「日本からきました。」
「いい国ね、」といった感じだったとおもう。
感謝を伝えることができて本当によかった。

もう一度お礼を言って家に帰った。








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