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スターウォーズへの感謝と悲しみ

スターウォーズおよび創造主ジョージ・ルーカスには感謝しかありません。

ジェダイの教えやフォース(理力)を信じていますし、人生で大切なことはスターウォーズから学んだといっても過言ではありません。そして、これほどまで映画に夢中になり、ある時は映画館に徹夜で並び、超満員の(マリオンビルの)日劇が大歓声で沸いたあの瞬間(1999年6月26日「スターウォーズ エピソード1 / ファントム・メナス 」先行オールナイト公開)!

あぁ、生きててよかった!これを観るためにこれまでがんばってきたのだ、この熱狂と興奮に包まれた映画館にいることが何と幸せなことか。ありがとうジョージ!ありがとうスターウォーズ! 今あの時を思い返しても、幸せな気持ちがよみがえり、本当にスターウォーズには感謝しかないのです。

※この「スターウォーズ エピソード1 先行オールナイト in日劇」レポートについては、いずれしっかりと書きたいと思います。

映画を映画館の大画面と大音響の迫力で、しかも大勢の観客と共に観る喜びを味あわせてくれた最高峰の映画。私にとって、それはぶっちぎりでスターウォーズであり、後にも先にもこれほどまで私を夢中にさせてくれた映画はありません。

そんな訳で、スカイウォーカーランチのあるカリフォルニアには足を向けて寝られない私ですが、一方でスターウォーズに対する悲しみも、この喜びや感謝と同じくらい深いものがあります。スターウォーズに対する悲しみ?!一体それはなんでしょう。

スターウォーズは正に映画の歴史を変え、あらゆる革命を起こし人々を魅了してきました。一方で映画業界やエンターテイメント業界に及ぼしたダークサイドな面、現実もあります。今、その悲しみをここに嘆き記しておきます。

以下、スターウォーズおよび映画界悲しみの歴史についてみていきたいと思います。

1.映画のエンドロールについて
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みなさん、映画のエンドロール、映画館で最後まで観ますか?私は観ます。
エンドロールの最後までこそが映画であるし、稀にエンドロール中や最後におまけシーン(ジャッキーならNGシーン&歌唱シーン)があったりもするからです。そして、エンドロールが流れている間、この映画の余韻こそ大事な時間であり、その余韻に浸っている途中で席を立ってしまうなど何事か!特にこのスターウォーズのエンドロールにおいては、ジョン・ウィリアムズの名曲が余韻を盛り上げ、最後の最後までスターウォーズの世界観に浸らせてくれる大切な時間です。

ジョン・ウィリアムズは映画の音楽にフルオーケストラを使い、壮大なクラシックのような音楽を鳴らす、というスタイルを復活させ、スターウォーズの音楽は大ヒット、普通の音楽ファンが映画のサントラを買うような文化が定着することになりました。しかし、ここで一言、

これはスターウォーズの素晴らしい音楽があるからこそ成り立つエンドロールであって、凡百のつぎはぎのような音楽やとってつけたようなタイアップの楽曲が流れるエンドロールなどは、それこそ余韻どころか苦痛でしかなく、もし映画の余韻を大事にするのであれば、逆に早く席を立ち去りたい、というような映画も少なくありません。むしろ最近ではこのとってつけたようなエンドロールばかりな気もします。

しかしながら、スターウォーズ第1作公開(1977年)以降、ほとんどの劇場映画において、この後ろに長々とスタッフロールをつけるスタイルが定着してしまいました。

そしてこのエンドロールは近年、より長くなる傾向にあります。それは音楽を聞かせるためだけではなく、もう一つの理由があります。これも正にスターウォーズから始まったと言っていいと思いますが、映画を作る様々な技術スタッフが増えたことにより、クレジットに載せる役割や名前が増え、結果的にどんどん長くなってしまったのです。近年では、特殊効果などほぼCGの制作会社が担うようになり、その技術スタッフアニメならばアニメーターの名前がズラリと並ぶこともあります。さらにスポンサースペシャルサンクス、と関係者の名前を追加していけばいくらでも増やすことができます。

