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あんなにピーナッツに腹がたつ夏がくるとは……【エッセイ】

 中学時代は校則が厳しかったが、高校時代になるとゆるくなった。
 冬は学ラン・夏はシャツというのは変わらなかったけれど、中に着るTシャツやスウェットは自由になった。そうなると制服から垣間見える私服のセンスを問われる。イケてるやつほど、制服の中に何を着るか、それをどれくらい見せるかにこだわっている。

 オシャレに敏感なものや街の中学出身のものは、入学の段階でセンスを持っていた。彼らは入学式の翌日から、学ランからスウェットをすこし出し、それでも「僕はオシャレなんてしていません」「これが普通です」という顔で廊下を歩いていた。すごく格好良く見えた。オシャレを理論ではなく感覚で、先天的に理解しているのだ。The シティーボーイ。3年間、モテるのが約束されているような集団である。
 もちろん彼女ができるのも彼らが最初で、4月の終わりにはオシャレ女子と仲よさそうにママチャリを並走して帰っていた。芋っぽい僕はそれを、羨ましいなあと思いながら、自転車置き場からただ眺めていたのである。

 僕の服装はというと、予定より背が伸びず、大きめの学ランを着ていてダサかった。学ランの中には、親戚のお下がりの首がヨレている色あせたトレーナーを着ていて、さらにダサかった。
 影となって地面に映し出されるシルエットまでもが格好わるく感じられ、自分が嫌いになりそうだった。そんな作品を生み出させるなんて、太陽にあやまりたいくらいだ。
 本当にオシャレの「オ」の字も知らなかった。イネの刈り方の「イ」の字は知っていたけれど、高校生活で役立ちそうなのはどう考えても「オ」である。

 また、オシャレかどうかは別として、学ランの中にパーカーを着て、背中からフードを出しているものもいた。パーカーはオーバーサイズで、学ランのボタンは閉められず、ただのジャケットみたいになっていた。正面から見ると私服の面積の方が広かった。こんなに服装って自由なのかと思った。

 余談だが、ある夕方、ヒョウが降った。なぜか彼はフードを被って中庭にいた。パーカーのファッション性ではなく、機能性の部分が活躍していた。
 しかし、しばらくすると「痛っ、いったぁ」とか叫びながら、校舎のなかに走って戻ってきた。どうやらヒョウが硬すぎて、フードでは防ぎきれなかったらしい。
 周りにはオシャレ軍団がいて「はい、罰ゲーム」と言われていた。おそらく『何秒耐えられるかゲーム』をしていて、パーカー君は賭けに負けたのだ。その罰として、ヒョウをフード一杯に詰め込まれていた。どうやらこれがパーカーのエンタメ性だ。にしても、ふざけ方はそれほどシティーボーイっぽくなくて安心した。

 靴も自由になり、足元を観察しているとスニーカー・ローファー・ブーツなど、おのおの好きなものを履いていた。色も特に決まりはないようだった。
 中には、四月後半からビーチサンダルを履いているツワモノもいた。足元だけが夏すぎて、学ランにはひとつも似合っていなかった。
 彼とは移動教室が一緒だったので「学校って、ビーサンで来てもええん?」と聞くと「もし怒られてもな、そのたび謝ればええんよ」という回答が返ってきて、合理的だなと思った。しかし先生も彼を咎めることはなく「楽そうでええなあ」とか言っている。制服さえ着ていれば、ほかは何でもいいようである。

 ちなみに僕は、靴だけは、母親がまぐれで買ってきたナイキのエアフォースを履いていたので、全然ダサくなかった。選択肢が一足しかなかったのでかかとがすり減るのは早かったけれど、それでも冬までは履けたと思う。

 服の話に戻ると、まず考えたのは『ダサいと思われたくない』ということである。お前なんて誰も見てねーよ、という声が聞こえてきそうだが、当時は『誰かが見ているかもしれない』という視点しかなかった。しかし学ランを買い直すわけにはいかない。
 そこで4月と5月はバッサリ諦め、衣替えが来るのを待つことにした。その間でできることと言えば、夏服の制服シャツにどんなパターンがあるか知ることだ。Tシャツにこだわる前に、シャツの着方をちゃんと知らないといけない。

