加部鈴子

物語を書いています。第10回ジュニア冒険小説大賞受賞作「転校生は忍びのつかい(岩崎書店…

加部鈴子

物語を書いています。第10回ジュニア冒険小説大賞受賞作「転校生は忍びのつかい(岩崎書店)」でデビュー。

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  • 創作集団プロミネンス

    • 66本

    「創作集団プロミネンス」とその会員の皆さんの活動をお知らせします。 「創作集団プロミネンス」は、その前身である「少年文芸作家クラブ」時代から半世紀近い歴史を持つ、児童書の作家・画家の職能団体です。 現在、岩崎書店と共に、「福島正実記念SF童話賞」(中学年向け)、「ジュニア冒険小説大賞」(高学年以上向け)というふたつの児童文学新人賞を運営しています。 「少年文芸作家クラブ」は1968年秋に発足しました。 規約には「本会は少年少女を対象としたエンターテイメントの創作、ノンフィクション、翻訳、美術を職能とする者によって、構成される」とあり、 初期の名簿には故石ノ森章太郎氏も名を連ねていました。 規約の文言は「本会は主として年少の読者を対象とした創作、ノンフィクション、翻訳、美術を職能とする者によって構成される」と修正されましたが、 現在も発足当時の精神を受け継いでいます。

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小栗の椿 会津の雪 はじめに

(このページの最後が目次になってます) 小栗上野介の名前を初めて知ったのはいつのことだろうと考えたことがあります。 はっきりとしたことは覚えていないけれど、幼い頃私が住んでいた東吾妻町から高崎市に向かう途中に、東善寺があり、小栗上野介の墓という看板をいつも眺めていたような気がします。 そして、昔話を聞くのが好きだった幼い私が、祖母から小栗上野介の話を聞いたのが始まりだったのかもしれません。この人がどんなにすごい人だったのかという話よりも、井戸から小栗公の小判が

    • 小栗の椿 会津の雪㉔

      最終章 足音  明治五年春、さいは権田村の東善寺の庭に、椿の花を見に来ていた。  駿河台の屋敷で愛でられていた椿の木は、権田村に送られる途中で西軍に奪われ売られたところを、心ある商人に買い受けられた。小栗上野介の眠るこの東善寺の庭に埋められた椿は、今年漸く一つ小さな紅の花を咲かせた。  椿は気高く美しい。花のままぽとりと地に落ちる潔い花は、小栗上野介の最期と、会津の人々を思い出させる。 「かかしゃん」  自分を呼ぶ愛らしい声に、さいは現実に引き戻された。 「三十郎、お

      • 小栗の椿 会津の雪㉓

        第六章 激戦③  熊倉は、米沢街道の宿場町だ。敵兵の圧倒的な数に押され、街道沿いで戦う味方の兵は各方面からここ熊倉に集まっていた。  町野隊長率いる朱雀隊士中四番隊および付属隊の誠志隊、修験隊、朱雀寄合二番隊、その中にあどけない少年達の姿があった。 「原隊長!」  銀十郎が津川宿を敗走して以来の、懐かしい顔に声をかけた。 「銀十郎! 生きていたか」  男の目尻が下がる。半月ぶりに見た男の頬はやつれていたが、その目は鋭く光っていた。 「銀十郎殿!」  銀十郎に気付いた少

        • 小栗の椿 会津の雪㉒

          第六章 激戦②  慶応四年九月六日、この日元号が明治と変わったことなど、鶴ヶ城で籠城している会津の人々も、郭外で必死に敵と戦う銀十郎達も、南原にいるさいも、知る由もないことだった。 「そなたの旦那は、国にいるのだそうだな」  昼過ぎに目を覚ました広田は、粥を掬って口元に運ぶさいの方を見ずにぽつりと言った。 「某をここまで連れて来てくれた男は、何と言う名だったかな。世話になったのに、礼も言わなかった」 「光五郎と言います」 「私など放って逃げてもいいと言ったんだが、幼なじ

