行木
生活や、読書などを通じて、考えたことなどをまとめています。
日記をまとめています。
短歌や、川柳などの詩をまとめています。
短編小説や、ショートショートなどをまとめています
主に中編小説をまとめています。
今日は、美術予備校時代にお世話になった恩師と食事に行った。 北千住駅で降りて恩師と落合い、色とりどりの着物姿で華やぐ町を歩いた。今日はどうやら成人の日らしい。着物姿はとても華やかだけど、無機質な建物が聳え立っている中では、少し目に騒がしかった。 喫茶店に入り、恩師は紅茶を、僕はコーヒーを頼んだ。 恩師は、”恩師”と呼ばれることにいやに恐縮しそうだから、仮にここではK氏と呼ぶことにする。 K氏は、つい昨日まで予備校の冬季講習があり、疲れが溜まっているようだった。 手短に
川の上を蝶がひらひら舞い飛んで よくみるとそれは落ちる枯れ葉だった 風は少し冷たく 秋が深まっていく
ごめんね。 何か大きなものに対して謝りたくなる、そんな午後
お気に入りの河原で手折った草を自分の部屋に持ち帰る。 そしたら、ガラスのような鈴虫の音色もさざ波を立ててゆっくりと流れる川も河原で聴いたNOKKOやCHARA、山崎まさよしの音楽も、草と一緒に持ち帰れるかしら?
一昨日晩御飯に白和えを作った。醤油の代わりに味醂を味付けに使ったことで豆腐がくすんだ色にならず綺麗な白のまま残った。嬉しくなって友人に写真と共に上記の趣旨を書いて送った。 彼女は料理の出来を褒めてくれて、自分は今夜牛すじ煮込みなど、茶色いものばかり作っていると謙遜した返事をくれた。 お互いが好きなものの話になり、彼女が山菜のゼンマイを挙げたので、少し考えて同じく山菜のスカンポ(イタドリ)とユキノシタを挙げた。 スカンポは茎が太いのがよくて、天ぷらなんかにして食べると、口の
なかなか夜眠ることができない。一度何かを考えると、そのことについていつまでもいつまでも考え続けてしまう。 少し眠って目が覚めたのは、3時30分ごろで、再び眠ることはできないだろうと、諦めて床を上げた。苦しくて、肘掛椅子に座って白み始めた空を眺めた。 水を飲もうとリビングに出ると、机の上に一枚の封筒が置かれていた。こわごわした紙質の封筒には、筆で宛名が書いてあった。一瞬、連絡が途絶えて久しい師匠からの手紙かと思った。しかし、裏の名前を見ると、友人の名前が書いてあった。封筒を
ブランコに乗って 枝葉のトンネルを抜けて あの日の空へ飛んでいく
先日、母親に神社にお祓いに行こうと誘われた。今年僕は24歳で、本厄の年だ。しかし、神社へ行く約束の日の数日前から、僕は風邪を引いて寝込んでしまった。 お布団の中で、本を貪り読んでいるうちに、お祓いの前日までそのことを忘れてしまっていた。そのこともあり、前日の夜母親に、今夜はお塩を入れた湯船で身を清め、神様にお言葉をいただけるようお祈りしなさい、と言われた途端、お祓いに行くのが面倒になった。自分の運命を、全く知らない神なんかに左右されてたまるか、というような生意気な感情が芽生
午後1時に目が覚めた。連日、ほぼ不眠不休で忙しく立ち回っていたので、体に相当疲れが溜まっていたのだろう。目覚めるとすぐ胸騒ぎがしてきて、枕をめちゃくちゃに揉みしだいた。 目覚めてすぐ意識が覚醒して、短い呼吸になり、興奮状態に陥る。その荒々しい気分のまま、パソコンにイヤホンジャックを突き刺して、爆音でハードロックを聞く。これが、近頃起きてすぐの習慣だ。 1時間ほど、鼓膜を突き破るような音を聴いて布団の中でのたうち回った後、ふとイヤフォンを畳に置いてすっと立ち上がった。 部
たわわん、と大きな弧を描いて…全身で空を抱える
最近は、大学の成果展に向けての制作で、午後はずっと大学で作業をしている。 工作室にこもりきりだと、外の空気を吸いたくなって、よく大学周りを散歩する。 外を歩いていると、秋の涼しい空気が頬を撫でて、気持ちがいい。 大学に延長届を出して、日が暮れるまで作業をした後、ひと段落ついたため、すっかり暗くなった外に出た。 やはり空気が爽やかで澄んでいて、とても気持ちがいい。 田舎にある僕の大学のキャンパスからは、夜空に光る星がとても冴えて見える。 僕はその中でも一際輝きを放っ
香ばしい掠れた声で、一瞬間を飛び去っていく蝉のような詩人。吉増剛造。
皆さん、コンニチワササー!今日はね、もうちょいで「スマホを砕け!」って叫びそうになった超絶ハプニングをご紹介。題して、「スクリーン割れちゃんと、ぐるぐる都会迷子劇場」でございます! じゃじゃーん!半年前のある日、友達と「愛って何だべさ?」っていう深〜い話(ほんとはただのケンカ)で盛り上がったときのこと。その時の僕、まさかのハイテンションでiPhoneをフリスビー代わりにしてしまいました。結果、地面で大破。画面のヒビはまるで蜘蛛の巣アート...っていうか、ただの割れ。
僕の生活では、階段を上り下りする機会がよくある。 まず、アパートの2階の部屋に住んでいるため、朝通学するときに、アパートの階段を降りないといけない。 僕は、朝家を出るまでの時間をいつも短く見積もっているため、たいていの場合ギリギリになって家を出る。家を出る前の1時間前はどうしてあんなに余裕な気持ちでいられるのか自分でも不思議だ。 1時間もあれば余裕っしょ! というテンションで毎回ギリギリの時間になって家を出て、挙げ句の果てにはスマホを家に忘れたりして、大慌てで家を出る
17時ごろから、家の近くを散歩した。 護岸工事をされた川の脇に、首都高速の入り口があった。それは、コンクリートでできた大きなミュージアムのようで、渦を巻いて地上から離れ、川を横切って背の高い支柱に支えられた道路と交わっていた。 徐々に辺りは暗くなってきて、コンクリートの建造物は異様な迫力を放ってきた。周りの空気まで、どんどん重くなってきて、息が詰まりそうだった。 川沿いを急足で歩いて、やがて、住宅街の方に抜けた。 背の低い住宅街のか細い灯りを見て、重い空気の中から解放
朝、駅までの道のりを自転車に乗りながら、一年振りくらいにポッドキャストで英語の番組を聞いた。 何を言っているのか、ほとんど分からなかったけど、「I'm on my own way!(おれはおれの道を行くんだ!)」というところだけははっきり聞こえた。人は、自分に必要な情報を、たくさんの情報の中から選び取っているという話を誰かから聞いたことがある。 ということは、「I'm on my own way!(おれはおれの道を行くんだ!)」は、僕にとって必要な情報だったのだろう。