 辿り着いた答えは、

一、ジャストサイズで着る。
二、オーバーサイズをダボっと着て、裾をズボンに入れる。
三、小さめのサイズをピチピチに着る。

 というものだった。

 そして6月、ついに衣替えが来た。僕はジャストサイズシャツを選んだ。そうするしかなかった。母親がすでにシャツを買っていたからだ。先、言うてよ。
 まあでも、オーバーサイズのほうは主に、体が大きめの、廊下を堂々と歩くような先輩が着ていて、猫背の僕には似合わないと思ったので、特に未練はなかった。

 そして二週間の、冬服から夏服への移行期間が始まった。この間はどちらの服で登校しても良かった。
 僕は学ランのまま登校し、観察を続けた。するとジャストサイズで着る場合、裾から3センチから5センチほどTシャツを出すのが格好いいとされているとわかった。
 出しすぎると変だ。主張が過ぎる。
 色はグレー・白・紺、そのほかだと淡い色がよさそうだった。逆に原色であればあるほど、阿呆みたいに見える。真っ赤のTシャツを15センチくらい出している奴がいたが、とてもマヌケで、ああなりたくないなと思った。

 さて、勝負はここからである。今のようにZOZOやAmazonもないので、街の服屋に買いに行かないといけない。これが絶望的に怖いのである。
 そこで働いているのは、東京や大阪でファッションをかじって徳島に帰ってきたイケイケの兄ちゃんと、彼らと話が合いそうな人ばかりだからだ。
 僕の使ったことない横文字をたくさん知っていそうで、それらを違和感なく会話に織り交ぜることができそうな人たちである。
 例えば財布をウォレットと呼びそうで、彼らにウォレットを勧められたら、僕は「いらないです」と言い出せず、ウォレットを買ってしまうだろう。それは避けたい。

 部活の先輩に相談すると、街の服屋の地図を描いてくれた。勧められたのは7店舗。僕は土曜日の部活終わりに、とりあえず視察に行くことにした。ちなみに視察といっても、店の前を自転車で通過し、中の感じを見るだけである。
 街にはストリート系とBボーイ系の店しかなかったので、調査するのは必然的にストリート系の店となる。BボーイっぽいTシャツはとても大きく、制服のシャツからはみ出まくりそうだからだ。

 街に着き、興奮気味にチャリをこぐ。1店舗目は、店から嗅いだことのないお香のかおりがしたので辞めた。2店舗目は、店員さんの両足にタトゥーが見えたので、ビビって辞めた。3店舗目は、二階だったので見えなかった。
 そして4店舗目、幸運にも中に学校のオシャレ軍団の一人がいるではないか。なるほど、ここで買っていたんだな。それがわかっただけでも収穫である。店に入って喋りかけたいが、そんな勇気はない。とりあえず、キープ。
 5店舗目も良さそうだった。この良さそうというのは、いいものが売っていそうというより、入りやすそうという意味である。
 6店舗目は、店の中にたくさん人がいて身内ノリが激しそうだったので、除外した。7軒目は潰れていた。だから候補は2つである。

 翌日の日曜日、財布に10000円札を入れ、午前中に出陣した。月曜から学校では全員夏服となるので、この日を逃すことはできなかった。
 昼過ぎには街に着き、まずは昨日同級生を見かけた店へ入った。一目散にTシャツのコーナーへ行き、色々見ていると奥から口髭を生やした、絶対にスケボーが趣味でしょ、と言いたくなるような兄チャンが出てきた。
 「このあたりが新作です」とか「下は試着できるので」とかは言ってくるけど、必要以上に喋っては来ない。ここはチャンスだ。ここはいいぞ。じっくり悩める。僕は、何のブランドか忘れたけれど、胸にワンポイント入っている薄い緑のものを気に入った。鏡の前で当ててみると、サイズもちょうどだった。一つは決まった。と、値段をみて見ると、なんと9800円。高い……。これは1つしか買えないぞ。
 店内の他のものも見てみたが、最低でも7000円はする。Tシャツってこんな高いのか。3枚は買う計算で来たのに。ここじゃだめだ、破産する。そう思って店を出た。