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        小栗の椿 会津の雪 はじめに

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          小栗の椿 会津の雪㉑

          第六章 激戦①    越後口から攻め寄せてくる西軍を、どこかで防がなければならない。  会津軍は、只見川沿いに隊を配置し、敵の侵入を食い止める策に出た。只見川は目を見張る様な広い川幅に、豊かな水量をたたえた青渕が続く要衝だった。会津軍は舟を撤収し、川を挟んでの銃撃戦が繰り返される。  町野隊長率いる朱雀隊士中四番隊は、川を渡り街道で敵を迎え撃った。  まるで浪間の岩だ、と銀十郎は思った。退路のない戦いに、命をかけて臨む会津の侍達は強い。銃器も、兵の数も劣っているのに関わら

          小栗の椿 会津の雪㉑

          小栗の椿 会津の雪⑳

          第五章 出陣④  南原の野戦病院は、怪我人で溢れ返っていた。負傷者と共にもたらされる情報は、少しも明るいものはなかった。  夫に似た男は、二日間目を覚まさない。高熱でうなされている男は、時々うわ言で『みと』と呼ぶ。妻の名だろう。この人が夫ではないと実感する一方で、夫が今頃『さい』と呼んでいる様な気持ちにもなる。 「さい。いいかしら……」  奥の間から奥方が顔を出した。気が付けば乳をやる時間になっていた。  赤子の健やかな成長だけが今は救いだった。小さな口で器用に力強く

          小栗の椿 会津の雪⑳

          小栗の椿 会津の雪⑲

          第五章 出陣③  慶応四年八月二十三日、光五郎は、越後街道を鶴ヶ城下に向かっていた。 「昼には着きますが、雨になりそうですね」  暗い色をした雨雲の低く広がる空を見上げながら、光五郎は言った。 「この様な低落を、家族に見せるのは気が重いな」  大八車に寝そべった広田は、ほっとした顔を見せたのも束の間、口元を引き締めた。 「しかも、他の隊に迷惑をかけるなど……」 「なあに、隊っていったって、俺は仲間とは違って、戦では何の役にも立たねえから」  ここまで来るのに、思った以

          小栗の椿 会津の雪⑲

          小栗の椿 会津の雪⑱

          第五章 出陣② 「出陣のご挨拶に参りました」  南原の野戦病院裏にある庫裏に、十数人の男達が訪ねてきた。赤子を抱いた奥方は、「まあ」と戸惑った様な顔をして、男達が雁首を揃えて頭を下げている様子を見渡した。 「昨日みなで話し合いました。我等は全員、おクニ様のいる会津盆地に敵兵を入れねえために、国境の会津のみな様と戦う所存でごぜえます」  兼五郎が代表して頭を下げる。真面目な顔をした男達は、黙ったまま板間に手を突いた。 「本当に、それでよいのか」  三左衛門が一人ひとりを

          小栗の椿 会津の雪⑱

          小栗の椿 会津の雪⑰

          第五章 出陣① 「アン、ドゥ、トロア、カアトル、アン、ドゥ、トロア、カアトル……」  少年達の掛け声が夏の青空へ響く。四列に並び行進するフランス式の軍事練習も段々様になってきていた。 「止まれ!」  行進から停止の号令がかかると、一同がぴたりと止まる。 「立て、銃。肩へ、銃。担え、銃。捧げ、銃」  銃を肩に載せ、肩から下ろすという動作を身体に馴染ませるまで行う。素早く出来る様になるまで何度も繰り返し、銃が身体の一部である様な感覚に馴らす。  白虎隊寄合一番隊と二番隊の

          小栗の椿 会津の雪⑰

          小栗の椿 会津の雪⑯

          第四章 城下④  南原の廃寺に来て五日目、川原でさいとよきが洗濯をしていると、「おーい」と呼ぶ声が聞こえた。 振り返ると、卯吉が手を振ってかけてくる。その後ろに、光五郎と銀十郎の姿もあった。 「卯吉さん!」  よきがぱあっと顔を明るくする。  三左衛門と房吉を除いた男達は、横山の屋敷で世話になっている。護衛のため交代で南原までの道のりを歩いて来る。今日はこの三人が奥方の顔を見に来たというわけだ。 「そろそろ生まれてもおかしくねえ頃だって、みんな言っているよ。源

