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忘れてはならない、思い続ける、知ろうとすることがきっと誰かのためになるんだと信じて


こんにちは、candy@です。


昨日また大きな地震が東北であった。

地震が起こったのは昨夜、夜も遅かったのですでに私は寝ていて

神戸に住んでいる私は今朝のニュースを見るまで全く知らなかった。

朝起きて関東に住んでいる二女から昨夜の12時前にLINEで

『地震怖かった〜💦』とメッセージが届いているのを読んで

慌てて娘に電話した。

幸いに娘の住んでいるところは停電もなく、揺れが収まってからは普通だったとのこと。(地震の時に自宅にいたのも幸いした、帰宅困難な方もいたようだから)

今朝になって東北の地震のことを知った私は、11年前の東日本大震災の時のことを思い出した。


私は11年前の3月11日のあの時、神戸の自宅にいた。

ちょうどその日は家の近所の長女も通っていた中学校の卒業式だった。

その日のことはよく覚えている。

なぜなら

かつて長女が中学時代の3年間お世話になったアメリカ人のALTの先生が中学校の教え子たちの卒業式に招待され、2011年の3月11日のその日、ニューヨークから日本を訪れた日でもあったから。

ALTの先生は(R先生と呼ぶ)英語の先生だけでなく、長女の陸上部の顧問でもあった。
そして二女の小学校の英会話のクラスでもお世話になっていたことから
私はR先生と顔見知りになり、長女の陸上部の試合や授業参観や体育祭などをきっかけに、いつしか私とR先生もお互いの家を行き来したり、一緒に遊びに行ったりと友達のような関係になっていった。


そんなR先生の5年間の赴任期間が終了して、一旦アメリカに戻ったR先生は神戸の教え子たちに中学校の卒業式に招待されて、あの日神戸を再訪した。

それが2011年の3月11日の朝だった。

朝早くに関空から神戸に到着したR先生は(私は最寄り駅まで先生を迎えに行った)ニューヨークからの長いフライトだったので我が家でシャワーを浴びてスーツに着替え、家から歩いて3分くらいの中学校へ卒業式に出席するために出かけた。


小学生の二女を送り出して家事を終えた私はホッとしたのか

お昼ご飯を食べたあと、一人でこたつでうとうとして、いつの間にか眠ってしまった。

どのくらい寝たんだろう?

R先生が卒業式から帰って来て私は目が覚めた。

(R先生は日本にいる間はしばらく私の家に滞在する予定になっていた。)

R先生が帰宅するとすぐに

『Eさん(私のことです)テレビをつけて!大変なことが起こっているから』と私に向かって叫んだ。

まだ寝ぼけていた私は『一体なんだろう?』と思いながらテレビをつけたら

そこには今までに見たことのない光景が映し出されていた。

海から陸へと海水が物凄い勢いで流れている。

車も建物も濁流に飲み込まれて流されていた。

東北で大きな地震が起こり、大きな津波が押し寄せている


そこまでは理解はできたが

とんでもないことが同じ日本で起きているのに私には現実だとは思えなかった。

『嘘でしょ、嘘だよね』

それがその時の感情だったと記憶している。

R先生とテレビの前で言葉もなくただ呆然と津波の映像を見ていた私

その時は福島の原発事故も知らなかった。

自然の恐ろしさ

人間の無力さ

それしか感じられなかった。


今まで私には東日本大震災のことを話す資格がないと思っていた。

なぜなら

生まれた時から現在まで関西で暮らしてきた私にはどこかで東日本大震災は遠い場所で起きた人ごとのような気がしていたから・・・

ごめんなさい

神戸で阪神淡路大震災を経験した私なのに・・・

人間て愚かだ

喉元過ぎればなのか



東北へ義援金や寄付もした。

手作りのクッキーや焼き菓子を励ましのお手紙をつけて送るボランティア活動にも参加した。

一時的にペットを飼えなくなった方のワンちゃんを半年間お預かりすることもあった。

その時は少しでも私がサポートできることがあればしようと思って一生懸命していたつもりだったが、一年経ち二年、三年そして最近ではだんだんと東北の震災のことが遠い存在になっていった。

「これだけ復興しました、以前の生活がここまで戻りました。」と報道で知るたびに

『良かったね』と自分に都合のいいように解釈していたことに気づく。

そして日々の生活に私自身も追われるのを言い訳に、どんどん記憶は薄れていき

いつの間にか人ごとになっていったのだ。



先日、あやしもさんの記事を読んでやはり忘れてはいけない、思い続けようと改めて思った。

あやしもさんが震災の前の日に買ったテーブルの天板を11年経っても磨かずにそのままにしているのは、震災の時のことを忘れてはならないと思われて震災の想いを残しておきたいということなのかなと感じました。


そして広葉さんの記事からも教えられました。

広葉さんは支援やボランティアもされています。


あやしもさんも広葉さんも11年前の震災は私と違って実際に大変怖い思いもされています。

そんなお二人の記事にとても考えさせられ

震災を忘れかけていた自分のことを恥ずかしく思いました。


後日談ですが

11年前に日本を訪れていたR先生は『すぐに帰国するように』と心配する彼女の家族に言われましたが、1ヶ月ほど日本に滞在して、私の関わっていたボランティアを色々と手伝ってくれました。

その後、彼女はアメリカに帰国しました。

それから彼女は日本語を猛勉強して日本での永住権を獲得しました。

『地震大国の日本は危険だ』と家族から言われたそうですが、家族の反対を押し切って再び日本へやって来て、今も日本(神戸)でALTとして子供たちに英語を教えています。

R先生の姿を見ていると直接の支援でなくても助けを求めている人やサポートが必要な人のために何かできる事があればやっていく、そんな身近にできることさえもどこかで誰かを支援することに繋がるのだと気付かされます。

上手く言葉で表現できませんが

ちゃんと話を聞く

ちゃんと知ろうとする

ちゃんと自分のできることをやる

私にはそんなことしか思いつかないけれど

大きなことはできなくても、多額の寄付はできなくても、私にできることをまずやっていきます。

「知らなかった」ではなくて「知ろうとしなかった」自分を変えていきます。


とても長くなりましたが最後まで読んでくださりありがとうございました。


最後に広葉さんの記事に貼られていた曲 カッチーニのアヴェ・マリアを載せておきます。

感動して涙が止まりませんでした。

あやしもさん、広葉さんそして記事を読んでくださったあなたに心から感謝します。



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