こういった流れの中、最近の映画のエンドロールで私が感じることは、これは観客のためではなく、完全に関係者(作り手)側のためのエンドロールである、ということです。あの人載せたからこの人も、あの会社も載せないとマズイ、あの人にも助言をもらったから謝辞を載せておこうという感じ。

まるでアカデミー賞の受賞スピーチで、お世話になった人の名前を時間いっぱい延々ズラズラ並べる人のようで、全くスマートではありません。関係者への感謝は、直接その人に言えばいいと思いますし、長すぎるエンドロールもそれこそ内々の話(本編とは関係ない)じゃないかと、私は思うのです。

ちなみに、私がこれまで観た映画の中で一番長かったエンドロールは、ハリーポッターの何作目か忘れましたが、13分です。13分!信じられますか?!じゅうさんぷん!そんなに長い時間、ただの文字の羅列をずっと見せられて耐えられるでしょうか?たとえそこにジョン・ウィリアムズの名曲が流れたとしても、コンサートならまだしも、さすがに画面に文字の羅列だけで13分は退屈します。ちなみにそのエンドロールは、2~3分の曲が終わったかと思うと次の曲、2~3分終わったかと思うとまた次の曲と終わりそうで終わらないイライラを何度も繰り返した結果13分!延々と関係者の名前をズラズラと見せられることに。正直、映画自体は面白かったのに、この長すぎるエンドロールにあまりに腹が立ち、完全に余韻が台無しに。この時は本当に本編が終わりすぐに席を立てばよかったと後悔しました。

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他にも、ある日本の実写映画では音楽を担当しているオーケストラ団員全員の名前が出てくるエンドロールなんてのもあります。百歩譲って、指揮者とオーケストラの名称だけならともかく、オーケストラ団員全員の個人名まで載せる必要があるでしょうか?そこまでやるのならもう出演俳優のそれぞれマネージャー、現場に弁当を出してる会社、そのおにぎりを握ったおばちゃん、警備会社、警備員ひとりひとりの名前、エキストラ、親戚、友人…と、関わる人全部載せてエンドロールを30分位にしたらどうでしょう(笑)

冗談はさておき、つまりこの後ろに長いエンドロール、という悪しき習慣を映画界に定着させてしまったのがスターウォーズであることは間違いなく、故にスターウォーズはとても罪深い映画なのです。

ちなみに私は映画ファンとして、映画のエンドロールが終わるまで観る、と最初に言いました。それは始めは映画へのリスペクト余韻を大事にするためでした。しかしある時、この余韻を台無しにするくだらないダラダラした時間を過ごすくらいならサッサと出た方がいいと思い、本編が終わったらすぐに席を立つ時期がありました。(その頃は、席を立ちやすいように通路側に座っていました)そして最近では年を取り、館内が暗いと足元が見にくいので、仕方なくエンドロールの最後まで座っているというのが実情です。

そんな訳で、長いエンドロールは観客のためではなく関係者のためにあり、それは、その映画のビジネスとしての役割が大きくなればなるほど長くなる傾向にあるようで、時にうんざりしてしまうのです。(個人的感覚ですが、5分を超えれば長いと思います。)

そこで、ひとつ提案があります。それは往年の名作スタイル復活です。
何かというと、エンドロールを長くするのではなくタイトルロールをつけるべし!ということです。

ローマの休日」「サウンド・オブ・ミュージック」「ウエストサイドストーリー」、これらの名作に共通するものはなんでしょうか。それはしっかりタイトルロールがあり、まず映画のテーマ曲が流れ、スタッフやキャストなどの文字紹介は一番初めにあり、映画の終わりはシンプルに、

” The End ”

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と、文字が出るだけ。長々としたエンドロールなど1秒もなく、実にサラッと映画が終わります。なんといさぎよいのでしょうか。

