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銀座ホステスの大半が『子宮系疾患』を患っている理由

久しぶりに夜の銀座へ

わたしが夜の銀座から足を洗ったのは、今から7年前の話になる

38歳、若年性更年期障害と診断され、婦人科医から実は『夜の銀座』を辞めるように言われていたのだが、それでもわたしは母との約束を守るために、銀座ホステスを続けたのだ

母もまた、銀座の人だった


銀巴里(ぎんパリ)は、1951年 – 1990年まで東京銀座七丁目にあった日本初のシャンソン喫茶である。「東の銀巴里、西のラ・ベル・エポック武蔵野市吉祥寺 2009年10月31日閉店)」ともよばれた。
美輪明宏青江三奈戸川昌子古賀力金子由香利戸山英二大木康子長谷川きよし宇野ゆう子嵯峨美子クミコらを輩出し[1]三島由紀夫なかにし礼吉行淳之介寺山修司中原淳一らが集い、演出に尽力した。
閉店日には、銀巴里の名が記されたコーヒーカップや食器類が、すべて常連客によって持ち帰られた。
跡地の銀座7丁目9番11号付近に石碑が立つ。
唯一のれん分けされた店が札幌市のススキノにあったが、2012年9月29日に閉店している[2]

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

札幌ススキノで8年間、高級クラブの歌手として活動を続け、某レコード会社からスカウトされ、東京に出てきた

そして、銀巴里で当時の丸山明宏(美輪明宏)さんの前座を勤め、デビュー目前で『肝硬変』を患い、医者から『あなたこの生活を続けていると死ぬよ』と匙を投げられ、夢を諦めたのだった

そんな母は現在『統合失調症』という病に侵され、9年目の闘病生活中である

幼少期の頃、母が歌ってくれた子守唄は『シャンソン』

わたしはその影響を受け、今でも『越路吹雪』さんの大ファンだ

銀座クラブでわたしを可愛がってくれた85歳の老人が、わたしにいつもリクエストしてきた曲は『愛の讃歌』

この話をすると、ほとんどの人に驚かれるのだが😳

『愛の讃歌』を覚えたのは、わたしが2歳の頃

当時、わたしの家族は東京都府中市に住んでいたのだが、2歳のわたしが母と買い物途中で、この曲を口ずさみながら歩いているものだから😂

周囲を驚かせたのはいうまでもない

母の銀巴里時代の話を幼少期の頃からたくさん聞いてきたからこそ、『銀座』という街は、わたしにとって『特別』な街

そして、母が夢見た世界に30歳で飛び込み、10年間夜の銀座で頑張ると決め、様々な人生模様を見てきた

あの頃の自分を思い出しながら、夜の銀座を肌で感じてきた

そして、今日は昔を思い出しながら綴りたいと思う



▶︎あの当時のお客様は今どうしてる?


当時、銀座の老舗クラブでホステスとして6年間 世話になったお店は、緊急事態宣言の2ヶ月前に閉店した

夜の銀座に50年いたオーナーは、勘の鋭い人で、潔く夜の銀座から身を引いた

その2ヶ月後、緊急事態宣言となった

老舗クラブ時代のお客様に連れられて、行った先の店は銀座7丁目にあるとあるマジックバー

老舗クラブで店長を務めていた彼は、独立をしてマジックバーを経営している

コロナ前に世話になったお客様は今、どうしているのか🤔

名前を出しながら尋ねてみたところ、顔馴染みのお客様のうち1/3は他界していることを知った

それも50代で亡くなっていた

これはわたしにとってもショックな話だった

当時の銀座といえば、朝までコースが当たり前

仕事の合間に軽く飲みにきて、そのまま職場に戻るというケースも多々あった

一言で言えば『寝てない😂』

一睡もせずに、仕事を続けている人たちばかりだったのを覚えている

銀座ホステスもまた、自宅に戻るのが朝の5時は当たり前

昼と夜が逆転している生活を続けていれば、カラダはどうなってしまうのか

大半のホステスが『不眠症』と闘っていた

・精神安定剤は当たり前
・睡眠薬は常に常備薬
・鬱を患っている

夜の銀座という世界は華やかに見えるが、それは表向きだけ

そして、わたしが見た夜の銀座という世界で感じたのは

寿命が短い人が多かった

・孤独死
・突然死

夜の銀座で知り合った人たちが50代、60代で亡くなっているが、このパターンがほとんどだった

長年、夜の銀座という世界に50年いたオーナーは、常連客がどんどん亡くなっていくたびに『俺もすぐに追うから、待ってろよ』と悲しそうに酒を飲んでいた姿を今でも忘れない

