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恩師に会って

今日は、美術予備校時代にお世話になった恩師と食事に行った。

北千住駅で降りて恩師と落合い、色とりどりの着物姿で華やぐ町を歩いた。今日はどうやら成人の日らしい。着物姿はとても華やかだけど、無機質な建物が聳え立っている中では、少し目に騒がしかった。

喫茶店に入り、恩師は紅茶を、僕はコーヒーを頼んだ。

恩師は、”恩師”と呼ばれることにいやに恐縮しそうだから、仮にここではK氏と呼ぶことにする。

K氏は、つい昨日まで予備校の冬季講習があり、疲れが溜まっているようだった。
手短にお互いの近況報告をした後、話題は僕の最近の活動に移った。僕は、大学の成果展後にしてしまった失言や、それに関連して1ヶ月前に立ち上げたある実験団体について話した。

K氏はティーカップに頻繁に口をつけて、少々落ち着かない様子で僕の話を聞いていた。

僕が一通り話し終えると、K氏は僕が数人の友人と立ち上げた実験団体の試みについて、興味深いコメントをいくつか残してくれた。

「まず、美術をやろうって感じじゃないのがいいですね。隙間のある共同体について考えているならば、その隙間がどんな性質のものかは考えた方がいいかもしれません。もともと秩序が与えられている所に隙間を開けるのと、最初から隙間が空いているのとでは、性質が変わってきそうですからね。場を作り、それを人が扱って変化させていくという側面では、建築とかと実は近いかもしれません。例えば、今はDoのアイディアの共有がdiscordというSNS上で行われていて、どうしてそれが成り立っているのか、ということとか、もうちょっと考えてみると面白いかもしれません。概念的な所というよりは、具体的な所から考えてみるということです。」

このようなコメントを残してくれた後、いくつか参考になりそうな本や、考え方を教えてくれた。

  • Do it:The Compedium・・・キュレーターであるハンス・ウルリッヒ・オブリストがアーティストの指示書をもとにそれを世界各地の人々に制作してもらうというプロジェクト

  • パフォーマティヴィティ・・・言語を発することそれ自体が行為であるという考え方。ジェンダー論によく用いられる。

話頭が僕の失言に転じた時、すでに僕らは喫茶店を出ており、外も暗くなっていた。僕は話し足りない気持ちになっていて、彼を食事に誘った。

あるお蕎麦屋さんに入り、二階の席に腰掛け、向かいあって話し始めた。まず、僕が成果展後に放った失言に関してK氏は、”表現の失敗だ”と評した。その言葉を放つということに、相手を傷つけたいという意図が無いことは認めてくれた。
また、今回の発言をした人が、男性である僕だということもまた別の意味を含んでしまったかもしれないとK氏は言った。僕は男性からの直接的な暴力による支配は制度によって規制されてもはや幻想に過ぎないのでは無いか、とK氏に噛み付いた。それは仮にそうだとしても歴史的な積み重ねによって多くの人が性差への意識を共有している、とK氏は仰られた。そこに反応されるのは仕方がないということだろうか。
言葉は発してしまった瞬間自分のものではなくなるということ。自分がどれほど言葉に意味や思いを込めたとしてもそれはそのまま解釈されない可能性があるということ。それを意識することができなければ、個人を傷つけることになる上、”場”そのものに傷をつけてしまうことになる、とK氏は苦い顔をされた。

そばがやってきた。K氏が注文したのは牡蠣そばで、僕が注文したのはなめこそばだ。にゅうめんのように真っ白くて柔らかい麺がつゆに沈んでいた。いわゆる更科そばというものらしいけれど、田舎そばに親しんでいる僕には柔らかくてツルッとした喉越しのそばは口に合わなかった。しかし完食するのに時間がかかったため、K氏を拘束するためには役立った。

K氏は会食の最後に、僕の友人であり、K氏の予備校に受験期に通っていたある生徒の話を聞かせてくれた。彼は僕と同様に家庭環境に問題があり、現在でも多くの困難を抱えている。しかし今すぐ状況を好転させようと焦ってはいないようだ。

相手の形をそのままなぞる、という向き合い方。

先日彼とお茶屋さんに行って話した時、そんな意味のことを彼自身の口から聞いた。相手と分かりあうためには多くの時間がかかるけれど、分かり合えるその日のことを諦めたくない、と彼は言っていた。
僕は過去を振り返り、そんな風に自分の家族と向き合ったことがあっただろうか、と思わず自分に問うた。

K氏はすでにそばを食べ終え、店員が食器を下げてしまった後だった。僕の食器には、残った汁に数本の白い麺が透けて見えていた。それを一本一本箸で摘みながら、
「僕は他者と向き合う時、そんなアプローチを取ったことがありませんでした。いつも他者と向き合う時善悪の判断が先に来て、相手の輪郭をただなぞる、というようなことができていなかったような気がします。今年はそれができたらいいなと思います」
K氏は”なぞる”という言葉に共感し、ぜひそうしてくれと言ってくれた。

二階の座敷から階下に降りてお会計をする折、K氏は怪しい挙動を示し始めた。もじもじして落ち着かない様子なので、どうしたのか聞いてみると、300円しか持ち合わせていないことに気づいたらしい。僕は苦笑して二人分のお会計を済ませ、お店を出た。憎めない人だな、と思った。すぐにK氏はお金を引き出し、彼の食費分を渡してくれた。

また会いましょうと言ってK氏は別れ際に手を振ってくれた。その快活さが疲れて寒々しい気分の自分には嬉しくて仕方がなかった。

今年は良い一年にしたいと思う。




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