 もう一つの店へ。のぞくと、店員さんは夏でもニューヨーク・ヤンキースのニットキャップを被っている女性で、服装はストリートだが、どこか柔らかい雰囲気があって優しそうだった。しかし、店内に入るとすぐに気づいた事がある。レディースしかない。ミスった。早く店を出ないといけない。でもどんな顔して出ればいいんだ。
 そう思っていると「プレゼントですか?」と話しかけられた。もちろん「そうそうプレゼントなんですよ、自分に」「いやお前かい」といった会話ができる関係ではない。僕が「えー」とか言っていると、「彼女さんどんな感じですか?」と質問が続く。

「えーと、えー」
「今期だと、このTシャツとか、けっこう出てますね。これでデニムとかショーパンとか」
「そうなんですか」
「あと半袖スウェットとか、喜ばれると思いますよ。ダボっと着る感じで、合わせやすいんで」
「あー、いいですねえ」
「これだとまだサイズ全部ありますけど、彼女さんどんな感じですか?」
「えっと、えー、小さい感じ、ですかねえ」
「Sだと、まだ黒も在庫ありますけど、見てみます?」
「あ、お願いします」
「後ろが少し長めな感じなんですよ。彼女さん、グレーと黒なら、どっちが似合いそうですか?」
「黒ぉ、ですかねぇ」
「このブランド、喜ばれると思いますよ。大阪のアメ村に最近大きいショップ出来たんですよ」
「へー、全然知らなかったです」
「あはは。知らないですよね。レディースだと」
「そうですね」
「ちなみに四国だと、うちだけですよ。彼女さん、いつもストリートって感じですか?」
「そうですね」
「キャップとかも安いんで、一緒にどうですか? 似合いそうだったら、これとか、これとか。普段から被ってます?」
「あ、被ってるの見たことあります」
「あとサマーニットとかも、かっこいいのが入ってきてて、」
「あ、すい、すいません、ちょっと電話が……」

 逃げた。僕は嘘の「もしもし」とともに店を出た。罪悪感でいっぱいだった。お姉さんごめんなさい。

 はあ……。まだ何一つ前に進んでない。布ひと切れすら手に入れていない。どうしよう。
 あてもなく自転車で蛇行していると、昨日の身内ノリが激しかった店に近づいたので、中を覗いてみた。誰もいない。入ろう。

 店内にはTシャツはけっこうあったので、まず値段を見た。3000円から5000円くらいだった。いけるいける。買える買える。店員さんも特に話しかけては来ず、無駄に焦る事なくじっくり選べた。そして無事に白、紺、グレーのTシャツを購入した。この店に来てよかったと思った。
 白は裾に小さく黒糸で、ブランドの名前の刺繍がされてある。紺は裾に1本、白のボーダーが入っている。グレーはサッカーチームのロゴのようなマークが袖にあり、胸ポケットだけアロハシャツみたいなデザインだった。どれも気に入った。

 家に帰りシャツと合わせて見ると、ピッタリだった。どれも僕のイメージ通りで、白と紺はいい感じにシャツからデザインが少しだけ出ていたし、グレーもシンプルでよかった。鏡に映った自分を見て、やっと中学生くささが消えたように感じた。
 どっと疲れたので、まだ夕方だったけれど、ベッドで横になっていたらいつのまにか寝ていた。起きると母親も帰宅しており、フライパンで作ってくれたすき焼きみたいなものを食べて、また寝た。

 翌朝、目を覚まし、驚く。机の上に置いておいたTシャツがない。
 おはようも言わず「Tシャツは?」と尋ねると、「洗とうよ」と返ってきた。おい何してんねん。急いで洗濯機をのぞき込むと、勢いよく渦巻く水の中に、泡まみれの宝物が見えた。完全に手遅れだった。