そして、わたしを可愛がってくれていたお客様もまた、天に召されていたことを知り、ショックを隠せなかった


▶︎銀座ホステスの大半が患っている病


想像はできると思うのだが🤔

『女性ホルモンは人生そのもの』がテーマで綴っているので、お気づきだろう

長年、夜の銀座という世界で生き続けている『銀座ホステス』の大半が『子宮系疾患』を患っている

ママクラスになると、『子宮全摘出』をしていたりする😳

お客様から『子宮ないもんな!女じゃないし』というヤジが飛ぶ

それでもケロッと一言

『子宮いらないでしょ!子供2人産んでるからいいのよ』と笑いながら答えるのだから、最初は驚いた😳

さらに、『更年期症状』がひどく、店の経営が危ういというクラブのママもいた

酒を飲みながら、ホルモン補充療法を続けているママもいて、めちゃくちゃだった

『この薬、全く効かないのよ!』と言いながら、酒を浴びるように飲み、症状を悪化させていたのだから、止めようとしても無駄という

命懸けの商売…と言ったところだろうか

次の日バーテンダーが店を訪れたら、ママが店で死んでいた…という話も、わたしは当時何度か聞くことがあった(突然死も多々ある)

正直な話、わたしは40歳が限界だと思っていた

母との約束は『夜の銀座を10年勤めること』

ちょうど40歳がわたしにとって約束の年齢だった

38歳、若年性更年期障害を患い、わたしもクラブのママ同様、ホルモン補充療法をしながら、酒を飲む生活

母との約束を果たすまでの2年間は、危険な行為を続けていたということになる


▶︎夜の銀座から足を洗って気づいたこと


すっかり、酒が弱くなった

あの当時は、ウイスキーショット飲みでも酔うことはあまりなかったのだが、すっかり酒が飲めないカラダになってしまった

夜の銀座から足を洗い、その日から酒を飲むことを止めた

というのも、昼と夜の逆転生活を正さなければ、『更年期症状』を緩和することは困難だと考えたからだ

症状を悪化させていた要因は、この生活だったと改めて思い知ることとなる

思えば🤔

30代後半のわたしの生活は最悪だった

・嫉妬の塊
・結婚願望の塊
・金の亡者

どっぷり夜の銀座に染まっていたわたしは、根性の悪い女と罵られた

稼いだお金で毎日のように夜の銀座で飲み歩き、結婚相手を探す日々

終わってる…

昼の職場では『鬼』と呼ばれ、『性格の悪いマネージャー』と部下から言われていたことを後から知る

その頃から自律神経のバランスを崩していたのだと思う

もし、今も夜の銀座でホステスとして働いていたら🤔

更年期症状だけでは済まなかったと思うのだ

長年、夜の銀座で働き続けた代償は『子宮全摘出』という結果をすでに大半のホステスが経験しているのだから

わたしも同じ運命を辿っていたに違いない

それ以外にも、乳腺のう胞や乳がんなど、様々な病に侵される銀座ホステスも多かった

そう考えると🤔わたしは奇跡に近いのかもしれない

夜の銀座から足を洗い、すっかり肝臓が弱ってしまった

いや、それでよかったのかもしれない

あの当時の夜の銀座は、わたしにとって良い経験だった

何を考え、何を思い、10年間夜の銀座に身を置いていたのか🤔

改めていろんなことを考える1日となった

当時から可愛がってくれたお客様がわたしに言った一言

『おまえは、ひとりでも生きていけるだろ』

つまり、結婚(もう2度と)するな😂ということだろう

それくらい、夜の銀座で鍛えられたんだから、ひとりで生きていく術を身につけているのだから、何も心配するなと言われた気がした

あれから7年が経ち、こうして個人事業主として生きている

あの経験のおかげだと思えば、当時のわたしはよく頑張ったと褒めてあげたい

久しぶりに夜の銀座の街を歩きながら、『あの頃は辛かったけど、楽しかったな』と思えるのだから、ずいぶん成長したものだ

また気晴らしに夜の銀座に行こうと思うのだが🤔

コロナの影響で、終電時間が30分以上早まってしまい、夜遊びが出来ない😂

更年期なんだから、そろそろ止めとけと上野駅の時刻掲示板を眺めながら…

常磐線、我孫子行き最終0:12

7年前なら、まだ銀座で飲んでいた時刻

わたしにとって、これが最大のショックな出来事だった




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佐方ともみ 
美容業界29年目 エステティシャン
IOB認定オーガニック専門家
食べて痩せるオーガニックダイエットBioeat(ビオエット)®︎協会代表
フェミニンケア×更年期プラクティショナー養成講座主宰兼講師

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