人生の終わりを考える
目の前の現実と未来の理想
大層なタイトルから始まりましたが、先日街なかを歩いていると、ふとしたすれ違いざまに「もう人生終わりだー」と話している若者がいました。
「死ぬほど頑張る」や「決死の思い」なんて言葉もありますが、すべては人生の1ページ。
恐らく先日人生が終わると話していた方も、今日を迎えていると思います。
しかし、本当に人生が終わるとわかった時には何を考えるのでしょう。
終活という活動
就職活動を略して「就活」。
人生の終わりのための活動を総じて「終活」。
日本人は言葉を作り出すのが本当に上手いなと感じました。
エンディングノートなんてものもドラマや映画のテーマとして聴いたことがありますが、遺産や遺言など、自分の人生の幕を閉じる活動をビジネスにするという発想が生まれるもんなんですね。
物理的な家や貯金などの相続についての相談、自分のお墓を自分で選ぶ、このnoteも含め、使っていたデジタルサービスのアカウントをどうするのか。
正直、30歳時点の私でもあまり考えていない内容です。
しかし、いつその時が来るかはわかりませんので、どこかの機会で一度しっかりと考えてみる必要があるなと感じています。
人生ゲームを楽しむために
「人生ゲーム」というボードゲームがあります。
ホームページの歴史によると、元祖はアメリカで1860年で生まれ、日本には1968年に初代がアメリカン・ゲームとして発売が開始されたそうです。
昭和~平成~令和とその時々に合わせた内容で作られているこのゲーム。
私は平成版のものが実家にあった覚えがあります。
そんなに現実はうまくいかないよと思いながら、出た目の職業に就き、拒否すればフリーター。給料は出た目の倍の金額。最終的に開拓地送りにされるか、人生を謳歌して終わるか。非常によくできていると思います。こうした考えの書籍も読んだことがあります。
私の人生も、ゲームで考えると1つ1つ選択の連続だったと思いますし、この先もたくさんの分岐がやってくると思います。
1冊に収まるとしたら、今はどの辺でしょうか。
1日1ページ分の内容もあるのでしょうか。
現在これを書いている私は、数年前から
「1時間後に笑って逝ける人生」
を過ごすことを心がけています。
後悔をするならやってから後悔する
「やっておけばよかった」
という後悔は何も生みません。
やって失敗した場合は、これはやってはいけないんだという経験が残ります。それがないように、興味のあるものには挑戦する。気になったら調べる。何もせずに批評するというのは空想でしかありません。
このnoteも私の「終活」の一部になるかなと思います。
明日は明日の風が吹く。
やまない雨はない。(梅雨明け早かったでしょ?)
など、いろんな発想がありますが「人生終わりだー」と叫ぶ元気があるうちはきっとまだ終わらないと思うので、あの方もどうぞお元気で。
「バイバイ」は嫌いです。
「またね」と言ってお別れするようにしています。
ご縁は結ぶもの。
私の好きな言葉です。
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