このような簡潔なエンディングスタイルにするにはどうしたらいいか。
スタッフ&キャスト紹介を冒頭(タイトル)につければいいのです。

例えば、黒澤明の名作「七人の侍」のタイトル

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ドンドッコ、ドンドッコ、という太鼓の音と共に画面に映る文字。まずスタッフが記され、その後キャストの文字。(しかも縦文字をななめに置くデザインのカッコよさ!)このように最初に出せば、ここで席を立つ人は絶対にいないでしょう。また、映画本編が始まる前に情報が入れば、撮影は誰か、音楽は誰か、出演者にあの人の名前が、じゃぁしっかり観てみよう、という心づもりができます。何よりこれから映画が始まるぞ!という期待感が高まると同時に、映画のケジメがつきます。

ちなみに「七人の侍」のラストカット後は、" 終 "の文字が出るだけでエンドロールはありません。もう一度言います、なんといさぎよいんでしょうか。

これとは逆に、最近の映画はなんともケジメがなくいきなり本編が始まってしまい、エンドロールは関係各位におもねってダラダラと長い、というのが本当に多いです。なんとダサいスタイルが定着してしまったのでしょうか。この嘆かわしい悪習慣を生んだスターウォーズを恨みます。

そこであらためて、これを読んでくださっている映画製作者の方にお願い、というか提案です。

タイトルロールをつけ、エンドロールを短くする(もしくはなくす)

この往年の名作スタイルの採用、ぜひともご検討いただければ幸いです。

※ちなみに「崖の上のポニョ」(2004 : 宮崎駿 監督)の、実に短くシンプルなエンドロールへの賛辞については、別途書きたいと思います。

2.映画の料金について

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つづいては、映画の料金についてです。

令和3年時点、日本の映画の一般料金1,900円です。高いですね。しかし、これを高いと見るか安いと見るかは様々な立場によって違うかと思います。そもそも日本の経済がここ20年ほど成長しているとは言えない状況で、実はむしろ頑張っている方なのかもしれません。理容料金の推移などと比べるとわかりやすいようですが、昔は床屋一回と映画一本分の料金が同じ位だったそうです。今は床屋の料金は4,000円を超えました。一方で激安1,000円カットの店が増え(それも最近は1,200円位になってますが)、庶民はみな激安カット店に行くようになり、逆に普通の理容店は単価を4,800円位に上げないとやっていけなくなってしまいました。 これはもしかすると映画業界にも当てはまり、本当は1本3,000円~4,000円位とりたいのかもしれません。だから売店でドリンクを売り、ポップコーンを売り、関連グッズを必死で売るのです。

しかしみなさんご存知の通り、今、世界的にも映画館などの劇場は大ピンチです。そもそもコ▢ナ禍がなかったとしても、月500円〜1,000円位で何万本もの映画が自宅で見放題となってしまった世の中、1本2,000円近くする映画を気軽に何回も観に行く人は少なくなって当然でしょう。ましてや、映画館で観たその作品が「JOKER」のような最低最悪につまらない作品だった時には「あぁ、マジで損した。ホントこの時間とお金返して!」となってしまうのです。

※ちなみに「ジョーカー」がいかに近年稀にみる酷い映画で、こんな映画が流行る世の中や業界がいかに絶望的かについては別途、しっかり書きます。

話が脱線してしまいました。つまり今映画館がピンチ、映画料金は上げないとやっていけない状況なのは間違いないですが、しかしやはり庶民にとって今の映画料金は高いのです。

かつて映画は庶民の娯楽でした。ちょっと映画でも観に行くか、という感覚で2本立て3本立てを気楽に観に行けた、そんな時代がありました。しかし時は移ろい、映画の一般料金は1,000円から1,200円へ、1,300円から1,500円へ、そして1,800円1,900円2,000円へと上がっていきます。その上がるタイミング、きっかけを作っていたのが、正にスターウォーズでした。

