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小栗の椿 会津の雪⑩


第三章 三国峠①
 
 
 秋山郷の和山温泉にやっとのことで到着し、和光原からの人足は、弥平次を残し帰って行った。ここで二泊し旅の疲れを取る。
 次の反里口は越後ではあるが、会津の飛領だった。奥方もゆっくりと腰を据え休養し、三左衛門は越後の情勢を見極めるため、情報を収集することになった。
 西軍は、越後各藩に味方になるよう迫っている。越後に飛地を抱える会津からも、奥羽列藩同盟への参加を打診されて、多くの藩は動向を決めかねていた。
 会津は、越後からの西軍の侵入に備え、飛領の小出島陣屋と小千谷陣屋に二百名余りの藩兵を派遣し、同時に会津藩領の村々の村役人に命じ農兵を招集していた。
 銀十郎達のいる反里口の村役人も同様で、そんな中思いがけない名前を聞くことになる。
「先鋒隊副巡察使の原が、三国峠に?」
 奥方が逗留している根津家の居間に、当家の主仁右衛門と三左衛門、銀十郎と龍作、源忠が顔を揃えていた。
「殿の命を奪った張本人じゃあねえですか」
「上州の三藩も一緒に三国峠を攻めるために、沼田に集結しているらしいでさあ」
「……あいつらが」
 三左衛門が、何かを思い出した様に眉間に皺を寄せた。
 銀十郎は、光五郎から聞いた殿の最期を思い出した。首を斬られて、ゆっくりと四角い穴に落ちていく身体。突き出した足の裏の足袋の白さ。……想像する度に、怒りが胸に沸き上がってくる。
「村からも兵を出せと言われておりやすが、何しろ百姓も農閑期なわけでもねえで。いよいよ三国峠に攻め込むって話で急いで兵を集めているところでさあ」
 仁右衛門が、溜息を吐きながらぼやく。
「仁右衛門様。兵はいつ出立するんで?」
「明日には発つつもりだが……」
「そこに、俺らも加えてもらうわけにはいかねえでしょうか」
 源忠が急き込んで言った。
「俺も行きてえ。殿の仇を討つ絶好の機会だ」
「源忠、龍作。落ち着け。おめえらの気持ちもわからなくもねえが……」
 三左衛門の顔が曇った。
「三左衛門様。こんな千載一遇の機会は二度とねえかもしんねえ。行かせてくだせえ」
 銀十郎は、手を突いて三左衛門を見据えた。
 殿を殺した敵が、すぐ近くにいる。この機会を逃すことなどできるものか。銀十郎の身体の芯から熱いものが込み上げてくる。
「……仁右衛門殿。一つ頼みがあるのですが」
 小さく溜息を吐いた後、三左門は仁右衛門の方に向き直った。
「誰か信頼のおける者をつかいに出してもらいたい。仲間も堀之内に着く頃です。仲間を呼び寄せ、奥方様の護衛に当てたいのです」
「家の者をつかいに出しやしょう。それから、わしと村の者で、中条までお送りしやす」
「かたじけない」
 三左衛門が頭を下げると、仁右衛門が首を振った。
「百姓の兵ばかりでは心元ねえで、あんたらみたいな者には十分に戦ってもらわんと」
「ありがとうございます」
 銀十郎が両手を突き、頭を下げた。
 
