【パッチワーク書評】司馬遼太郎著『殉死』より武林唯七の話
■パッチワーク書評とは
―ずっと、毎日継続できるコンテンツを考えてきました
その完成形ではありませんが新しいシリーズをスタートさせます
―パッチワーク書評とは
本を読んでいて出会った、ステキな言葉やエピソード、強烈な言葉やエピソードを切り取って紹介する試みです
努力がまるで足りていなくて恥ずかしいのですが、
読了→書評→読了→書評 というサイクルで毎日更新ではクオリティの維持が困難です
切れ端をかき集め、時間が経って振り返ると、織り成されている
そんな、パッチワークキルトのようなものを目指します
さっそく、本題へ入ります
■武林唯七の話
―あまりに苛烈な「お静かに」
眠りに就こうとしていたら、あまりの鮮烈さに目が完全に覚めてしまった
「お静かに」は赤穂浪士の一人、武林隆重(通称:唯七)による最期の言葉。『殉死』は司馬さんが乃木希典のことを描いた小説。
もちろん、小説であるから、作品には創作部分も含まれている。ただ、これは司馬作品全般に言えることだが、創作と事実や伝聞などとは、書き分けをしている。新聞記者出身らしく、事実や伝聞を書き記すときには叙述的である。
よって、武林唯七のエピソードもどこかの史料に残っていたか、郷土歴史家などから聞いたのであろう。それでも、小説の中に記載されていたエピソードであることは、留保しておく。
唯七は帰化人の孫である。その祖父は中国杭州府武林の人で、秀吉の朝鮮ノ役で捕虜になり、日本に移住した。その子は浅野家の医官になり、唯七を生む。
祖父の名を孟二寛といい、「孟母三遷」など様々なエピソードを持つ孟子の後裔との説もある。また、浅野家の医官になるまでの話にもいくつか説がある。
切腹にあたって、話がある。元禄のころの長府毛利家は士風がよほどおとろえていたのか、江戸詰めで剣を使える者がすくなく、浪士の切腹にあたってそれを 介錯 ──首を落す──ことができる者はわずか五人しかいなかった。唯七は切腹の座につき、長府毛利家の家士榊正右衛門の介錯をうけた。榊は唯七の背後にまわり、唯七が腹に短刀を突き入れるや、あわただしく太刀をふりおろした。しかし太刀は唯七の頭蓋の下辺に激しくあたったのみで刃が 跳ねかえり、落せなかった。唯七は前へ倒れ、しかし起きあがり、血みどろのまま姿勢を正し、「お静かに」と、榊に注意した。二度目の太刀で唯七の首が落ちた。
―「お静かに」
しばらく、頭の中でこだまするのを止められなかった
凜としていながらも、相手を慮るどこか優しさを湛えたような「お静かに」
新撰組でよく言われる「武士よりも武士らしく」。帰化人の孫として「日本人よりも日本人らしく」。そんな矜持が感じられる。ただ、そんなキレイごとを言っていられない状況である。だからこそ、美しくも切なく鮮烈なのであろう。
介錯人である榊正右衛門が、オロオロする姿が想像され、ただただその醜悪さが際立つ。司馬さんは他の作品でも、長州をあまり好意的には書いていないように思える。それはまた、改めて書こうと思う。
―武林唯七、胸に刻んでおきたい人である
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