ブルシット・ジョブ       ーどうでもいい仕事が蔓延る現代の資本主義の背景ー


こんな本があったのでご紹介。
「ブルシット・ジョブ」著者はデヴィッド・グレーバー氏。
「ウォール街を占拠せよ」運動を行った人で、1961年ニューヨーク生まれ。文化人類学者・アクティヴィスト。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授。著書に『アナーキスト人類学のための断章』『資本主義後の世界のために――新しいアナーキズムの視座』『負債論――貨幣と暴力の5000 年』『官僚制のユートピア――テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則』と著作のプロフィールに説明されています。

以下本書の文章を下記に
一部引用抜粋転載致しました。

「一九三〇年、ジョン・メイナード・ケインズは、
二〇世紀末までに、イギリスやアメリカのような国々では、テクノロジーの進歩によって週一五時間労働が達成されるだろう、と予測した。かれが正しかったと考えるには十分な根拠がある。テクノロジーの観点からすれば、これは完全に達成可能なのだから。ところが、にもかかわらず、その達成は起こらなかった。かわりに、テクノロジーはむしろ、わたしたちすべてをよりいっそう働かせるための方法を考案するために活用されてきたのだ。この目標のために、実質的に無意味な仕事がつくりだされねばならなかった。

とりわけヨーロッパや北アメリカでは、膨大な数の人間が、本当は必要ないと内心考えている業務の遂行に、その就業時間のすべてを費やしている。

こうした状況によってもたらされる道徳的・精神的な被害は深刻なものだ。

それは、わたしたちの集団的な魂を毀損している傷なのである。けれども、そのことについて語っている人間は、事実上、ひとりもいない。

一九二〇年代から、無数のあたらしい仕事と産業が際限なく生みだされつづけるのをわたしたちは目の当たりにしてきた。しかし、それらの仕事のうち、寿司やiPhone、おしゃれなスニーカーの生産や流通にかかわっているものは、ごくわずかなのだ。  だとすれば、これらのあたらしい仕事とは、いったいなんなのか? アメリカにおける一九一〇年と二〇〇〇年の雇用を比較する報告から、はっきりと事態を把握することができる(なお、イギリスにおいても、ほとんど同様の状況が読みとれることを指摘しておく)。前世紀を通じて、工業や農業部門においては、家内使用人〔奉公人〕として雇われる働き手の数は劇的なまでに減少した。

同時に「専門職、管理職、事務職、販売営業職、サービス業」は三倍となり、「雇用総数の四分の一から四分の三にまで増加した」。

いいかえれば、予測のとおり、生産に携わる仕事は、そのほとんどがすっかり自動化されたのだった(たとえ工業労働者の人口を地球規模で数えあげたとしても──そこには中国やインドで苦役に就いている人間が多数ふくまれているものの──やはり、そのような労働者が世界の人口に占める割合は、かつてほどには高くない)。

しかし、労働時間が大幅に削減されることによって、世界中の人びとが、それぞれに抱く計画や楽しみ、あるいは展望や理想を自由に追求することが可能となることはなかった。

それどころか、わたしたちが目の当たりにしてきたのは、「サービス」部門というよりは管理部門の膨張である。そのことは、金融サービスやテレマーケティング〔電話勧誘業、電話を使って顧客に直接販売する〕といったあたらしい産業まるごとの創出や、企業法務や学校管理・健康管理、人材管理、広報といった諸部門の前例なき拡張によって示されている。

さらに、先の数字は、こうしたあたらしい産業に対して管理業務や技術支援やセキュリティ・サポートを提供することがその仕事であるような人びとをすべて反映するものではない。

ついでにいうと、多数の人間がその時間の大半を仕事に費やしているがゆえに存在しているにすぎない数々の付随的な産業(飼犬のシャンプー業者、二四時間営業のピザ屋の宅配人)も反映されていない。

これらは、わたしが「ブルシット・ジョブ」と呼ぶことを提案する仕事である。

まるで何者かが、わたしたちすべてを働かせつづけるためだけに、無意味な仕事を世の中にでっちあげているかのようなのだ。


私がこの本を読んで感じた現代資本主義のからくり。それは意図的に作られたものとして感じた。
みなさんはそんな広域で壮大な計画を考え、作り出せる組織や人間がいるわけがないと思うでしょう。

しかし、歴史の経緯などを細かく追っていくと、そういう事はあり得るし、そんな頭の良い人間も存在するのがわかってきます。

常人は烏合の衆なんですね。
考えもつかないのです。

これに反して、地球上に住む本来あるべき人間という自然の一生物のあり方は違っています。

自給自足の論理とは、生産者になる事であり、生産しみずから消費する。

もし、現社会から脱する事を考えるなら、

他に依存する事を生活から極力減らす事に

あります。

それが生き物として、本来の人間としての生業です。

現代社会や市場原理の経済で無駄な仕事に従事するのは、わずかであっても競争原理に巻き込まれていく事になるのです。

会社組織は儲かってるように感じています。しかし、実際には搾取されている。歯車でしかないのです。

自ら自立した生活をした人々は、強さを手にします。


それが世界の市場経済をリードしている人間には、力のある脅威の対象だからこそ、先住民たちは追いやられていったのが、歴史や文化を探究すれば理解できます。

人々を農や手工業や個人事業主から組織労働に従事させて社会に依存させてしまえば、
個々の人間力は次第に奪われて、社会という枠組みから逃れられなくなる。

自分は歴史からそれを読み解きます。

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