スターウォーズは、いわゆるビッグバジェットムービー大規模な製作費がかかる映画、またそれ以上に莫大な興行収入を得る映画として、お客さんがたくさん来ることが確約されたシリーズ映画となっていきました。当然、興行側としては値段を上げるタイミングに、大ヒット映画の公開時を狙うわけで、それが1970年代スターウォーズ エピソード4」であり、1990年代スターウォーズ 特別編」「スターウォーズ エピソード1」であり、2010年代スターウォーズ エピソード9」だったのです。

見方によっては、このようにスターウォーズが日本の映画料金を上げてきたことは、映画館を救ってきたと言えるのかもしれません。しかし、庶民からすると「遂に映画1本2,000円か、こりゃサービスデーしか映画行けないな」と、映画館へ行く回数はどんどん減ってしまうのです。

つまり映画料金は、興行側からすると上げなければやっていかれない、でも上げると客が減る。客が減るとまた値段を上げなければならない、そして客が減りまた値段上げる…という負のスパイラルに入っている気がします。

そう、スターウォーズで一時的に客が増えても、ある意味結果的に客が減っていく(庶民が映画館から遠のいていく)きっかけを作ってしまっていたのではないか、と思うのです。なんと罪作りな映画でしょうか。

ここでまた映画関係者の方にもうひとつ提案です。

映画の一般料金、一律全部1,000円にしてみてはいかがでしょうか。
(シニア900円・学生800円・中学生以下700円)
客の集中化を防ぐためサービスデーなどは一切設けず、いつでも同じ値段。1,000円、どうですか?

まさか、あり得ない!と興行(および製作)側は言うでしょう。しかし、お客さん側の感情としては、2,000円と思うと映画館に行くのをためらいますが、1,000円ならばハズレでも観に行ってみようと思います。そして、もしそれがいい映画だったなら、1,000円だからもう1回観に行こうと思います。つまり1,000円ならば、映画館へのハードルは一気に下がり、映画館へ行く回数は確実に増えると思います。

こうして映画館に行く回数が、月1回だった人が2回に、2回だった人が3回になる、そしてここが大事なのですが、0回だった人が1回に増えます。そしてその人が「あ、映画館で観る方が断然いいかも」ということに気づきリピーターになる。つまり映画館ファン(映画ファンではなく、映画館ファン)の裾野が広がるかもしれないのです。

映画の観客動員数なんてものは、フタを開けてみないとわかりません。映画の興行はある意味、賭けみたいなものです。というか、商売はみなそうかもしれません。だとしたら、この映画料金を一律1,000円にする賭け、いかがでしょうか。この大ピンチの状況を変えるには、このくらい思い切った仕掛けをしないと、映画館は救えない気がします。失ったお客さんを再び映画館に取り戻すために。

そして、さらなる提案!これは日本国内だけではどうにもなりませんが、

スターウォーズ エピソード4・5・6、1・2・3」(つまりジョージ・ルーカスが関わったスターウォーズ : できれば4・5・6は当時のオリジナル公開版)の計6本を、映画館で上映する。しかもこれも1,000円で。

これがもし実現したとしたら、それはもうありえないほどワンサカ客が来ることは間違いありません。さらにその客全てがものすごいリピーターとなり、映画館は再び活気を取り戻し、人々はまた映画館で映画を観る喜びを再確認することとなるでしょう。(2020年「一生に一度は、映画館でジブリを。」と題し、「ナウシカ」や「もののけ姫」「千と千尋」などの再上映が大好評だったことはみなさんご存じの通りです。)


しかし、これに関しては絶対に実現しない、ということをファンは知っています。なぜならばスターウォーズはもはや今、暗黒帝国ディズニー社のものとなってしまっているからです。

次は、暗黒ダークサイド悲しみの歴史、最後の章です。

3.終わらないシリーズ化について

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これは、ディズニー社が2020年に発表した今後のスターウォーズ関連テレビドラマ、劇場映画、アニメなどのタイトル一覧です。
オビ=ワン・ケノービ、ランド、ドロイド・ストーリー…それからあとは…って、どうでもいいです!スターウォーズファンとして言います、どれも1mmも興味がありません。

