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【連載ブックレビュー】堀川惠子著『教誨師』 PART.2 死刑囚のこと

―君にこれを受け止める覚悟はあるか
そんな声が聞こえてきそうな、普相さんからの遺言であり、死刑囚たちの遺言でもある

タイトル:教誨師
著者名:堀川惠子
出版社:講談社文庫
発行年月日:2018/4/13

「この話は、わしが死んでから世に出して下さいの」
受刑者の徳性を涵養する任を負う宗教者“教誨師”。教誨師を長く務めた浄土真宗の僧侶・渡邉普相さんによって、死刑囚との様々なエピソードや死刑執行に立ち会う場面が語られる。壮絶な状況でこそ浮き彫りになる生きるということ。その意味をまざまざと考えさせられる一冊。

■PART.2の内容

PART.1では主人公である教誨師・渡邉普相さんの話で終わってしまった。立場や考えは様々ながら、本書を読もうとする最大の動機は共通していると思う。

それは、日常生活で関わり合うことのない、また関わり合うことのあってはならない人々―死刑囚。その死刑囚がどのような人々で、どのような獄中生活を送り、どのような心境で最期を迎えたのか。

本書も半ばを過ぎたあたりから、いよいよ執行立ち会いの話へとなっていく。本を読んでいて、これほどに強い渇きのようなものを感じることは、そう多くない。

PART.2では、本書に登場する死刑囚のうち、筆者が印象に残った死刑囚を紹介する。

■山本勝美(仮名)

腕のいい配管工であったが、コソドロの常習犯で刑務所へ。服役態度も良好であり、腕の良さを見込まれ、水回りの改修・修理を率いるリーダーを務めていた。作業ではペンキやシンナーを使用する場合もある。このシンナーのニオイから、酒が飲みたいという衝動に駆られる。彼を慕っていた子分と共謀して、刑務官に危害を加えて脱走。結果、刑務官は亡くなり、子分の罪もかぶって死刑囚となった。

最初は普相さんの言うことを真剣には聞かなかった。ある日、眠れぬ夜に何気なく枕代わりにしていた経典を開く。すると、『歎異抄』の有名なフレーズ「善人なほもつて往生をとぐ。いはんや悪人をや。」に出会い一変する。

「先生、どうしてこれまで私にこれを教えて下さらなかったのですか!悪人でも救われると書いてあるじゃないですか!」

と、次の教誨面接で普相さんに迫った。それからは、浄土真宗のあらゆる書物を読破した上、真宗教義をさらに深く理解するために他宗派の書物まで読破していたという。キリスト教に啓示なるものがあると聞いたことがある。仏教に発心なるものがあると聞いたことがある。それに、近いものがあったのかも知れない。

本書には「経典」と記載されているが、枕代わりにできるほどであるから、おそらく浄土真宗本願寺派で使用されている浄土真宗聖典だったのではないかと思われる。ゆうに1500ページを超え、お経から教典や関連文書、浄土真宗に関するものが数多く収録されている。偶然と言ってしまえばそれまでだが、膨大な文書の中で『歎異抄』にある先述の言葉に出会っているのであるから、人智を超えた力の働きを感じずにはいられない。

いよいよ執行が現実味を帯びてくるようになると、より一層、写経と読書に励むようになった。身体を壊してしまうのではないかと心配させるほどだったという。教誨面接の回数を、週に2回から3回に増やしてほしいと言われたが、普相さんにもお寺の仕事があるため、断ると

「先生、私には、時間がないのです!」

と引き下がらなかったという。師匠である篠田さんにも手伝ってもらい、希望通り何とか週3回で対応した。さらに色々な話は出てくるが、執行の話へと移る。

その当時は、死刑囚が収監されている施設と新設された刑場が離れていたため、施設から刑場までを小一時間ほど車で移動した。久しぶりに見る、そして最後に見る外の世界である。

「先生、あれ! あの店です!」

彼が指さした先は、脱走して酒を飲んだ店だった。

「山本さん、どのくらい飲んだんですか」と普相さんが尋ねると、
「先生、一合ですよ」と答えた。すると、憤懣やるかたなしとなった普相さんが

「ああ、そうかあ、一合だったのか。たった一合のために死刑かよ! ああ、わっし、どうにもやれん。なあ山本さん、いっそ一升くらい飲んだらよかったなあ!」

山本は小さな笑い声を漏らし、同行の刑務官もつい口元を緩める。桂枝雀さんが「緊張の緩和」という言葉をよく使っていた。執行を目前とした、究極的状況下における「緊張の緩和」だったのかも知れない。いよいよ、執行の場面となる。

