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自分だけが大変な顔をしたくない、でも元気な振りもできない、何もかもを素直に書き散らすこともできない、書くって、もどかしい、生きるって、もどかしい。

先ほどは、不穏な空気感のつぶやきを、失礼しました。
用事を詰め込み過ぎた自分がいけないんです。
おかげで、考えることが重なってしまいました。

今日は、朝一番から、(糖尿病と脳腫瘍が発覚した)主人の精密検査でした。
造影剤を使用したMRIの検査と、血液検査です。
MRIの検査結果は、やはり脳腫瘍でした。
おそらくは、ほぼほぼ良性の腫瘍、髄膜腫ではないかとの見立てでした。
血液検査結果は、やはり、重度の糖尿病でした。
今後は、めいいっぱい、糖尿病を良くすること、それを前提に、再来月に手術を予定されました。
要は、私の頑張り(糖尿食作り)が大事だということです。
糖尿病の治りが悪ければ、脳腫瘍の手術日程が延びる一方になってしまいます。

ちなみに、手術後、リハビリが必要と言われました。
手術する場所が脳なので、そう簡単に通常に戻らないという話でした。
主人は人手の足らない職場で働いてるので、自分の体のことより、長期(1ヶ月程度?)休みすることの心配ばかりしています。
というか、そんなに休めないなどと先生に言ってました。
もう、私は、自分の体のことを優先にして下さいと、心で叫んでいました。

今後は、糖尿病内科受診(治療)、脳外科受診(指導)、麻酔科受診(診察)などが待っています。
同じ月に、私自身の、地元病院での定期検診(膠原病)と大学病院での定期診療(子宮内膜増殖症)が待っています。
膠原病は、減薬になるかの瀬戸際です。
子宮内膜増殖症は、膠原病の症状との兼ね合いを見ながら、今後の治療方針を決定することになると思います。

そして、夕方からは、母と一緒に、延命治療中の父に会いに行ってきました。
父は、相変わらず元気でした、寝たきりであること以外は。
高カロリー栄養ゼリー以外の食事、おかゆ的な物を、訓練として2度ほどチャレンジしてくれたようですが、1割程度しか食べることができなかったとのことです。
その理由が、嚥下機能の問題というよりも、やはり本人の食欲が進まないからということでした。
先日、私は父に電話で応援をした(はっぱをかけた)ばかりなのに、父は実行してくれてはいませんでした。

というか、実行したつもりでいたのかもしれません。
1割程度の食事をするのに、1時間かかったということでしたから。
そんなに時間をかけて食べたので、本人的には完食したぐらいの気持ちでいたのではないかと推測されます。
実際、父に、「もういらないと言って、食べるのをやめたんだって?」と聞くと、「そんなことはない、一度も断ったことはないよ」と言ってくるのです。
でも、看護師さん(訓練士さん?)の書いた日誌によれば、やはり、2度の訓練で、もういらないと言って断っているようでした。

私ははじめ、認知的問題から、食い違いが生じているのかとも思ったのですが、そういう感じでもなかったので、再度、父にはっぱをかけてみました。
すると、「耳が痛いな」などと言っていたので、やっぱり食べたくなかったのかもしれません。
正直言って、どういう状態で食べられなかったのか?私にはわかりません。
その場で見ているわけではないので。
だからこそ、もどかしいというか、完全には諦めきれないのです。
しかしながら、病院側は、父の食事状況については、今後、改善の見込みが難しいとの見解をしている感じでした。

そもそも、誤嚥のリスクをどうしても危惧している印象でした。
母は、現実逃避気味になってしまい、私は逆に現実を見すぎてしまい、どうしたものかと、無駄に気を揉んでいる状態です。

その他、心が憂うことが重なり、なんだか疲れてしまったことが、不穏なつぶやきにつながってしまった要因です。
タイトルにも書きましたが、私は、

自分だけが大変な顔をしたくない、でも元気な振りもできない、何もかもを素直に書き散らすこともできない、書くって、もどかしい、生きるって、もどかしい。

こんな心境で、ここのところ、います。
色々と不安定です。
気持ちが揺れまくっています。
少し、躁鬱気味なのかもしれませんね。
ご容赦下さい。

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