見出し画像

帰国後フォロー

久しぶりの日本、広島。
家には大親友がいる状態。

当時の家は子供部屋はみんな一緒で、
プライベートなんて皆無。
家族の中で英語を話せるのは私と次女なんだけど
野球部のマネージャーをしていた妹はほぼ家にいる時間が
なく、私も帰国したばかりでこれからまた高校生活が始まるという
ことに自分が思っている以上にストレスを抱えていたみたい。

Rに対して冷たいときも多かった。
本当に申し訳なかったと思う。


母が渡米前に言っていた。
「留学前にオリエンテーションがあるのはわかるけど帰ってきたあとの
オリエンテーションはいらんよね。」


私が帰国後の生活に対してのストレスや状況を見て
「なんだか帰国後の方がサポート大切じゃわ」といっていたのを
覚えている。

帰国後のサポートは絶対に必要だとおもう。
と言っても1度だけで本人の成果発表と帰国してからのわが子
について保護者が話すがメインになっていたけど、
日本の学校のルールにきちんと従うことも言われたと思う。
経験者としてボランティアに参加することも強めに言われた。
(渡航前オリエンテーションのボランティア)

やっぱり誰かの方がキラキラした留学生活を終えていた。
嬉しそうにわが子のことをはなす保護者たちをどこか
羨ましいと思っていたのだと思う。
自分の母親はなんて他人に話すのだろう、今目の前にいる
保護者のようにわが子が戻ってきてうれしいや成長を感じたと言ってくれるのだろうかなんて不安がよぎる。

だって人に話せるような、パンフレットの写真のような留学生にはなれなかったんだもん。

そんなことを頭でぐるぐるさせていると私の母の番がきた。
やっぱり私が欲しかった言葉や表情はもらえなかった記憶だけ
残っている。
できそこないとかの言葉と同じように私には母が人前で
私をほめてくれないことに傷ついてきた。


留学の担当の先生のおかげで何とか同級生たちの学年に
戻ることができた。(成績がひどすぎて留年しかけてた。)

久しぶりの登校でクラスの何人かは喜んでくれて嬉しかったのに、
いつも一緒に帰ってくれていた親友は私ではなくてほかのこと
帰っていたし、(担任の先生の配慮で席は隣にしてもらっていた)

まあ自分で決めて留学して、その間親友が友だち作ってることなんて
当たり前なんだけど、親友は何一つ悪くない。

英語のテストの結果を周りからの視線を感じるのも、

授業で当てられて教科書の1文を読むときも、

珍しいものを見るかのような視線を向けられるのがつらかった。

ある放課後に帰ろうとしたら全然仲良くない子に
急に「海外かぶれが」なんて言われる始末。

全然思っている以上に海外かぶれができなくて残念な気持ちなのに。

父方の叔母が家の前に車を停めて出ても来ずに
窓を開けて「調子にのるんじゃないよ」とものすごく怖い顔を
していってきた。

一瞬何をいわれたかわからなくてかたまってしまった私を
気にも留めず去っていった。

隣にいた母はやっぱり何も言わず助けてくれなかった。
家の中に戻りながら泣く私をどういう気持ちで見ていたんだろう。

自分の娘が目の前で傷つけられて、平気なんだ。
助けてもらったことも、「あれは嫌だったね」と言った共感も
してもらえたことがない。

母に怒りを覚えた。


学校も家も私は何も変わっていないのに、周りが変わっていた
この状況がつらくて、しんどくて、
登校も下校もRがいて、お世話しなさいなんて両親に言われて、
本当に精神的にきていた。


ある日の体育の授業でわざと体操着を忘れて見学をしていたら
担任の先生(2年生の時から持ち上がりの日曜日のお父さんみたいな先生)
「どうしたんや、大丈夫か?」と聞いてくれた。

(はじめて私に心配の声をかけてくれる人がいた)
先生の優しい一言にちょっと泣きそうになったんだけど、
「忘れてしまいました、とくに何もないです、大丈夫です」と
返事をした。

先生はそれ以上何も聞いてこなかった。
それがありがたかった。



「大丈夫?」って聞いてほしかったんだと思う。
両親に。親友に。

自分のことで手一杯なのに
Rのことすべて投げてこられてしんどいんだよ、
クラスになじめなくて、浮いているこの感覚が
いなくなりたいくらいつらいんだ、

自分で助けてがいえないくらい
どうしていいかわからなかったんだよ、

一人にさえなれなかった。

私の心はボロボロだった。


なんで私帰ってきたんだろう。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?