共感覚の世界
子供の頃から数字にはそれぞれ色がついてて、ひらがなもカラフルなものだと思っていた。
共感覚という言葉を知ったのは二十歳過ぎだったと思う。
「1」は、わからないくらいほんのり水色がかった白。
「2」はピンク。「3」は黄色。「11」は白。
「あ」は赤。赤だから「あ」なのかと思っていたくらい。
「お」は青い。「あお」の「お」だからそうなんだと思っていた。
「かきくけこ」は「き」が黄緑色で「け」が茶色だけど、それ以外はトーンの違うオレンジ系になっている。
「かきくけこ」は、秋のイメージだ。
サイキックで共感覚だと、物質が境界線とは限らなくなる。
SNSで誰かがアップする美しい花の写真からは、本当に香りがすることがある。
そして香りにも色があって、面白いことにその花の色と同じことが多い。
黄色い水仙は、本当にきれいな黄色の香りがする。
私は昔から「おもしろ映像」が苦手だ。
画面にはブランコで遊ぶ女の子。次の瞬間、ひっくり返って転ぶ。
勢いよく走ってきたバイクが滑って、どこかの国の雑多な店に突っ込む。
太った人が、面白い転び方をして水に落ちる。
私にはその時の恐怖や痛みが伝わってくるので、これを見てテレビの中の人たちが笑っている意味がわからなかった。
今もあの手の映像は苦手なままだ。
バイオレンス映画が大丈夫なのは、作り物だと理解しているし、実際に役者が痛くないからだろう。
ただ、いい役者さんは本当に感情を「体験して」いるので、心の痛みや悲しみや動揺が伝わってきて、本当に心を揺さぶられる。
昨年の夏、イギリスへ行く飛行機の中で映画を観た。
あれだけ話題になっていた「ボヘミアン・ラプソディ」を未だに観ていなかったので、イギリスに着くまでには観ておかなくちゃと思ったのだ。
その頃、締め切りが迫っている絵があったので渡英前にできる限り進めていて、その時はほぼ徹夜で飛行機に乗っていた。
そんな寝不足のせいだろう、名作と絶賛されている映画なのにうまく入ることができなかった。
時々眠くなるけど、旅でテンションが上がりすぎているので眠ることもできない。
そしてなんとか最後まで観ることができたのだが、私の感想としては
終始、前歯が乾いて仕方がなかった。
この記事が熱狂的ファンの目に止まらないことを祈るが、フレディの感情以前に、前歯の乾きと上唇の異物感に終始した時間だった。
もちろん私の前歯は乾いてなんかいない。上唇も異常なしだ。
だけどあの感動的なラストですら、前歯の乾きと異物感で辛かったのである。
子供の頃、食べ終わったオレンジの皮を上歯茎に入れてゴリラの真似をしたことがある人ならわかってもらえると思う。まさにあれなのだ。
多分、もう二度と観ることはないだろう。
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