「昨晩、寝ないで『正信念仏偈』を写経しました」
そう言って一部ずつ、写経本を立ち会いする者たちひとりひとりに手渡した。
最後に渡邉の前に進み出ると、こう言った。
「渡邉先生には本当にお世話になりました。先生、私の部屋に『仏説阿弥陀経』の写経が何十も溜まっております。集合教誨の度に経本が足りぬと仰っておられましたから、この春からずっと作っておきました。どうかみんなのために使ってやって下さい」

普相さんは、大きな声で叫ぶように正信念仏偈を称えることしかできなかった。『仏説阿弥陀経』の礼を言う心の余裕もなかった。これが普相さんにとってはじめての執行立ち会いとなった。

■竹内景助

国鉄三大ミステリー事件の1つ“三鷹事件”の犯人とされた人物。国鉄を解雇されたばかりで共産党シンパだったことから嫌疑がかけられた。

「(共産党系の)弁護士から、罪を認めても大した刑にはならない、必ず近い内に人民政府が樹立される、ひとりで罪を認めて他の共産党員を助ければ、あなたは英雄になると説得された」

本人も無罪を訴え、冤罪との話もあり、今も「三鷹事件再審を支援する会」が活動を続けていらっしゃるようである。

死刑判決が確定してから死刑が執行されるまでの時間は、おおむね三年から五年。しかし竹内は、確定から一〇年以上獄中に置かれていた。歴代の法務大臣は、彼の死刑執行命令書にだけは決してサインしようとしなかった。

読書好きで知識欲旺盛、浄土真宗の教えにも真摯に向き合い、特に写経が上手かった。そもそも、無罪だとの自負や他の死刑囚とは違う、同じにするなという矜持もあったのだろう。強盗や強姦殺人を犯した人々を見下すような態度を示して、トラブルを起こしては懲罰房行きとなった。

このとき、彼が対等な関係を築けていたのは、浄土真宗の教えに熱心だった山本勝美くらいだったそうである。どれだけ、教えに向き合い、熱心に写経に励んでも、罪を認めてしまった自らを悔い、共産党を憎んでいた。

あるときから、激しい頭痛に見舞われるようになり、まともに食事も取れないためか、頰骨の形がくっきり浮き出るほどに瘦せこけていった。

竹内の尋常ならざる様子に、周囲の死刑囚たちは再三にわたり、刑務官に検査するよう訴えていたが、「仮病」とか「心の問題」と言われ取り合ってもらえなかったという。竹内の頭痛に深刻な事情があったことを渡邉が知るのは、新しい年が明けてからのことである。

―45歳、脳腫瘍で最期を迎えた。適切な処遇を怠ったことを理由に、遺族が国家賠償請求を行い、国は遺族へ慰謝料を支払ったとのこと。

■木内三郎(仮名)

四舎二階の住人の中でも、その罪状に「強姦」という二文字がつく者はことさら軽蔑の対象となる。強盗ならまだ格好はつくというが、強姦となると集中的に苛められるのだ。若くて身体だけは人一倍立派なのに妙に気弱な木内は、何かにつけ馬鹿にされていた。そんな木内をかばってやっていたのが、脱獄囚の山本や三鷹事件の竹内という面々だったことを後に本人から聞いた。

強姦罪に対する軽蔑は、死刑囚に限られず、一般刑務所でも同様であると聞いたことがある。また、万国共通でもあるようで、アメリカの刑務所で服役した経験があり、TBSで放送されていたクレイジージャーニーにも出演した、チカーノ・ケイが語っている。

「レイプ犯や子供にイタズラした奴が入ってきたとき。そういった犯罪者は嫌悪されているので、だいたいその日のうちに始末されますね。」

他の受刑者とトラブル起こすほど、プライドの高い竹内景助からすれば、木内などはもっとも忌み嫌う侮蔑の対象となるはずである。そんな、竹内に

「そうそう、先生よ、私の近くの房に木内何某という新入りが来ました。二〇代の若者で、そろそろ上告だそうです。教誨を受けたいと言っておりまして、今は山本君が面倒をみております。今日の午後あたり来るかもしれません。真面目なやつだから、ひとつ宜しくお願いしますよ」

と言わしめるほど、大きな身体が不釣り合いな純朴でどこかあどけなさの残る青年であったのだろう。

純粋で少し抜けた感じのある少年は、学校ではからかいの対象となり、家庭では父親から暴力の対象となった。読み書きが出来ず、学校の成績が悪いためである。中学に入ってもひらがなすら読むことが出来なかった。

