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 何をするにもやる気が出ない。

 社会人5年目になり、後輩も増えてきたというのに、仕事をサボってばかりいる。レッドブルを飲んで頑張ろうと試みるものの、10分も持たない。
 休日は外出しようと計画を立てるけれど、当日になったら寝てしまう。家にいてばかりだから友達とも疎遠になった。
 たまに映画を見ようと再生ボタンを押してみる。しかしいつも5分もたたずに止めてしまう。頭の中に新しい物語が入ってくるのが面倒だからだ。
 世の中の事件や芸能界のスキャンダルにも興味が持てない。だから会社で、同僚との雑談にも花が咲かない。

 ああ、何をするのもめんどくせえ……。

 台所には、片付けるのが面倒臭くて放置しているカップ麺の残骸があり、小蝿が数匹たかっている。あいつらの方が、俺よりよっぽど活発だ。

 やる気が出なくて行動しない、行動しないから結果が出ない。頭ではダメだとわかっているのに、なぜかこうなるのだ。仕事も生活も何もかもが悪循環に陥っていた。

 そんな時、ふと開いた雑誌に怪しい広告を見つけた。それは旅行会社がタイを特集したもので、『これで君も、ガンバル象』と見出しが付けられていた。そこに写真は一枚もなく、色は白黒で味気なかった。
 なんだこれ? 予算がないのだろうか?
 短い本文を読んでみると、タイの奥地にいる『幸運の象』とやらに触れると、力がみなぎってくることが解った。どうやらパワースポットとなっているらしい。白蛇を見たら金運が上がるというような迷信やおまじないの類なのかもしれない。

 それから一ヶ月間、雑誌はテーブルの上に置かれていた。開かれたままの『ガンバル象』のページ。その文字をみるたび、怠惰な生活から抜け出すためのわずかな望みが胸を掠めた。
 もし本当に、ガンバル象が存在したら……。
 そのパワーが本物だったら……。
 自分を変えるチャンスかもしれない。
 本当はテキパキ働いて、成果を出して認められたい。メリハリのある生活がしたい。覇気を纏いたい。カッコいい大人になりたい。

 気がついたら俺は航空券を取っていた。

 ◇

 バンコク・ドンムアン空港に到着した。レストランで腹ごしらえをし、さらに国内線を乗り継いでタイ北部へ向かう。

 ほかのツアー客と合流したのは、チェンマイという町だった。そこに日本人はおらず、俺以外はみなタイ人。まあ今どき、文字だけの広告で東南アジア旅行に申し込むような奴はいまい。

 俺たちは壊れそうなジープに乗り、ジャングルの中を北上した。渡された簡易的な地図によると、ガンバル象はメコン川近くで見られるらしい。
 ああ……。車窓から吹き込む風が暑くて気分が悪い。カオマンガイを吐き出しそうだ。

「タイランド、ハジメテ?」
 ツアーガイドの坊さんが話しかけてきたのは、その時だった。少し日本語が話せるみたいだ。
「あ、うん、初めて」
「オヤブン、キテクレテ、アリガトウ。ヨイ旅ニ、シヨウ」
 俺が握手に応じると、坊さんはさらに続けた。
「ガンバル象、本当ニ、スゴイヨ。スゴイパワー、スゴイエネルギー」
「それは楽しみです」
「ナニモカモ、ウマクイクヨ。リピーターモ、多イヨ」
 その純粋な目は真実を語っているようでもあり、嘘をついているようでもあった。
「チナミニ、タイランドモ、ガンバル象ノオカゲデ、発展シタ」
 これには嘘をつけと言いたかったが、言うのも面倒だった。

 ◇

「ココカラ先ハ、徒歩ニナリマス」
 しばらくするとジープが停まり、そう告げられた。
 ここからが地獄の始まりだった。車外は灼熱の太陽と湿気で、立っているだけでふらふらする。俺は吹き出す汗をぬぐいながら、坊主を追って土の道をへたへた歩いた。
 坊主は袈裟なんぞ着ているくせに、歩くのがとても早かった。木や蔦にひっかかりながらも、それを薙ぎ払ってスタスタ歩いていく。
 同行のタイ人たちも歩くのが早く、暑さに対する耐性を持っているように思えた。
 しだいに、俺だけが遅れ始めた。体力の限界が近い。

 あとどれくらいで到着するんだ、クソ野郎。

「オヤブン! 遅スギルヨ」
 俺を見かねたのか、坊主が遠くから叫んだ。俺は暑さで何も言い返すことが出来なかった。
「アレ乗ッテイイヨーーー!」
 彼が指を差した方向を見ると、繁みの奥に一匹の犀(サイ)がいた。まさか、タイの奥地にそんな動物がいるとは。

