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農家 or 漁師

僕が子供のころに夢中になっていた遊びは、ザリガニやカブトムシを捕まえるよりも、絵を描いたり、粘土遊びをしたり、本を読んだりすることだった。



今思えば、子供の頃から陰キャ要素が爆発していたようである。


そして、僕はド田舎の農家育ち。


子供の頃は、田植え、稲刈りの手伝いをよくやっていた。腕がかぶれるから嫌いだったけど。

そんな環境で育ったからなのか、僕は最近、「育てる・創る」という行為が、以前にも増して魅力的に感じるようになった。

そう思ったきっかけは、個人で取り組んでみたビジネスである。


今は、noteをはじめ、Kindle、Udemy、Tips,Brainなど、情報を販売できるプラットフォームが多く存在している。



僕も副業ブームの波にのるべく、はじめはブログに手を出した。そして、多くの教材も購入したりした。

ふむふむ、どうやらPREP法っていう文章構成で書くと良いらしいぞ!
ふむふむ、どうやらWordPressのテーマは〇〇が良いらしいぞ!
ふむふむ、雑記ブログではなく特化ブログが良いらしいぞ!
ふむふむ、HARMのジャンルは競合が強いからやめたほうが良いらしいぞ!
ふむふむ、SEOライティングの書き方は・・!

みたいに、沢山の情報を貪るように食べてしまい、案の定、消化不良を起こして手が止まり、やめた。



で、次はコンテンツビジネスに手を出した。

界隈では決まり文句のように、

「ビジネスとはお悩み解決である」

と、言われていた。



僕は「はは〜なるほど!」と、素直に受け入れ、悩みを解決するべく、色々と情報を買い漁り、自分の体験談・感想を入れ、コンテンツを販売した。



多少売れたりもしたが、それよりも、僕はやっていてしんどかった。つまらなかった。面白くなかった。


もちろん、つまらない、楽しくない、なんていう感情は、悩みを抱えているお客様にはどうでもいいこと。

だけど、僕にとっては重要な問題だったのだ。

今だから言うけど、

僕は正直、お悩み解決なんてどうでもいい。

悩みをリサーチして、解決方法を提供するという工程が、僕には苦痛すぎたのだ。


以前の記事でも詳しく言ったが、人は一人で勝手に助かるからだ。



僕が横からアレやコレやと口出しするのは、おこがましいことだなと、今となっては思う。

そして僕は気付いた。

僕に漁師は向いていない。農家が向いているようだ。

と。

ビジネス、というより、マーケティングが上手な人というのは、

プロの漁師。ハンター気質なのだ。


魚が集まる場所にアタリをつけ、魚が飛びつきそうなエサを用意して、魚が網にかかりやすい場所に誘導し、エサを撒く。

そして、タイミングをみて、一気に網を引き上げる。


漁師は常に、魚が次に取るであろう行動の先を読み、捕獲する。


一方、「農家」はどうだろうか?

畑を耕し、種を植え、育てる。

天気に左右されることもあるので、何があるのか分からない。


収穫までに時間もかかる。いや、もしかしたら膨大な時間をかけたにも関わらず、収穫できずに腐ってしまう可能性すらある。

パッと考えただけで大変すぎる。

でも、自分の畑は自由にカスタマイズできる。自分の植えたい農作物を育てることができる。


そういった「自由さ」というのが、今の僕には魅力的に感じるのだ。

あと、自分のこだわりの農作物をじっくり育てる、というのも、職人気質な気がして良い。

漁師のように「魚起点」で思考・行動するというのは、「お客様は神様」という考え方に近いのかもしれない。


全てはお客様のため、という精神はもちろん重要だろうけど、あまりにもお客様起点で物事を考えてしまうと、「自分が置き去り」になる。


そうやって自分の感情を押し殺してしまうと、自分の感情も分からなくなってくる。

自分ではやりたくない、と思っていても、「ビジネスはお客様のためだ。自分の感情なんか捨てたほうが良い」という考えに至るようになる。



そして、自分の中で葛藤を抱えつつ、お客様に対して価値を提供できない自分を責め、自分の価値を高めようとさらに教材を購入する。



そうやって感情はドンドン苦しくなるし、提供するコンテンツの質も下がっていき、結果も出ず終わってしまう、なんてことになってしまう。

というか、僕がそうだったからだ。


自分の感情に素直になり、畑を耕し、タネを蒔き、水をやる。そして、実がなるように、じっくり育てる、そういった工程が楽しいと感じるようになった。

そんなわけで、

今日も土を耕し、タネを蒔き、水をやるのだ。

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