はたしてこれら全部楽しみにしてます、ワクワクします、スターウォーズの世界観をあらゆるメディア、あらゆる手法で今後も見続けていきたいです、一生追いかけます!なんていう脳みそ空っぽな、ディズニー社の金づるとして洗脳されたアホなスターウォーズファンはどれだけいるのでしょうか。

と、嘆いてみましたが、世の中には無条件にスターウォーズと名の付くものならばなんでもよいという、思考力ゼロの輩がきっとものすごい数いるのでしょう。つまり、スターウォーズは単なる映画ではなく、巨大なビジネスとしてのブランドマーク商売道具になりさがってしまったのです。

ルイ・ヴィトン LV」というロゴがつけばフェイスシールドが激高でも売れてしまうように、「スターウォーズ STARWARS」という冠がつけばなんでもいいから作って売りまくる、という状態です。

いいじゃんブランド、スターウォーズが100年200年続く、てすごくない?
それだけパワー・魅力があるんだからスターウォーズには、と信者から反論されそうですが、私はスターウォーズのサイドストーリーでずっと儲けていこう、というディズニー社のビジネス戦略には大反対です。

私は1.映画のエンドロールについての章で、映画のケジメいさぎよさと言いましたが、ここであらためて訴えます。


どんな物語にも必ず終わりがある、それがケジメというものです。


登場人物の先のお話は、各々が自由に想像を膨らませればいいのであって、キャラのその後や過去に何があったのかなんてことを見せれば見せるほど、想像の余地はなくなっていきます。いさぎよくスターウォーズはここで終わり、とせずにシリーズを続けたことによって我々は何を見せられたのか。

ディズニーブランドのスターウォーズで結局私たちは、愛すべきキャラクター、ハン・ソロの死と、レイア姫の死と、ルーク・スカイウォーカーの死を見せられることになりました。もし、このディズニー印のスターウォーズがなければ、

「エピソード6」のラスト、ダース・ベイダーが最後に善の心を取り戻して皇帝を倒し、銀河に平和とバランスがもたらされた、この先彼らには明るい未来が待っている、と終わってハッピーエンド。あぁ、よかったよかった、素晴らしい映画だったねと、永遠の名作6部作完結となるハズでした。

ちなみにジョージ・ルーカスは、最初の3部作「エピソード4・5・6」を作っている頃、全9部作構想(「1・2・3」を作り、最後に「7・8・9」を作る)を語っていました。結果的には「1・2・3」を作った後、物語は「6」で完結しているからこの先は作らないと発言し、事実上スターウォーズは終了していたのです。しかし、ある日突然!

スターウォーズに関わるあらゆる権利をディズニー社に売却した。
そして私(ジョージ・ルーカス)は関わらずに、エピソード「7・8・9」が作られることとなる。

と、発表されました。

その後の展開はみなさんの記憶の新しいところですが、私が印象的だったのは、ルーカスが完成した「エピソード7」を観た最初の感想として、

「レトロ映画」「気に入らない」
「スターウォーズファン向け」
「私は愛する我が子を奴隷商人に売ってしまった」

と、インタビューで発言したのです。その後すぐに謝罪し、
「エピソード8」以降は、「美しく仕上がっている」などと褒め続けましたが、他でもないこの最初の感想こそが、今でもジョージ・ルーカスの本音であると私は思います。

つまり、ジョージ・ルーカスにとってスターウォーズとは常に新しいことに挑戦するいわば革命であって、それは物語の語り口でもメカやクリーチャーのデザイン見せ方にしても、誰も見たことのない世界がそこにあったからこそ、驚きと称賛をもって迎えられました。

ディズニー社のスターウォーズシリーズには、その新しさは感じられませんでした。ファンが歓びそうなスターウォーズを焼き直しているだけ。話題と言えば、おなじみのキャラが何十年ぶりに出る、といったこと位で、結局はそれらの死を見届けることとなりました。私が「7・8・9」の3本観た総括としては「スターウォーズの墓参り」をしたような気分です。

