ターボ

描画、ピアノ、読書が趣味の人間です。芸術やそれに関連すること、その他について、考えたこ…

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描画、ピアノ、読書が趣味の人間です。芸術やそれに関連すること、その他について、考えたことや思ったことを気まぐれに書いていきます。

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多元ボキャブラリー

 ボキャブラリーといえば、言語的な語彙についてのことと考えるが、必ずしもそうではない。  私の場合は、美術作品の制作時に使う非言語的な語彙(この言い方が現状の最…

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1年前

踊る人

 私は踊る人である。  ただ、身体を動かす。  身体は不思議なもので、自分の心の奥底にある思考や感情を、剥き出しにして立ち現れている。身体は自然である。  精神は…

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1年前
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勘の良さ

 勘というものを考える時、感覚や感性などを類義語として参照するのだが、畢竟これらは違和感へと還元されていく、と考えている。何かをするときの心と意思の摩擦を違和感…

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1年前

くるくる
うずまきながれる
くるくる
ながれうずまく
すいこまれ
ながれこみ
くるくる
くるくる
きえていく

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1年前
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多元ボキャブラリー

 ボキャブラリーといえば、言語的な語彙についてのことと考えるが、必ずしもそうではない。
 私の場合は、美術作品の制作時に使う非言語的な語彙(この言い方が現状の最適解)によって思考し、作品や自分と対話しながら作り、作らされる。これは作曲や踊りにおいても同様である。そして、これらの語彙はある程度までは翻訳可能であるが、それ以上は翻訳不可能な領域が存在する。
 したがって、非言語的な語彙によって思考、表

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踊る人

 私は踊る人である。
 ただ、身体を動かす。

 身体は不思議なもので、自分の心の奥底にある思考や感情を、剥き出しにして立ち現れている。身体は自然である。
 精神は不自然である。意思によって思考、感情に制限をかける。自然な身体を不自然な形に変形させる。そこには目的がある。

 精神によって作られた身体の形は、精神の求める目的のためにデザインされている。ここに、身体と精神の一致を見る時、目的と心の向

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勘の良さ

 勘というものを考える時、感覚や感性などを類義語として参照するのだが、畢竟これらは違和感へと還元されていく、と考えている。何かをするときの心と意思の摩擦を違和感とする。
 勘の良さとは未知のことを直感的に把握するような、超能力的なものではなく、なにかしらの違和感を無視することなく受け入れることである。その違和感をいかに展開し、敷衍し、自らの解釈を推し進めるのか、は勘の良さとはまた異なる領域の話であ

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くるくる
うずまきながれる
くるくる
ながれうずまく
すいこまれ
ながれこみ
くるくる
くるくる
きえていく