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第七十五話 飛び込み その二~ラムネ祭り~

もくじ

「じゃあ、誰から飛び込む?」

 ボートに乗った益田が島の南正面からみんなに訊くと、全員の視線が一箇所に集まる。

「え、私?」

 驚いたように自分を指さした夏希だが、順当にいけば夏希の番になる。

「どうしよっかな……」

 指先で顎をさすりながら、視線を持ち上げて考えるそぶり。

「あそこにする」

 意を決したように、島の南西の高台を指さした。

「おいおい、一番高い所だぞ」

 真帆でも飛べなかった場所だ。久寿彦が困惑顔で夏希を見つめるのは当然だろう。

「でも、何枚も撮れないなら、あそこでいい」

 だが、夏希はひとたび決断したあとは迷う様子はなく、真帆の持ち物である白い半袖のラッシュガードに袖を通すと、さっさと歩き出した。

「本当にやるつもりかな」

 後ろ姿を見送った真一は、岡崎と顔を見合わせる。真帆が飛び込めなかったことと同じくらい、夏希が高台から飛び込むことも意外だ。性格的にほぼ正反対の二人だから、やることも逆転していなければ本来おかしい。

 だが、何が怖いかは人それぞれというのも事実。幽霊が怖いと言う人いる一方、まったく怖がらない人もいる。ゴキブリに逃げ回る人がいれば、あんなものはコオロギと一緒と言ってのける人もいる。あれほどタコを怖がっていた夏希でも、案外ジェットコースターには平気で乗れるのかもしれない。

 益田が高台の正面にボートを進めた。夏希は足下を覗き込んでいる。

 ラッシュガードを着た水着姿の向こうに見えるのは、碧瑠璃の海と濃緑の山並みと稜線上に立ち昇った真っ白な入道雲。光りさざめく海上に、この島以外の小島や岩礁も浮かんでいる。

 胸に手を当て、夏希は意識を集中する。
 緊張が伝わってきて、仲間たちの話し声も止んだ。
 ジリジリと鳴くセミの声が、灼けた岩から立ち昇る熱と同調する。
 しばし沈黙が続いたのち、胸の手を下ろすと、思い切り岩の両足を踏み切った。
 バンザイの格好をした人影が、濃い夏色の景色を滑り落ちていく。
 ボートの上の益田がシャッターを切った。

 ドッボーン!

 ラムネ色の海面に、高々と水しぶきが立ち上がった。
 炭酸みたいな白い泡が広がって、夏希の姿を隠す。
 シュワシュワと泡が消えていっても、まだ浮き上がって来ない。
 もしかして、ラムネのビンの中に閉じ込められてしまった、とか……?
 そんな考えがよぎったとき、

「ぷはっ」

 黒い頭が海面を突き破った。

「怖かったあ……」

 夏希は濡れた髪を掻き上げて、安堵の息を吐く。島から大きな歓声が上がった。驚いて見上げた夏希だったが、自分に向けられた声だと知ると、はにかみながら舌を出し、控えめなアロハポーズを作った。

 次は西脇の番だったが、チャンスは一度きりだからどうやって飛び込むか考えさせてほしい、と言ったので、繰り上げで真一が飛ぶことになった。

 飛び込みも三回目になると、高さには慣れている。益田に合図を送って、さっさと足を踏み切った。顔は写らなくてもいい。頭から飛び込む自分の姿を、写真に撮って見てみたかった。

 水面に浮かび上がると、高台に四谷が現れた。例のごとく、腕を水平に広げる。島の上から誰かが飛び込むところはもう見飽きた。真一は上陸場所へ向かわず、海に浮かんだまま飛び込みを見物することにした。

 四谷が両足を踏み切った。島の上と下からでは、見え方がまったく違う。下から見た飛び込みのほうが断然迫力があった。陽射しを背負った巨体のシルエットに、いつかテレビで見たミル・マスカラスのフライング・ボディ・アタックを思い出す。

 バシャッ!

 小さい水柱が立ち上がる。小柄な夏希が作ったものよりさらに小さい。今回も完璧な飛び込みだ。さすが飛び込みマスター。

 浮かび上がった四谷が島の東側へ向かうと、岡崎がウルトラマンのスペイシウム光線の格好で飛び込んだ。ドッボーン! 爽快な夏の音が弾ける。続く久寿彦は 「シェー」 のポーズ。誰かが飛び込むたびに、笑い声や歓声が上がる。葵も夏希に負けじと、腕を振り上げ、豪快にジャンプ。ドッボーン! 派手な水音ともに、ラムネの栓を抜いたときみたいな真っ白い水柱が立ち上がった。数秒後、シュワシュワと広がった泡の中心に顔を出すと、男っぷりが良かったでしょ、と力こぶを作って皆を笑わせた。西脇のポーズは放送禁止だ。ああー、と島の上から非難めいた声が上がり、ボート上でカメラを構えていた益田も、考えた末がそれかよ、と野次を飛ばす。盛り上がりはピークに達していた。すでに島に戻っていた久寿彦が順番を無視して飛び込む。ドッボーン! 水の音が蝉しぐれを突き破る。次に足を踏み切った岡崎は、ライダーキックのポーズ。ウルトラマンと仮面ライダーは、昭和の子供たちの二大ヒーローだ。ドッボーン! 白い水柱が高々と立ち上がる。さらに夏希も続く。ラムネの栓が次々抜かれていく。水音とセミの声が何度も入れ替わる。もう何本目だろう。仲間たちの個性豊かな飛び込みを見ていたら、真一はつい自分が飛び込むことを忘れてしまった。

 そして、満を持して……かどうか知らないが、真帆が高台に現れた。
 仲間たちが急に静かになる。
 真帆はラッシュガードを着ていなかった。

 まさか、ポロリ上等!?
 しかし、そんなわけはなく――。

 岩の縁に両足を揃えた真帆は、行きまーす、と益田に合図を送って――頭から飛び込んだ。

 ふわりと浮かんだ体が、ゆっくり弧線を描いて海へ向かう。スローモーションみたいに見えるのは、重力と自分が生んだ力に逆らっていないからだろう。

 ザブン。

 小ぶりな水柱が立ち上がる。

 水面に浮かび上がった真帆を、仲間たちは盛大な拍手で称えた。真一も海の中から指笛を鳴らした。誰も頭から飛び込むとは思っていなかったのだ。頭から飛び込むとしたら、中級ポイント。高台から飛び込むなら、ラッシュガードを着て足から。その二択しか想定していなかった。喝采の中、真帆はさっきと同じ困り顔の笑顔で、照れるなあ、と頭を掻いていた。

 たぶん、真帆は最初に高台に上がったときも、頭から飛び込むつもりだったのだろう。その後、中級ポイントから飛び込んで恐怖が薄れたのだ。高さのない所から飛び込んで、結果的にいい肩慣らしができたのだろう。

 それから、真一とカメラマン役を代わった益田が、高台から宙返りを決めて、「ラムネ祭り」 を締めくくった。

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