映画自体を否定はしません。それなりにこのお祭りを楽しみ、「7」「8」は2回映画館で観て、「9」は4回映画館で観ました。しかしそれはワクワクというよりも、サヨナラのあいさつをしたような気持ちです。本当に天国へと旅立ってしまったキャリー・フィッシャー、その後追いかけるように亡くなってしまったデビー・レイノルズ、相次いで母と祖母を失ってしまった娘のビリー・ラードの気持ちを思うとなんだか泣けてしかたありませんでした。(ビリー・ラードは「7・8・9」全てに出演。「9」では顔だけ若きキャリー・フィッシャーに差し替え、レイア姫の若い頃も演じています。)

そんな訳で、シリーズ物というのは結局、続ければ続けるほど寂しくなるものであるし、さらにどうしても新鮮味がなくなっていくものです。

しかし、ディズニー社はこれでもかこれでもかとスターウォーズのブランドを立ち上げ、このスターウォーズを搾りに搾った搾りかすをファンに飲ませ続けようとしています。なぜ、こんなことになってしまったのでしょうか。

それは、メガヒット作品をシリーズ化すれば、一定数儲かり続ける、というビジネスモデルスターウォーズが作り上げてしまったからです。

経済と言うのは回り続けなければ成り立たず、それに安定を求めるのは仕方がありません。そしてファンがいてその続きを見たい、と言うのであれば、できる限りシリーズをつづけて行こう、とプロデューサーが考えるのも無理はありません。

しかし、それは本当はファンのためではなく、プロデューサー会社がビジネス戦略のために考えていることであり、肝心のアーティスト(作家)は、はたしてそんなビジネス(金儲け)をするためだけに作品を作り続けているのでしょうか。少なくとも初めはそんな志ではなかったはずです。

ここで、目を国内に向けて、日本のアニメコンテンツを例に考えてみます。

ガンダム実物大模型

機動戦士ガンダム」を生み出した富野由悠季というエライ方がいます。
スターウォーズが流行り出した時期と、ガンダムのその時期がかぶっているので、いつかスターウォーズを超えたいと言っていたようですが、もはや、日本を代表するキャラクターコンテンツとして、スターウォーズに並ぶ成功を収めているといっても過言ではないでしょう。等身大の動くモビルスーツが実際に建設されるなど、ガンダムでしか成しえなかった偉業です。しかし一方で、富野由悠季監督本人の言動を追いかけていくと、常に「ガンダムから離れたい」「ガンダムとは別のものを作りたい」「ガンダムは終わりにしたい」「いつまでもガンダムガンダムじゃないだろう」と、ガンダムの呪縛から離れたいという欲求を持ち、もがき続けていることがわかります。

そう、ジョージ・ルーカス富野由悠季も作家として常に新しい物を作り続けていきたいという思いがあるのに、もう、生み出したコンテンツは巨大なビジネスの柱となっており、その物語は終わることを許されなくなってしまっていたのです。もう一つ例を上げます。

新世紀エヴァンゲリオン」を生み出した庵野秀明という人がいます。正直に言うと私はエヴァンゲリオンは大嫌いで、TVアニメを観ただけで、劇場版諸々は一本も観ておらず、世間の反応と庵野監督のドキュメンタリーをチラッと見た程度の知識で感想を述べますが、おそらく庵野監督もずっと長年、エヴァの呪縛から逃れたい、逃れたい、と苦悩してきたのではないでしょうか。またエヴァか…というかアニメ自体やりたくない…表現にアニメだけなんてこだわることないし…よし実写パートも撮ってみよう、そんなエヴァやアニメからの逃亡、苦悩や葛藤を作品に投影し続けてきたのではないでしょうか。(しかし、そんな苦悩や混沌を盛り込んだ作品に、やれここがわからない、やれここはこう解釈すると盛り上がるファンたちなんて構造は、先に述べた「JOKER」という最悪の作品をありがたがる風潮と似ていて私は大嫌いです。)アーティストとしてはいろんなことにチャレンジしてみたいが、世間はひたすらエヴァを求めてくる、もういい加減やめたいエヴァ。そしてそのエヴァンゲリオンが完全に終わった今、庵野監督はホッとしているのではないかという気がします。

