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ぼくが聖書を好きな理由

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キリスト教の礼拝でするお話の原稿はこちらにまとめています。そんなに「新しい」とは自負していませんが、「正統派」に疲れた方々に届けたい聖書のまた一味違った魅力を書いています。
大体月に4本です。 一本200円の記事をマガジン登録で500円でお読みいただける設定にしています。…
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#説教

いのちの水とキリスト教(1)

いのちの水とキリスト教(1)

 教会に行ったらいい話が聞けて、しかもそれがわかりやすくてストンと落ちるとやっぱり教会に来てよかったと思う人が多いそうです。確かに、わざわざ日曜日の朝に出かけて行ったのに、何やら不思議しか残らないとか、自分が思っていたのとは違うとモヤモヤがおさまらないので、損した気持ちになるのは良くわかります。それを察知した説教者も教会に来続けている人も、できるだけ、わかりやすくしようと言うのがトレンドなのかもし

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混ざり合いと、うろつきと

混ざり合いと、うろつきと

信仰とはお頼み事ができるようになるということだと思います。
そんなにハードルは高くないですよね。お頼み事をする、それが信仰だとすれば…本当にお頼み事をするのは簡単でしょうか?実際は頼まれるのは得意でも自分が頼む側になるのはなかなか難しいと思うのであれば、それは「誰かに頼まなくても生きていける側に立ち続けている」ということかもしれません。

信仰はお頼み事ができること?!

今回はローマの信徒への手

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恐怖のテキスト?〜石を取りのけろ!復活だ

恐怖のテキスト?〜石を取りのけろ!復活だ

神殿の境内で商売をする人々を追い出したイエスが、ぶどう園のたとえ話をしました。神殿の境内で語ったことになっています。ぶどう園で働いていた農夫たちが収穫を納めず送り込まれてきた僕を次々と追い出すことと、イエスの行動が被ります。このたとえ話はいかようにも受け取れました。ぶどう園の労働者として働いたことのある人が聞くとどうでしょうか。畑を任せきりにして長旅に出かけた主人の不在、あれは何だ?と思い返したで

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夢を抱ける宗教〜キリスト教でいう「夢を諦めない」〜

夢を抱ける宗教〜キリスト教でいう「夢を諦めない」〜

自然を貫く果てしない叫び

「自然を貫く果てしない叫び」。このタイトルはノルウェー、オスロ美術館にあるエドヴァルト・ムンクの「叫び」という絵画につけられたタイトルです。19世紀後半(1893年)に描かれたそうです。この絵画ではムンクが叫んでいるのではないそうです。彼を取り巻く天地、自然から聞こえる叫びに魂が怯えている様を描いたものだそうです。自然が叫ぶ、それは一体どういうことなのでしょうか。

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「私を守ってください」に誘われて〜不正な裁判官あらわる!キリスト教の話

「私を守ってください」に誘われて〜不正な裁判官あらわる!キリスト教の話

「この不正な裁判官のいいぐさを聞きなさい」。
イエスの言葉は、「聞きなさい」から始まっています。ベタに訳すと「聞きなさい、この正しくない裁判官がいうことを」となるでしょうか。
たとえを読む時に、きっと悪い裁判官の話だな、と、最初から先入観があると「不正な裁判官のいいぐさ」と訳したくなったのでしょう。この裁判官は悪例(悪霊ではなくて)と断定され読まれてきました。
「聞きなさい」から始まっていることに

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