 どうすんねん。どうすんねん。

「どうすんねん!」
「は?」
「昨日買ったTシャツなんで洗うんじゃ。今日から夏服ぞ、知っとるだろ」
「洗うやつちゃうん?」
「ちゃうわだ、最悪じゃほんま」
「Tシャツなんか、何でもええでえ」
「ようないわ」
「先ごはん食べるだろ?」
「シャワー行く!」
「ほなはよ行き!」
「Tシャツどうしてくれるんじゃ、着るもんないでないか」
「シャツちゃうん?」
「シャツの下に、Tシャツ着るだろ」
「ほんな見えんところ、何でもええでえ」
「ようないわ」
「あんた学校に何しに行っきょん? 勉強しに行っきょんちゃうん?」
「遊びに行っきょう」
「ほなもう行かんでええわ」
「行くわぼけ」

 シャワーを浴びている時もイライラが止まらなかった。昨日わざわざ買いに行ったのに。洗うんだったら、何か言うて洗えよ。

「タオルとって」
「……」
「なあ、なあって、タオル」
「おいとうよ!」

 腹が立っていて、ありがとうも言わなかった。体を拭く時間で少し冷静になったと思っていたら、逆に母親から仕掛けてきた。

「Tシャツあったけん、着ていきよ」
「ないだろ! 洗ったんやから!」

 机の上には、淡いピンクのTシャツが置いてあった。なんだこれ。初めて見たぞ。広げて見てみると、真ん中に特大のスヌーピーがいてテニスをしていた。機嫌が良さそうで、腹が立った。

「着れるかこんなもん」
「なんでえ? パン焼けとるよ」
「笑われるだろが」
「笑われへんよ」
「笑われるに決まってるやん!」
「いちご? ピーナッツ?」
「いちご」
「ピーナッツ美味しいのに」
「いちご!」
「はよ食べな、間に合わんでよ」
「うっさいわ。嫌なんじゃ、こんなん着て笑われるの」
「ええでえ、笑われても」
「嫌じゃ」
「誰も見てないわ、あんたのことなんか」
「誰かが見とるかもしれんだろ」
「見てない見てない」
「わからんでないか、他のクラスのやつとかに笑われたくないんじゃ」
「ほんなことない、誰も見てない」
「見とる」
「見とっても、あんたの着とる服なんて次の日になったら忘れとるわよ!」
「……」
「はよ食べて出な、遅刻じょ」

 論破された。確かに、と思った。次の日になったら絶対に忘れている。しかし、理屈はわかるけど納得できない。

 しかしなぜスヌーピーのTシャツを嫌がっているときに、わざわざピーナッツなんて勧めてくるんだろう。『PEANUTS』はスヌーピーが出てくるアニメの名前だろうが! 当てつけのつもりか?

「Tシャツ、絶対干しとけよ」
「あんた、さっきから誰にほんな口の聞き方しよん」
「うっさいわ」

 最低の捨て台詞を吐いて、家を出た。自転車で確認すると、シャツの生地が意外と厚く、スヌーピーはあまり見えなかった。よかった。さらにTシャツはいい感じに、五センチほど出ていた。シルエットは理想そのものだった。
 しかしスヌーピー以外にも敵がいた。Tシャツの右下にプリントされていたチャーリー・ブラウンだ。ちょうどシャツからはみ出た部分に、しっかり見えている。
 僕はこの日、チャーリー・ブラウンを手で押さえながら一日過ごした。放課後になると、チャーリー・ブラウンは僕の手汗で色落ちしていた。

 家に帰って母親に「Tシャツどこで買ったん?」と聞くと「ナカガワ」と言っていた。

 どこやねん。

 不思議なことにその日以来、スヌーピーのTシャツを一度も目にしていない。いったい誰のために買ったものなのだろう……。

 そして外の世界ではどんなに縮こまっていても、服屋に入る勇気すらなかなか持てなくても、家では強気なのも不思議だ。若い。

 それを許し、包んでくれた愛情に今でも感謝している。

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