※ちなみに私がかつて秋葉原でソフトショップの店員をしていた頃、エヴァンゲリオンの劇場版LD-BOXが、トラック2台分あっという間に売れまくっていたあの頃、エヴァ狂騒曲時代の話はいつかしたいと思います。

少し話が逸れましたが、つまりアーティスト(作家)というものは、常に新しい物を生み出したいと考えていて、どんな大ヒット作品を生み出したとしても、いつかはそれを終わらせて次のスタートを切りたい、前の作品を超えるもの、新しいことにチャレンジしたい、と思っているものです。

しかし、会社はなかなかそのチャレンジを許してくれません。とりあえず、ヒット作の続編、続編、また続編…と、安定路線で食いつなごうとします。

結果、こういったスピンオフリメイクリブート…という、何かにしがみつく企画ばかりが採用されていきます。そして、近年の映画やテレビドラマの多くが80年代の名作のシリーズ物で引っ張り続け、数々の失敗作が生まれていきます。例えば洋画で言うと「ダイ・ハード」「ターミネーター」「エイリアン」「ランボー」など、数え出したらキリがありませんが、初めは映画史に残る名作だったのに、B級・C級・Z級の駄作(珍作・迷作)が生まれることとなり、それでもなお、まだ続けようとするのです。

※ちなみに「ダイ・ハード」は1・3が名作。「ターミネーター」は2が最高傑作。「エイリアン」は2が最高傑作で4は佳作。「ランボー」は1が名作で2が佳作。他の作品は、ほぼ観る価値がありません。この辺もいずれしっかり書きます。異論反論オブジェクション!は受け付けます(笑)

そしてまたジョージ・ルーカスの話に戻りますが、彼がディズニー社という商人に売り渡してしまった愛すべきコンテンツがもう一つあります。

それは「インディージョーンズ」です。このシリーズ最新作も、当初はスピルバーグ&ルーカスの黄金コンビ、お馴染み山のマークのパラマウントピクチャーズで製作される予定でしたが、いつのまに彼らの手から離れ、今では完全にディズニースタジオの映画として2021年現在、製作中です。

それにしても、78歳の老人が♫テーテレッテー、テーテレー♫とテーマ曲にのってアクションをする、というのは無理がありすぎませんか。ハリソン・フォードは、おじいさんハン・ソロの撮影時にもケガをし、今回のインディ撮影時にもケガをしたそうです。もう年寄りをいたわれよ、というかこれを製作する会社も、映画楽しみです!と言ってるファン達もなんだか怖くなってきました。一体、何歳まで彼を走らせるつもりでしょう。

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(見てください、明らかにツラそうです。ちなみにかつてインディの父親役を演じたショーン・コネリーは晩年スパッと俳優業を引退しました。)

もっとも、年齢を気にせずにひたすらハードなアクション映画を撮り続けるトム・クルーズのように、もしかしたらハリソン・フォードも撮影を楽しんでいるのかもしれません。しかしインディが「俺も年取ったな。あちこち痛いよ。」なんてセリフがあるとしたら、そんなもの見たくもありません。

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あらためて言いますが、私は、


映画や物語はケジメよく始まり、いさぎよく終わって欲しいのです。

それでこそ人々の心に刻まれ、名作になると私は考えます。

そして、もっと続きが観たい、もっと読みたい、もっと知りたい、とねだるわがままなファン達にはこう言いたい、「続きは自分で考えなさい。」と。
与えられたものを観続けているだけでは、考える力想像力は育ちません。

