Unforgiven~許されざる者~をみて
1994年公開のクリントイーストウッドの映画、許されざる者(邦題)をみた。
ある街の娼婦が客のカウボーイにナイフで顔や体を切られ傷つけられた。街の保安官の提案する和解に納得のいかない仲間の娼婦たちは、そのカウボーイに復讐するために、賞金首の広告をかけた。もと悪党で今は貧乏牧場主の主人公が、その話を聞きつけて、賞金首討伐の旅に出るという西部劇だ。
WANTEDされたカウボーイも、娼婦を金稼ぎの道具としてみている酒屋のマスターも、街の公安を取り仕切ってるようで、権力があるのをいいことにやりたい放題に部外者に暴力を加える保安官も、出てくるメインキャラクターはほとんどunforgiveな要素がある。そういう登場人物たちの映画なのかなとも思えた。そういうのが許容されている体制もunforgiveだ。
映画を観終わって思ったのは、結局のところ、unforgivenとは何なのだろうことだった。
TheUnforgiven の邦題が許されざる「者」となっている。邦題だけ特殊ということでもなさそうなので、人物、となればやっぱり、主人公ウィルマニーのことを言っているのではないかとまた疑問に思う。
では、具体的にどんな部分が許されざる者なのか?
元悪党だったが今は夫婦で平和的に暮らしている昔の連れネッド、ウィルマニーが声をかけて、一緒に旅に出るが、最終的には旅の帰途で拷問を加えられて殺されてしまう。ネッドの妻にとっては、主人公の声かけがきっかけで、結果的に帰らぬ人にされてしまっては許しがたいことだ。しかし、旅に出るか否かはネッドの意思もあってのことだったし、運悪く捕まり拷問を受けてしまうことは、ひとえにウィルマニーのせいとはいいきれない。それはunforgiveと言われては少し違う気がする。
極悪非道な元悪党が、真っ当な道に戻ったが、いっときのおカネのためか正義感かまた多くの人を撃ち殺してしまう。
一度犯した過ちを再び繰り返してしまうこと。
生きていくうえで自分の大事なものを失ったりという報いは受けても、一生殺しとかそういう罪を被ったまま生きていく運命、そういう主人公のこれまでの全てが許されざるということなのだろうか、
実のところ、よくわかっていない。
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