恐怖のテキスト?〜石を取りのけろ!復活だ
神殿の境内で商売をする人々を追い出したイエスが、ぶどう園のたとえ話をしました。神殿の境内で語ったことになっています。ぶどう園で働いていた農夫たちが収穫を納めず送り込まれてきた僕を次々と追い出すことと、イエスの行動が被ります。このたとえ話はいかようにも受け取れました。ぶどう園の労働者として働いたことのある人が聞くとどうでしょうか。畑を任せきりにして長旅に出かけた主人の不在、あれは何だ?と思い返したでしょう。いい頃合いになれば収穫物だけを集める主人を快く思えない気持ちが沸々と湧きあがったかもしれません。暑い日々の労働、収穫量に縛られる圧、収穫のほとんどが取り去られる理不尽さなど、話を聞いていた聴衆の中で、ぶどう園で働いたことのある人ならば、話の中の農夫の反抗的で暴力的な行動も正当だと共感する人たちもいたはずです。
では、神殿の境内で商売を台無しにされた人たちが、この聴衆の中にいたとしたらどうでしょう。暴力を受け叩き出される僕たちや、農夫たちと自分達が同じだと感じたかもしれません。長い間、神殿の境内での商売は見逃されてきました。むしろ見て見ぬ振りというよりはその商売によって利益を得ていたのは神殿で働く人々でした。小売人たちは巡礼に来る人々を相手に商売をしなければ生活が成り立たない立場です。突然イエスがそれをひっくり返し、神殿から追い出されてしまってはもう生活ができなくなるのです。追い出された人々に自分を重ねて聞いたかもしれません。
カルト化するたとえの解釈
あまり難しくないと思われているこのたとえはそんな単純な話ではないということです。
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