          小栗の椿 会津の雪⑯

          小栗の椿 会津の雪⑮

          第4章 城下③ 「鳥羽伏見の戦で、銃の重要性を漸く痛感しました。十年も前に進言したことがやっと理解されたが、如何せん遅すぎた。ここには旧式の銃しかなく、それを十分に操るだけの兵も足りません。銃は足軽が持つものという古い考えが未だにあります」  川崎尚之助は冷静な口調で、それでいて熱心に銀十郎に訴えた。 「無礼を承知で申し上げますが、三国峠でもそれは感じました。敵はこちらよりも射程距離の長い銃を持っています。もっと敵を引き付ける策を練るべきでした。それに、会津のお侍様は

          小栗の椿 会津の雪⑮

          小栗の椿 会津の雪⑭

          第四章 城下②  奥方は間借りしている離れの座敷に木像を祀り、静かに手を合わせている。母堂は半日ほど寝込んだが、午後には起き出し縁側から風流な庭を眺めた。  さいと三左衛門は、座敷と続きの間を間借りし、他の男達は長屋に部屋を割り振られた。  慶応四年五月壱日。会津に辿り着いた家族が一息ついたのも束の間、予期せぬ知らせが横山家に届いたのは、夕刻のことだった。  ガシャンと陶器の割れる様な音で、奥方の瞑想は破られた。『きゃっ!』という叫び声、『奥様!』ときし呼ぶ声。どたど

          小栗の椿 会津の雪⑭

          小栗の椿 会津の雪⑬

          第四章 城下①  権田村を脱出してから一月弱。慶長四年閏四月二十八日、一行は会津城下紙問屋湊屋に宿泊し、翌朝横山の屋敷へと向かった。  会津は美しい町だった。四方を山に囲まれた盆地は、田植えを終えた稲が波の様にさざめく。街道沿いには宿場が栄えている。城下町には武家屋敷が整然と並び、その中心に鶴ヶ城の天守閣が白く大きくそびえていた。  横山の屋敷は、城の北西に位置していた。 「小栗様の話は聞いております。この度の御不運、お悔やみ申し上げます」  横山家の客間に通され、も

          小栗の椿 会津の雪⑬

          小栗の椿 会津の雪⑫

          第3章「三国峠」③  三国峠で会津兵が長い敗走の道を進んでいた閏四月二十四日、越後では堀之内に北陸道監府軍が侵攻した。  三左衛門は路銀調達に出かけた兼五郎の帰りを待てず、堀之内の母堂らと合流していた。  伝三郎は新潟へ足を伸ばし、紙問屋の藤井忠太郎に繋ぎをつけた。藤井家は、小栗忠順の父、忠高が新潟奉行の際懇意にしていた関係で、母堂のことも覚えていた。敵方の侵攻の時期を見極め、藤井屋の船を手配して川で堀之内を出たのが、閏四月二十三日。敵兵が堀之内に侵攻する一日前のことだった

          小栗の椿 会津の雪⑫

          小栗の椿 会津の雪⑪

          第3章「三国峠」②  閏四月二十四日、三国峠周辺は深い霧に包まれていた。 胸壁に身を隠しながら、銀十郎は目を凝らして白い霧の向こうを探る。その先にある食い違いの柵も、山の木々も何も見えない。霧の中から、突然敵が現れる様な気がする。  偵察によると、敵の数は千二百。急ぎ徴収した会津兵はせいぜい三百だ。 しかし、細い山道では、多くの兵がいても列になって攻めるしかない。地形が有利な一面もあった。  最前線に隊長自らが指揮を取り、鉄砲部隊が並ぶ。その中に、銀十

          小栗の椿 会津の雪⑪

          小栗の椿 会津の雪⑩

          第三章 三国峠①  秋山郷の和山温泉にやっとのことで到着し、和光原からの人足は、弥平次を残し帰って行った。ここで二泊し旅の疲れを取る。  次の反里口は越後ではあるが、会津の飛領だった。奥方もゆっくりと腰を据え休養し、三左衛門は越後の情勢を見極めるため、情報を収集することになった。  西軍は、越後各藩に味方になるよう迫っている。越後に飛地を抱える会津からも、奥羽列藩同盟への参加を打診されて、多くの藩は動向を決めかねていた。  会津は、越後からの西軍の侵入に備え、飛領の小

          小栗の椿 会津の雪⑩