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母は私の服装を否定したことがない

小さいころは母が作った服を着ていた。
母の実家は服の工場で、母自身も文化服装に通っていたという。
今は嫁いだ先の稼業に追われる日々だが、合間を縫っては服も縫ってくれた。私が小学生になると、母は忙しく既成の服も多くなった。

私は、小学校から制服のある学校に通っており、同級生の私服姿は宿泊を伴う行事でしか見ることがなかった。
みんな家がバラバラな為、一度帰って荷物を置いてまた集まる、というのはしたことがない。土日に集まって遊ぶということも6年間で片手に収まるほどと言っても過言ではない。
また、友達と服について話すこともそんなになく、そういう話をする子たちは別世界の人間と感じていた。小学校卒業間近に二コラ(ローティーン向けファッション雑誌)を買ったが、付録目当てだった。
要するに、小さいころに私に’’オシャレの芽’’が芽吹くことはなかったのだ。

放課後、帰ってきて塾に向かう。
制服では行ってはいけないから一度私服に着替える。
着る服は全て母が買っておいてくれた服から自分で選ぶ。
今でも覚えているのは、膝上丈のスパッツ(紺)に、学校指定のハイソックス(黒)を履いていたこと。足が上下で分断されて違う色になっている…。
今考えれば、明らかに変な恰好である。しかし母は「それ変じゃない?」とは言わなかった。

小6の時、二コラを読んでいるととてもかわいいマフラーが載っていた。
暖色でカラフルでとてもかわいい。何気なく近くにいる母に見せた。別に買って!とねだったわけではない。
その日の夕方、母が外出先から帰ってくると紙袋を私に渡してきた。「伊勢丹をウロウロしてたら見つけた。似合うと思って買ってきた」と言いながら。
中身は雑誌に載っていたのと瓜二つのマフラーだった。とても嬉しかった。
雑誌に載っていたようなマフラーが自分のものになったのだから。
しかし、小学生がお小遣いで買えるような雑誌に、伊勢丹で売っている肌触りのいいマフラーは載っていないことくらい小6の私でもわかる。
与えてもらうものはいいものばかりだったが、私がそれを活かすことができていなかった。
ちなみにその件のマフラーは、15年近く経った今でも、私の1軍マフラーとして毎年首を温めてくれている。

中一くらいで、自分の好きな系統の服が出てきた。
フリルがついたかわいらしい服。母が買ってくれた服の中にあって、それがお気に入りだった。
服はかわいいのだが、私の容姿が良くなかった。小太り・眼鏡・ショートカット・ブス。いじれない古のオタク女の役満である。その頃の写真は見たくない。
しかし母は絶対に私の服装を否定しなかった。「似合う」と言ってくれた。

その後フリフリブームは去り、シンプル楽ちん服ブームが来る。
その頃の私は、「トレーナーとジーンズと制服があればいい。それだけで一生過ごせるから、将来は制服がある仕事に就く」と豪語していた。
母はニコニコしながら、「そうなんだね^^」と言っていた。

大学生になって自分のお金で服を買うようになると、「マジェスティックレゴンとオリーブデオリーブがあれば一生生きていける」に変化した。
私は大きく話すのをやめた方がいい。
母は「似合ってる。かわいいよ」と言いながらニコニコしていた。

無事、制服のある会社に就職。自分の初志貫徹っぷりにしびれた。
就職間際、「短いスカートが私のアイデンティティ。会社にそういう服は着ていけないから社会に出たくない。長いスカートなんて絶対にいや!私は自分の好きな恰好で会社に行く。」と宣言。
制服はあるものの、通勤と更衣室まででほかの社員からの目があるため、服装は考えましょうと事前研修で言われたのだ。
母は「TPOは大事だよ~」と言った。

入社1年目で制服廃止。結局2年目からは私服で通うことになったが、オフィスカジュアルは着られていない。
年齢と共に長いスカートのワンピースなどを好むようになり、普段はTシャツに適当なズボン、退勤後に予定があるときは落ち着いた私服を着るようになった。
短いスカートは私服でもそんなに着ることがなくなった。

先日親戚の集まりがあり、年下の現在大学生の従妹と話す機会があった。従妹は昔からスポーティーで、どちらかというとボーイッシュなイメージがあったが、かわいい服も興味があるが見ているだけで…という会話になった。
ここは私のお姉ちゃん力(りき)の見せ所である。
「もう着ない服があるが、捨てるには忍びない。もしよかったら今度見に来てもらってくれないか。もし着てみたいなら地雷系の服とかもあるよ」と写真を見せながら伝えた。表情はまんざらでもなさそうだった。
しかし従妹のお母さん(私の叔母)が、「この子はそういうの似合わないから~」と言い始めた。
私と横で聞いていた母はビックリして「「なんでそんなこと言うの!?」」とハモって言ってしまった。
発言を否定したかったわけではない。
純粋になぜ?の気持ちだった。
衝撃で叔母がその後何と言っていたかは覚えていないし、従妹との話も途切れてしまい、かわいい服を着る会もなくなった。

母は私の服装を否定したことがない。
ものごころついたときからずっとそうだったから、否定されないと信じて疑わない。
だから一人で買い物に行き服を買うと、帰ってきてまず母の前で着て褒めてもらう時間を作る。母は絶対褒めてくれる。何ならその服を母にも着せる。で、お互いに褒めあう。母にはちょっと年代が合わないなと思いながら爆笑して。楽しい。とっても楽しい時間。
通販で失敗して誰が着られるんだみたいな服が届いても、一緒に見て着る。
これからも服を買ったら母に見せる。
「似合ってる。かわいいよ」をもらうために。


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