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【パッチワーク書評】立花隆著『読書脳 ぼくの深読み300冊の記録』 巻頭対談

―知の巨人が語る、読書の過去・現在・未来

取り巻く状況はもちろん、知の巨人・立花隆さんの電子書籍に対する考え方も、現在は大きく変化しているかも知れない。

本書は立花さんが「週刊文春」に連載する「私の読書日記」のうち、2006年12月7日号から2013年3月14日号にいたる6年分を収録している。立花さんは「私の読書日記」の位置づけをこう語っている。

私はこのページを書評のページとは思っていない。また純粋に私的な読書ノートとも思っていない。むしろ、そのときどきで書店の店頭にならぶ本の中で、読む価値がある本の紹介のページと思っている。

さらに、立花さんはこうも続ける。

選ぶいちばんの基準は広義の「面白い」ということに置いている。といっても、単なる娯楽本読み物本のたぐいは、いっさい排除している。フィクションは基本的に選ばない。二十代の頃はけっこうフィクションも読んだが、三十代前半以後、フィクションは総じてつまらんと思うようになり、現実生活でもほとんど読んでいない。人が頭の中でこしらえあげたお話を読むのに自分の残り少い時間を使うのは、もったいないと思うようになったからである。

筆者自身も年齢を重ねるにつれ、フィクション作品は遠のいていくのを感じる。ただ、司馬さんや開高さんという例外もいる。また、同じ司馬さんや開高さんの作品であっても、小説よりもエッセイを読む時間が増えてきたように思う。

本書は2013年に出版された。2010年に初代iPadが発売され、電子書籍元年と呼ばれた数年後ということになる。電子書籍のインフラはある程度整備されつつあるものの、やはり現在とは大きな違いがある状況であった。

デバイスの進化はもちろんのこと、筆者が個人的に思う最大の変化は価格である。当時の電子書籍は、紙の本とほとんど値段が変わらなかったように記憶している。価格が変わらないのであれば、紙の本を選ぶということになる。現在はkindleや楽天koboにおいて、大規模な電子書籍セールが随時行われている状況にある。また、kindle unlimitedをはじめとした読み放題サービス、いわゆるサブスクリプションが当たり前の時代となっている。

しかしながら、これらの背景を踏まえてもなお、2013年当時に立花さんが語った読書への意見や考え方は、参考となるべき部分が数多ある。特に圧巻なのは「私の読書日記」へ入る前に組まれた、石田英敬・東京大学附属図書館副館長(当時)との巻頭対談である。

今回はこの巻頭対談から印象に残った言葉をいくつか拾い上げてみたい。

立花さんは読書に対する基本的な考えをこう語る。

「本を読む」という行為は、長らく人間の文化の中核にありました。しかし、インターネットの出現以来、本が占めていた文化的な地位は下がってきたように見えます。
どちらかというとぼくは紙の本が使い勝手がいいですね。本をかなり汚しながら読みますから。
自分がかつて読んだ本を思い出すと、紙がクリーム色だったか白だったか、書体はどうだったか、手触りの感覚はどうかといった即物的なことが妙に記憶に引っかかっています。そういう情報が失われた電子書籍には、あまり近しさを感じられませんね。

対して、石田さんは電子書籍に対する考えをこう語る。

紙の本の場合、見開きの右側に書いてあったとか、ページのどのへんにあったという具合に、位置情報と一緒に読んだ内容を記憶できますよね。だから後で、読み返したい場所を探しやすい。それは紙の本が立体で、空間的な位置情報を持っているからこそできると思うんです。ところがキンドルやコボ(楽天の電子書籍端末)など、大半の電子書籍端末は、ページの概念を持たないリフロー型(再流動型)で、文字の大きさを変えたり、行間や余白の幅を変えたりすると、ページがズレてしまう。使用する端末の画面の大きさにも依存してページのレイアウトが変わります。これが個人的には耐えられません。空間的な位置情報を利用してモノを探すのは脳の基本的な働きですが、いまの電子書籍は、その働きをうまく活かせないんです。

たしかに、記憶術の代表的な手法のひとつに場所法と呼ばれるものがあることを聞いたことがあるし、何巻にも渡る大長編などになると、「○巻の真ん中くらいに書いてあったな」と考える読書人は少なくないはずである。

これに対して、立花さんは自身のエピソードとともに、本のあり方や電子書籍への考えを披露する。

でも、逆に立体感がなくて紙の本に比べて圧倒的に軽いところが電子書籍のよさですよ。これまでぼくは本の重みで家の床を抜いた経験が二度ある(笑)。建物の梁がゆがんだこともあります。要するに本好きは、次から次へ本を買ってしまう。カネさえあれば買うし、カネがなくても借金して買ってしまう。そして捨てない。だから本は増える一方です。ぼくはこれまで蔵書が増えるに従って本を置く空間を拡張してきた。過去をふり返ると、結局、本を買うことと本の置き場を確保する、そのためのカネ稼ぎをするというのがぼくの人生でした。これから先も死ぬまで本を抱えての流浪生活がつづくんでしょう。しかし、もしいま、一からやり直すとしたら、同じようなことをやるかどうかわかりません。コスト・パフォーマンスを考えると、別のことにカネを使ったほうが利口かもしれないとも思うんです(笑)。

立花さんの読書に対する基本的な姿勢は先に示した通りである。この話はこれからの読書人に紙の本なのか電子書籍なのか、もしくはハイブリッドなのかを選択する判断材料として、考えさせられるものがある。

読書の核心は、著者と自分との文字を通じた対話にありますよね。そこに本を読む快楽があると思うんです。その快楽は極めて個人的で、他人の容喙を許さない感性世界の中で生まれる。

読書の核心について語った立花さんの言葉をもって、いよいよ結びに入っていきたいと思う。

石田さんが東京大学附属図書館副館長という立場であることから、読書の未来についても語られているが、現在とは異なる部分もあると思われるため割愛した。ただ、受け取り方は様々ではあるものの、引用部分が読書人の心に寄与するものは少なくないと思う。

もちろん、巻頭対談に続く本編「私の読書日記」が秀逸であることは言うまでもない。

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