農家 or 漁師
僕が子供のころに夢中になっていた遊びは、ザリガニやカブトムシを捕まえるよりも、絵を描いたり、粘土遊びをしたり、本を読んだりすることだった。
今思えば、子供の頃から陰キャ要素が爆発していたようである。
そして、僕はド田舎の農家育ち。
子供の頃は、田植え、稲刈りの手伝いをよくやっていた。腕がかぶれるから嫌いだったけど。
そんな環境で育ったからなのか、僕は最近、「育てる・創る」という行為が、以前にも増して魅力的に感じるようになった。
そう思ったきっかけは、個人で取り組んでみたビジネスである。
今は、noteをはじめ、Kindle、Udemy、Tips,Brainなど、情報を販売できるプラットフォームが多く存在している。
僕も副業ブームの波にのるべく、はじめはブログに手を出した。そして、多くの教材も購入したりした。
みたいに、沢山の情報を貪るように食べてしまい、案の定、消化不良を起こして手が止まり、やめた。
で、次はコンテンツビジネスに手を出した。
界隈では決まり文句のように、
「ビジネスとはお悩み解決である」
と、言われていた。
僕は「はは〜なるほど!」と、素直に受け入れ、悩みを解決するべく、色々と情報を買い漁り、自分の体験談・感想を入れ、コンテンツを販売した。
多少売れたりもしたが、それよりも、僕はやっていてしんどかった。つまらなかった。面白くなかった。
もちろん、つまらない、楽しくない、なんていう感情は、悩みを抱えているお客様にはどうでもいいこと。
だけど、僕にとっては重要な問題だったのだ。
今だから言うけど、
僕は正直、お悩み解決なんてどうでもいい。
悩みをリサーチして、解決方法を提供するという工程が、僕には苦痛すぎたのだ。
以前の記事でも詳しく言ったが、人は一人で勝手に助かるからだ。
僕が横からアレやコレやと口出しするのは、おこがましいことだなと、今となっては思う。
そして僕は気付いた。
僕に漁師は向いていない。農家が向いているようだ。
と。
ビジネス、というより、マーケティングが上手な人というのは、
プロの漁師。ハンター気質なのだ。
魚が集まる場所にアタリをつけ、魚が飛びつきそうなエサを用意して、魚が網にかかりやすい場所に誘導し、エサを撒く。
そして、タイミングをみて、一気に網を引き上げる。
漁師は常に、魚が次に取るであろう行動の先を読み、捕獲する。
一方、「農家」はどうだろうか?
畑を耕し、種を植え、育てる。
天気に左右されることもあるので、何があるのか分からない。
収穫までに時間もかかる。いや、もしかしたら膨大な時間をかけたにも関わらず、収穫できずに腐ってしまう可能性すらある。
パッと考えただけで大変すぎる。
でも、自分の畑は自由にカスタマイズできる。自分の植えたい農作物を育てることができる。
そういった「自由さ」というのが、今の僕には魅力的に感じるのだ。
あと、自分のこだわりの農作物をじっくり育てる、というのも、職人気質な気がして良い。
漁師のように「魚起点」で思考・行動するというのは、「お客様は神様」という考え方に近いのかもしれない。
全てはお客様のため、という精神はもちろん重要だろうけど、あまりにもお客様起点で物事を考えてしまうと、「自分が置き去り」になる。
そうやって自分の感情を押し殺してしまうと、自分の感情も分からなくなってくる。
自分ではやりたくない、と思っていても、「ビジネスはお客様のためだ。自分の感情なんか捨てたほうが良い」という考えに至るようになる。
そして、自分の中で葛藤を抱えつつ、お客様に対して価値を提供できない自分を責め、自分の価値を高めようとさらに教材を購入する。
そうやって感情はドンドン苦しくなるし、提供するコンテンツの質も下がっていき、結果も出ず終わってしまう、なんてことになってしまう。
というか、僕がそうだったからだ。
自分の感情に素直になり、畑を耕し、タネを蒔き、水をやる。そして、実がなるように、じっくり育てる、そういった工程が楽しいと感じるようになった。
そんなわけで、
今日も土を耕し、タネを蒔き、水をやるのだ。
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