母に対して長年思い込んでいたことが最近変わった理由
母親というものは基本自分の子供に優しくする人、優しくできる人だと思っていた。
そして私の母が私に対してそうでなかったことに長年不満を抱いていた。
母は私にだけとても厳しくて優しくないと思い込んでいた。
何かと4歳年下の弟には甘い母のことを恨んでみたり
時には母に反発して母を責めたりしていた。
昭和の初期に生まれた母は何事もきちんとしないと気が済まない人。
またそれを長女の私にも求めることが多くて、私は窮屈な思いをいつもどこかで感じていた。
私が結婚して子供を産んでからも、母の『ちゃんとしなさい』は折に触れて私にとってプレッシャーとなっていた。
ところが、そんな母に反発する気持ちやストレスが最近無くなっていることに気づいた。
80代の年老いた母
以前よりも弱々しくなった母を見ていると
もしかしたら母は母のやり方で一生懸命私を愛してくれていたのではないかと思えるようになったのだ。
母は子供時代に父を亡くし、20代で母親も亡くしている。
母は長女だったので妹たちのために中卒で働き始めた。
母のことを気が強くて激しい性格だと思っていたが、気が強くなければ生きていけなかったことも多々あったのだろう。
女だからこそ苦労したこともたくさんあったはず。
母にとっては娘の私に早くしっかりした人間になって欲しいと云う願望が 誰よりも人いちばん強かったのかもしれない。
母はしつけや礼儀作法や家事など私に教える時に
『女の子は結婚したら外に出るのだから、恥ずかしくないように、人から笑われたり馬鹿にされるようなことがないように』といつも私に言っていた。
それが母の心の根底にあって、娘の私は必要以上に厳しく育てられたのかもしれない。
しっかりとなんでもちゃんとできる人=苦労しない人
母にとっては、私が家を出て困らないように苦労しないように教育することが愛情だと思っていたのだろう。
私が思い込んでいた優しくて甘えられる母親のイメージは私がしてもらいたかったことだが
母が思っていた良い母親のイメージとは違っていただけなのかもしれない。
母にとって厳しく育てることが愛情だったなら
母は母なりに私を愛してくれていたんだと思えるようになった。
人によって考え方はいろいろあって、それはたとえ親子であっても違いがあるのは当たり前のこと
アラ還になって私はやっと母のことが少し分かり始めてきた。
母は私の娘たちには本当に優しくて甘々のおばあちゃん
昔母が余裕がなくて私にできなかった優しい言葉や愛情表現を孫たち(私の娘たち)にしてくれていると思えば腹も立たなくなった。
自分で言うのもおかしいが、私は娘たちに甘々な母親だ。
それは私が抱いている良い母のイメージであって、私の娘たちの母親への要求とは違うのかもしれない。
もしかしたら私が母から厳しくされたから、私は娘たちに甘い母で居られるのかもしれないと考えると
私が娘たちの甘い母親になれたことは厳しかった母に感謝するべきなのかな?
なぜなら私は娘たちに甘い今の私のことが好きだから。
年老いても相変わらず母は私には厳しい(笑)
それも母の愛情表現なんだと思っておこう。
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