                   ◆
 
 三俣宿、二居宿、浅貝宿。越後上州の国境には、三国三宿と呼ばれる三つの宿場がある。
 三俣宿にいた小出島郡奉行町野源之助は、小栗上野介の家来を名乗る若者を温かく迎えた。
 小栗の最期を知った町野は言葉を詰まらせ、銀十郎達が、何十倍の数の暴徒をフランス式の歩兵術で追い返したことを知ると、農兵達に銃を教えて欲しいと乞うた。
 数日後、銀十郎達は、三国峠に一番近い浅貝宿にいた。
「構え! 撃て!」
 ぎこちなく構える農兵の銃が一斉に乾いた音を立てた。その音は木霊になって幾重にも山々に響く。
「しっかりと的を見て撃て! 次!」
 ゲベール銃を次の列の者に引き継ぎ、弾込めから教え込む。越後の会津領から借りだされた百姓達は、銃の扱いに慣れていなかった。
「違う! 手本を見せるからよく見ておけ!」
 すぐ側に憎き敵がいるのに、思う様に進まない訓練に苛立ち、銀十郎は素早く弾を込め、狙いを定めると引鉄を引いた。乾いた音と同時に、的の真ん中に黒く穴が開く。周りの兵から「おお」というどよめきが沸き起こる。
「さすが、銀十郎殿。見事な腕前です」
 無邪気な声が聞こえて振り返ると、町野源之助の弟久吉が笑顔で立っていた。厳つい風貌の兄とは似ていない。まだ前髪を落としてない額の下には、つぶらな瞳と通った鼻筋。女子と見違える程の美少年だった。
「ところで、小栗様の家来と申す者が参られましたが、お会いになりますか」
「家来?」
 銀十郎は、源忠らと目を見合わせた。
 仲間に訓練を任せ、龍作と宿に向かう。そこに、和光原で別れた顔が揃っていた。
「銀さん!」
 卯吉がぱあっと顔を輝かせた。
「おめえら、護衛はどうしたんだよ」
「何言ってんだよ。抜駆けするなんてずりいんだよ」
「そうだ。殿の仇が討てる機会をみすみす逃してたまるかよ」
 龍作が眉をひそめると、江戸で共に歩兵の訓練をした仲間が口々に言った。
 これだけの人数がいれば、同時に農兵に銃を教えられる。銀十郎は、黒い軍服に身を固めた仲間を見てほっとした。
「江戸の陸軍所で腕を磨いた者達です。戦場では、会津の方々のお役に立ちやしょう」
「それは、頼もしい」
 久吉が人懐っこい笑みを浮かべる。
「こちらは、郡奉行町野源之助様の弟君で久吉様だ」
「兄は、三国峠を越えた永井宿まで出かけておる。戻られたら、みなの力添えに感謝の意を申されよう」
 銀十郎が紹介すると、久吉ははきはきとした口調で言った。
「久吉様は、兄譲りの槍の名人だそうだ」
「槍を習いたい方は遠慮なくおっしゃって下さい。兄にも希望する者には指南せよと言い付かっております」
 銀十郎が言うと、久吉はにこりと笑った。
「しかし、小栗様のご家来衆の銃の腕前は、我が兄も頼りにするところ。是非、兵達に御指南いただきたい」
「へえ。俺はこう見えても、銀さんの一番弟子だ。銃のことなら任せてくだせえ」
 卯吉が褒められて嬉しそうに答えた。
「一番弟子かどうかは知らねえが、あっちで銃の稽古をしているところだ。道中の疲れが残ってなければ手伝ってくんねえか」
「疲れなんかあるもんか。なあ」
「ああ。今すぐにでも戦場に行けるくらいだ」
 龍作が銃の訓練場になっている草原の方角を指差すと、仲間達は口々にそう言い合い、頼もしく腕をまくった。銀十郎が先に行くように合図を送ると、龍作は微かに頷き、仲間を引きつれて行く。
 銀十郎は口元を引き締めて、黒い軍服の集団について行こうとする二人の旅装束姿の男を睨んだ。固い表情で押し黙っている富五郎は、銀十郎の視線を無視し訓練所に向かう。もう一人の光五郎は、銀十郎と目が合うと、いたずらが見つかった子供の様にはにかんだ。
「なんで、おめえまでいるんだよ」
 銀十郎は光五郎の袖を捕まえて耳打ちした。
「銀ちゃん達が無茶しねえようにって、さいちゃんから言伝を伝えに来たんだよ」
 その名を聞いて、ほんの少し気持ちがざわついた。胸のうちがほんの少し溢れ出たあの夜から、さいには会っていない。無事でいてくれて安堵する気持ちと、どこか後ろめたい気持ちが混ざりあう。
 銀十郎は溜息を吐いた。
「奥方様達の護衛をほっぽり出したと怒っているんだろうな」
「まあ、いい顔はしてねけど。でも、奥方様の感じか変わったって言ってたよ。俺らのことを信頼してくれるようになった気がするって……」
 取り乱した奥方様を思わず怒鳴りつけたあの時から、奥方様は気持ちを表すようになった。それは、銀十郎も感じていた。
「母堂様達は、伝三郎さん達と堀ノ内にいる。奥方様は中条にしばらくいるつもりだ」
「伝三郎が先導を引き受けてくれたか」
 申し訳ない気持ちになった。全員が、護衛をほっぽりだすわけにはいかない。本当は誰よりここにかけ付けたいに違いない。
「兼五郎さんは、金策に権田村に帰ったから、その帰りを待ってから出発するってさ」
「金策? 金が足りねえのか?」
「少し心許なくなって、三左衛門様がつかいに出したんだ。藤七様に言って、殿が貸した金をいくらか回してくれるようにって」
 銀十郎は、懐の巾着を軍服の上から触り、下唇を噛み締めた。
    三左衛門は仇討に行く際、銀十郎に金を渡した。ずしりと重い感覚に、銀十郎は戸惑った。
『わしらは、会津家老横山様の屋敷を訪ねる。そこで落ち合え。誰も欠けることは許さんぞ』
 三左衛門の言葉に、銀十郎は頭を下げた。仇討がしたいと願い出るのが、銀十郎達だけではないとわかっていたのだろう。
「わかった。おめえも戦に出るなら、鉄砲の撃ち方くれえ覚えろよ」
 気持ちの揺れを悟られない様、銀十郎は背を向け歩き出した。「うへえ」と唸って光五郎が付いて来る気配がした。
 