スターウォーズの世界が描かれれば描かれるほど、それを観れば観るほど、「あなたの考えていたスターウォーズ世界、あなたの想像していたスターウォーズ宇宙」は狭まります。
常に「他人が考えたスターウォーズユニバース」を観ている、確認している、消費しているだけなのです。正に暗黒ディズニーギャラクティック帝国カンパニーの思うつぼです。

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しかしながら、暗黒ディズニーギャラクティック帝国はいよいよもって勢力を拡大し、スターウォーズは終わらないシリーズ化というビジネスモデルを確立して、いまだにそのコンテンツは増殖し続けています。

かつて私を夢中にさせてくれたスターウォーズ、「映画館で映画館を観る」という喜びを教えてくれた、あのスターウォーズはどこに行ってしまったのでしょうか。今の私の気持ちは、あの時ルーカスが後悔したのと同じように、スターウォーズが「奴隷商人に売られてしまった」ような気持ちです。これを悲しみと呼ばずなんと呼べばいいのでしょうか。

そんな訳で、スターウォーズがたどってきた歴史、映画業界やエンターテイメント業界に及ぼしてきたさまざまな影響、そして現在も進行中の悲しみについてみてきましたが、みなさんはどう感じられたでしょうか。

4.最後に

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ここまで読んでいただいたみなさん、本当にありがとうございました。

共感いただいた人もいるかもしれませんし、中には「懐古主義のおっさんが何か言ってるよ。そんな嘆き悲しんでばかりいないで、今のスターウォーズを楽しめばいいじゃん。」と思う方もいるかもしれません。

しかし、そんなオロカモノには何度でも言います。今、せっせと作られているディズニーのスターウォーズはスターウォーズではありません。

スマホやタブレット、そして家のテレビモニターなどで観るスターウォーズがスターウォーズなわけがありません。

映画館の大画面、大宇宙にドーンと黄色いロゴが映し出されたその瞬間こそがスターウォーズなのです。そして、シネラマ方式で観た世代の方は、それこそ「中央区の主催する花火大会よりスゴイ」と言われたワープのシーンを体験したその時こそが、スターウォーズなのです。

そう、映画とは正に体験、その場にいたと思えるような経験、身体に染み渡るような感覚、それこそが感動を呼び、一生忘れられない大切な映画となるのです。それでこそ心に刻まれたスターウォーズ宇宙は大きく大きく広がります。映画を一情報としてしか認識してない人の心には、何も広がることはないでしょう。

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長々とスターウォーズについて嘆き明かしてしまいましたが、あらためて私が映画界に提案する願いは3つです。

・映画のエンドロールはやめてタイトルロールにすべし。

・映画の一般料金は一律1,000円にすべし。

・オリジナルの「スターウォーズ」6部作を映画館で上映すべし。

※オリジナルの、とあえてうたうのは私がオリジナル至上主義だからです。特別編、ディレクターズカット、ファイナルカット、ブルーレイ版など様々なバージョンが作られる映画がありますが、オリジナルこそがベストであると私は考えます。「スターウォーズ」も、エピソード4・5・6は劇場公開版がベストだと思うのですが、ブルーレイ化されていません。この辺の問題についても、別途書きます。

これらの願いが叶う可能性は極めて低いかもしれませんが、決してゼロではないと、希望(A NEW HOPE)を持って生きていきたいと思います。

「未来は常に動いておる」   ヨーダ

そう、世は諸行無常、栄枯盛衰、ディズニーギャラクティックエンパイアもいつか滅ぶ日がくるかもしれません。そして、ジョージ・ルーカスもしくは選ばれしジェダイがスターウォーズの権利を取り戻し、気軽にスターウォーズ6部作を映画館で観ることができる、そんな日がもしかしたら来るかもしれません。そしてそれをきっかけに、

世界中の映画館が活気を取り戻す、
かもしれません。

そんな未来を願って。

それでは、ジェダイと希望を信じる諸兄姉のみなさま、

フォースと共にあらんことを !     May the Force be with you !


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