中学卒業後に就いた土木の仕事でも、書類を作らないといけない時には仲間へ頼み、その見返りとしてきつい仕事をやらされた。ずっと、人にいいようにされてきた人生である。

職場の先輩の勧めで酒を覚えると、酔いに任せて日頃の鬱憤を晴らすようになる。奇行を繰り返したりするうち、店の女性を襲うようになった。女性たちは、お金と引き換えに騒ぐのをやめて体を許した。ずっと、言いなりだった彼が、自分の自由に動いてくれる快感を味わってしまった。最初は嫌がる素振りを見せても、最後はやらせてくれるものだと思い込む。そのうち、通りすがりの女性を襲って強姦するようになってしまう。

1人目と2人目の被害者は、恐怖のあまり騒がずにいたが、3人目の被害者が騒いだため、焦って絞殺してしまう。もう「死んでお詫びするしかない」と、仕事をいつも世話してくれた親方の墓の前で農薬を飲んで自殺を図る。気を失って倒れているところを発見され自供して逮捕。字が読めない彼が倒れていたその墓は、親方の墓ではないというあまりに切ないオチ付きである。

「あなたの記録を読むと、小さい頃から読み書きが出来ないで苦労してきたようだなあ。わっしにはどうも、そのことが事件に無関係ではないように思えるんですが、どうだろう。残された時間を使って、字を学んでみないかな?」 木内は大きな体を揺らすようにして、子どものように嬉しそうに頷いた。
マンツーマンのレッスンの成果はみるみる現れた。半年もすると木内はひらがなをほぼマスターし、カタカナの練習を始めた。そのうち、自分の思いが伝わる手紙も書けるようになった。何より本人がやる気になって、文字が書けるようになったことを嬉しそうに報告する姿がいじらしかった。打てば響くような木内に、渡邉は、自分が教誨師として彼に向き合っていることの成果を確かな形で実感できた。

まるでこれまでの人生を取り戻すかのように、字の稽古に打ち込む。その成長していく姿は、“いじらしい”という普相さんの言葉通りである。山本勝美は自らが死にゆく際ですら、木内を心配した。それほどに、屈託のない根っからの善良さがにじみ出ている人だったのだろう。

最期も彼らしく、大きな身体を震わせながら、両目になみなみと涙を溜めていたのだという。ただ、人間としての確かな成長も見せる。せめてもの償いにと献体の誓約書を書き、アイバンクにも登録する。

「先生?私の身体で手術の練習をした若いお医者様が、将来、誰か病気の人の命を救ったとしたら、私も人の役に立ったということになりますか?私の目が誰かに使われて、その人が幸せになったら、私の罪は少しでも許されますか?」

■まとめ

母恋しさのあまり殺人を起こし、最期の最期まで「お母さん」と絶叫し続けた者など、様々な受刑者が登場する。読む人それぞれに印象に残る受刑者がいると思う。ただ、被害者が確かにいることを決して忘れてはならない。被害者や被害者遺族の立場になって考えれば、受け容れることなど到底できない。しかしながら、その大前提を踏まえてもなお、感じるところがあることもまた事実ではある。

本書は死刑囚のことだけではなく、死刑制度やその歴史的変遷にも触れ、制度そのものを問う内容ともなっている。十分に制度の是非について考える材料が示されている。

制度の是非については、一旦おいておくとして、制度を存続させるのであれば、取り調べの可視化と徹底した科学的捜査は、絶対的要件であると筆者は思う。

法務省で様々な職務を歴任した方と話をしていたとき、死刑制度の話題になり、冤罪の蓋然性が高いとされる飯塚事件のことをこちらから振ってみた。するとよくぞ聞いてくれたと、勢いよく話して下さった。「法務省の一職員としても、あれは明らかにおかしいと思った」と。

法務省(検察)は、裁判の過程では不利な証拠集めを懸命に行う。しかし、刑が確定して死刑囚となってからは、本当に死刑を執行しても問題がないかを確かめるため、法務省は死刑囚にとって有利になる証拠集めを懸命に行うのだと。

本書に登場する連続猟奇殺人の白木雄一(仮名)は余罪を普相さんへ告白する。事実であるとすれば、誤認逮捕された被害者が2人いたことになる。

法務大臣と死刑についても、書きたいことはあるが、もう相当長くなっているため、これ以上は止めておく。本書はそれほどに濃密であるとともに、死刑制度はそれほどに論点が多い。(つづく)


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