                   ◆
 
 動きがあったのは、数日後だった。
 仲間に農兵の訓練を任せた銀十郎は、一足先に三国峠を越えた先まで足を伸ばしていた。
 三国峠の九十九折の難所を下り、大般若塚と呼ばれる断崖絶壁上に開けた平地には、既に土俵を積み上げて胸壁砦が築かれている。ここで越後への侵略を食い止める。
 道は大木に阻まれ、それを乗り越えると食い違いの柵が待っている。ここを通ろうとする者は、前に進めず右往左往するはずだ。
 上州の諸藩は、薩摩や長州に恭順し、先鋒になってやって来る。小栗上野介やその家来を斬首した高崎、安中、吉井もそこに兵を出している。何よりも、殿を捕え、斬首を命じた張本人がその先にいる。
 騒ぐ血を押さえるように、銀十郎はミニエー銃を握りしめる。その金属の冷たさで自分自身を律しようとした。
 冷静でないと弾がぶれる。正面から敵が押し寄せると、どうしても恐怖に怯え慌ててしまう。早打ちすれば命中度も下がる。如何に冷静に、敵を引き付けてから撃つか。相手の顔が見えるくらい落ち着いていないと、弾は思うところに飛んでいかない。
『おめえ、あの距離で敵の親分だけ狙って撃ったんかい』
 権田村に暴徒が押し寄せた後、龍作が役者の様な切れ長の目を見開いた。
『ああ。村の者かどうかは見ればわかるし、後は偉そうに指示を出しているヤツだけ狙ったんだ。指揮官がいなくなれば兵力は半分以下になるって、陸軍所でも習っただろう』
『そりゃあ、そうだけど……。俺は、誰が誰だかなんて見る余裕がなかったなあ』
 龍作が守ったところでは、敵は銃で脅しただけで逃げ出した。誰も死者を出さずに戦う。そんなやり方もあったのかと、銀十郎は内心こいつのことを見直したものだった。
 褒美を貰い、出世したのは銀十郎だった。けれど、苦い思いが胸の中に渦巻いたのも事実だった。
『狙った敵の顔が見えるっていうのかい』
『ああ。俺は目だけはいいんだ』
『すげえな。……ってことは、狙った相手がどんな顔をしているかわかった上で、引鉄を引けるんだな』
 龍作の感嘆の声は独り言の様だったから、銀十郎は敢えて返事をしなかった。
 引鉄を引いた時、狙った敵の顔を銀十郎は確かに見た。偉そうに踏ん反り返って、手下に激を飛ばしている男の痘痕顔も。胸を撃ちぬかれた後、何が起こったかわからず目を見開いた男の顔も。
 敵方の中から、誰を狙えば効率がいいか、わかった上で銃を撃つ。それが出来ることが特殊なことだなんて、言われるまで考えが及ばなかった。
「甘めえんだよ。龍作は……」
 苦々しい思いを吐き出す様に、銀十郎はつぶやいた。
 傍で銃の弾を数えていた卯吉が、何かを察して顔を上げた。
 森の下の方で何かが光った。銀十郎は目を凝らすが、一瞬のことでその正体が何かはわからない。
「卯吉。付いて来い」
 銀十郎は脇道をそれ、雑草の生い茂る中をかけ下りた。光があった方が見渡せる一際高い木に登る。高い位置から林の中を見下ろすと、木々の隙間から、銃を手にした兵が坂を上って来るのが見えた。
「敵兵だ。十……、いや二十以上か……」
 低く言うと、卯吉が息を飲んだ。
「……卯吉。町野様に伝達しろ。十人ばかり銃の腕の立つ者を寄越してくれってな」
「へえ」
 卯吉が走り去るのを見送ると銀十郎は一旦木から降り、背中に担いでいた銃を手に取った。肩に下げた銃弾袋から弾を取り出す。
 本気で攻める人数じゃない。どの様な柵が設けられているか探りに来ているだけだ。脅せばすぐに逃げ出すことは想像できた。
