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卒業式までの高校生活

高校3年生に何とか進級できた私を待っていたのは
受験生の夏。成績も普通より少し下。
親から「大学2年分のお金を留学で払ったと思いなさい、
専門学校は絶対だめ。」と言われていた
母からは「国家資格を必ずとりなさい」まで言われてしまったので
自分ができることと国家資格で短大でと考えて候補としてあがったのが
「旅行関係」「保育士・幼稚園教諭」だった。
「旅行関係」は両親から却下された。

Rも帰国し、受験生として進めていかなければいけなくなったころ、
親友だった子とも距離感を取り戻しつつあったころ
私は余計な一言を言ってしまった。
美容系の専門学校に行きたいといっていた子に
専門学校、やろうとしていることが国家資格じゃないことについて
大丈夫なん?それでといった感じのことを聞いてしまい
怒らせてしまった。
彼女からすれば大迷惑である。なんで人の人生まで私の親目線の価値観の
心配を言葉にしてしまったのだろう。それでもその時の私は
本気で大好きで大切な親友の人生を心配し、何とかしようとその言葉を
かけてしまった。

今ならわかる。その人の人生であり私がそこに口出しをするだなんて
余計なお世話にもほどがある。私は親の価値観をそのままに
そこが幸せの定義だと信じて疑わなくて、

どこかで自分のやりたいことを
きちんと選んでいくことができる親友がうらやましかったんだ。
自分と親しいひとの人生は自分の人生だなんて考えていた。

そんな私が自分の中で決めたのは英会話教室の先生ができたらいいなと思ったくらい。

AO入試があったのをいいことに成績はあまり気にせず
とりあえず受けてみようとおもった。
大急ぎでオープンキャンパスに幼馴染といった。

幼馴染のMは幼稚園のころから「幼稚園の先生になりたい」
といっていたのだが高校は商業高校へ行き、事務職か何かをするかと
思っていたけど保育の道をきめたらしい。

AO入試は当時の私の中でびっくり人間を発掘するんだろうなと
「じゃあ私大丈夫だわ」なんてへんな自信があった。

留学と面接のおかげで短大が決まり、母が幼馴染の母に連絡をしたところ
(すでにMは前期日程で合格済み)
「その日程で受かったの?なかなかないよ良かったね」と言われたことを聞いて(当時AOは二種類あり、・プレゼンをするか・体験授業、レポート提出とあった。Mはプレゼンを選択していた。)

この言葉を素直に受け止められなかった私は
どこか見下されているきがしてならなかった。
(AOは倍率すごかったんだからそっちだって受かったの奇跡じゃん
ってくっそひねくれていた。もういろんな人からさんざん傷つけられて
人の言葉を素直に受け止められない自分だったんだと思う。それでも
このあと数年後、ことあるごとに私の地雷を踏むMの母だった)


進学先もとりあえず決まり、一安心であとは卒業式を待つのみ。
人生で初めてのスーパーでのレジのバイトをした。
(学校が遠いって便利。堂々とバイトできた。)
何度もレジが合わなくなって失敗ばかりだったけど、
地元の後輩や先輩と仲良くなり、楽しく過ごせた。

自分でお金を得ることがすごく嬉しくて仕方なかった。

一つ下の子が気になったこともあった
(数年後中学の時のペアの子と結婚する。ちょっとショックだった。)

居酒屋バイトは親から禁止されたからできなかった。
だけど短大生になって22時までならとビストロで働いたこともある。

卒業式の練習が始まったころ、パーマをかけた。
みつあみをしてわからないように学校に行っていた。

2月くらいから卒業式までながーい春休みになった。
バイトをいれ、それでも家とバイト先の往復のなかで
「銀魂」のアニメにドはまりし、ずーっとみていた。


迎えた卒業式当日、入学式と同じ会場だったので
感慨深かった。主犯格ではないけどサッカー部の子が
そういえばあの時。と入学式の時のことをポロっと私に
言ってきた。なんであんなことになったのか聞けるかと思って
「どうしてあの時」と聞こうとしたけどはぐらかされてしまった。
これ以上は聞かなくていいやとおもいそのまま卒業式を終えた
卒業式後、みんなでアルバムに寄せ書きをしていたら
母から留学メンバーで食事に行くから急いで!とせかされた。
まだ誰からも寄せ書きもらってない、と思っていたら
友だちがアルバムを預かってくれることに。


高校の卒業アルバムは今現在、私の手元に戻ってきていない。
(なかなか会えずじまいでまだおそらく友達の家かな。
でももう申し訳なさ過ぎて、連絡手段もなくて捨ててしまっても構わないと思っている。)


ありがとう高校生活。
はろー短大生活。

人生で初めてできた信頼できる親友を作ることができて、
人生で初めて海外渡航を経験し、そこでも親友ができた。

小さいころから願っていたことをこの3年間で叶えるができた。
「英語がすき」は今も変わらない。





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