 別の方角から、パンパンパンと乾いた銃声が轟いた。もう一度目を凝らすと、敵は少しも慌てた様子もなく法師道と呼ばれる脇道をゆっくりと上がって来る。さっきの銃声は敵方か。銀十郎は木陰に隠れた。
 しばらくして再び聞こえる銃声。木霊の音を差し引けば、大した数じゃない。三十か、多く見積もっても五十はいるまい。次に近い所で銃声がした。味方が応戦したものだろう。
「銀さん。遅くなってすまねえ」
 卯吉が駆け寄ってきて、耳元で謝った。
「どうやら、街道の先に敵兵三十程が現れ銃撃を開始したってことで、お味方はそっちに行っちまったんで」
「手が空くのは俺達くれえだったってわけよ」
 卯吉の後を付いて来たのは、見慣れた仲間だった。富五郎と、青い顔をした光五郎もいた。
「峠を越えて来たばかりだって言うのに、ずい分人使いが荒えじゃねえか」
「ああ。来てくれて助かったぜ」
 龍作が皮肉るのを、銀十郎は唇の端を上げて歓迎した。
「敵の数は二十。下の脇道からこっちへ向かっている。木の影に隠れて、射程距離に入ったら一斉に射撃しろ。正面の敵は囮だ。狙いは陣地の偵察だ。少し脅すだけいい」
 阿吽の呼吸で仲間は頷き、木の影にそれぞれが隠れた。
 一癖も二癖もある仲間だが、殿に歩兵頭として認められてからは、銀十郎に一目置く様になっている。殿は、自らの死の先まで見越していたのだろうか。
「光五郎」
 一人どう動いていいかわからず戸惑っている男に声をかけた。
「本陣にこのことを伝えろ。それと、他に脇道がないか、地元のヤツに聞いて報告しろ」
「あ、うん。吾作っていう浅貝宿で仲良くなった人足が一緒に来ていたから聞いてみるよ」
 役目を与えると、目に生気の宿った光五郎は踵を返して走り出した。
 街道の方からは、銃の撃ち合う音が聞こえる。本格的に攻めるつもりがないのだろう。それ以上音は大きくならなかった。
「やはり、あっちは囮か」
 敵陣を正面に引き付けて、脇から陣屋の様子を探り、あわよくば砦を壊すつもりだ。
 脇道から一列になって坂を上って来る男達が見えた。先頭はこの先の永井宿の人足だ。その後ろを来るのは、沼田の足軽らしかった。
 弾込めの済んだ仲間が銃を構え、今か今かと号令を待っている。
「よし。撃て!」
 射程距離ぎりぎりのところで、銀十郎は声を上げた。鳴り響く銃声。驚いた人足が慌てて逃げようとして、後続の足軽にぶつかった。我先に逃げ出す者、坂道を転がり落ちる者。
「待て! 逃げるな!」
 富五郎が二発目を込めようとしながら叫んだ。
「やめとけ。弾の無駄だ」
 米粒の様に小さくなっていく敵兵の後ろ姿を見ながら、銀十郎は富五郎の肩に手を置いた。
「何でやっつけねえんだ。みな殺しにしてやるんじゃねえのか!」
「あいつらは雑魚だ。俺達の仇は別にいる」
 銀十郎が耳元で囁くと、富五郎の肩の力が抜けた。はあはあと荒い息をして、目が血走っている。
 富五郎は、歩兵としての訓練を受けていない。無理もないと、銀十郎は思った。
「銀にしては、甘かったんじゃねえのか」
 龍作が小声でつぶやく。
「何がだ?」
「もう少し引き付ける必要があったんじゃねえか。あの距離で命中できんのは、おめえだけだ。それなのに撃たなかっただろう」
 知らずに舌打ちした。
「そうだったかな。久しぶりの戦場で、勘が狂ったかな」
 銀十郎は努めて冷静を装い、背筋を伸ばした。気が付くと、銃声が消えている。街道沿いの小競り合いも終結したらしかった。


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