 犀に近づくと目は窪んでいて、老いているように見えた。頭頂部の皮膚は剥がれ、灰色と茶色のまだら模様。状態が痛々しい。乗るなんて気の毒だ。
 だが俺の足は今にも吊りそうで、もう歩けそうにない。
 怠惰な生活のツケが、こんなところで回ってきたか……。

 老犀に触れてみると、皮膚がゴワゴワしていた。昔じいさんの家で触ったヨロイのように固い。俺は心の中ですまんと言って、地面を蹴り上げ、勢いのまま犀によじ登った。
 股がってみると、ちょうどデコボコしているシワに足を置くことができた。とても安定している。

 掛け声をあげると、まるで意思疎通が取れているかのように犀は走り出した。思ったより速かった。原付くらいのスピードは出ていたように思う。乗り心地も最高で、なにより風が気持ち良かった。あまりの快適さに、俺は途中で寝てしまっていた。

 その時だった。

 ドドンッ!

 衝撃が体を突き抜けた。

 気が付いたときには、俺は宙へ投げ出されていた。そして目を開いた瞬間、顔面から地面へと突っ込んだ。受け身など取れるはずもない。一瞬で天国から地獄へ突き落とされた気分だ。
 不幸中の幸いは、そこがちょうどぬかるみだったことだ。
 泥にめり込んだ顔を上げると、老犀は目の前に倒れていた。そして斜め後ろには、幹のえぐれた木があった。どうやら衝突したようだ。
 俺は泥をタオルで拭いながら、老犀に近づいた。よほど強くぶつかったのか、犀はもう息をしていなかった。可哀想だが、仕方ない。不慮の事故だ。俺が悪いわけじゃない。

 ◇

 一人でへたへた歩いていると、広場に出た。一行はその奥のほうで立ち止まっていた。
 良かった。合流できた。

「オヤブ〜ン、アノ中ニ、象イマ〜スヨ〜!」
 坊さんは俺を見つけ、小屋を指差した。目的地についたようだ。

 いよいよだ! 
 いよいよ俺が望みを託した象に会える。
 俺は最後尾に並び、自分の番を待った。

 そのあいだ観察していると、出て来る奴、出て来る奴、体に生気がみなぎっていた。目は輝き、乾燥していた唇は潤い、顔から疲れが消えている。何より圧倒的に口数が増え、興奮気味だった。

 これは、このツアーは、当たりじゃないか?

 俺の前の奴に至っては、小屋から出るなり、着ていたシャツを破いて雄叫びをあげた。何と言っているか分からなかったが、サッカー選手が勝ち越しゴールを決めたかのようなリアクション。
 まるで人生が変わったと言わんばかりに。

 ここまで来るのはかなりしんどかったけれど、本当に象にエネルギーをもらえるなら、辛さなど全て吹っ飛ぶ。そう思うと、少し希望が湧いてきた。

 そして、ついに俺の番が来た!

 ドアを開けて小屋に入ると、柵の中に1匹の象がいた。
 驚いたのはそれが、金色に輝いていたことだ。
 ゴールデンエレファント? 初めて見たぞ、そんなの。
 突然変異か!?
 もしそうだとしても、金色が生まれるとは……。神秘的すぎる。
 俺は象に近づき、柵からはみ出ている鼻を撫でた。
 柔らかい! そして滑りけがある。
 ヌメヌメした感触が気持ちよく、俺は象を撫で続けた。すると数秒後、俺の手からはっきりと赤いオーラが見えた。
 な、なんだこれは。すさましいパワーだ。こんな活力が自分の中に眠っていたのか! 

 俺は全身で象のパワーを感じようと、柵を乗り越え、体をこすりつけた。皮膚を覆った粘液にふれると、とてつもない覇気が湧いて来るのがわかった。

 その瞬間、全身が赤いオーラで包まれた。そして毛穴という毛穴から神秘的なエネルギーが侵入し、つま先から脳天まで貫通していった。
 何度も何度もそれを味わった。
 覇気が出る、そんな表現では事足りない。人間の、全てのポテンシャルが解放された気がした。今なら超能力さえ使えそうだ。
 俺は、探し求めていた以上のものを得ることができた。
 本当に「ガンバル象」はいたのか。

 だめだ、これ以上ここにいたら、エネルギーが体の容量を超えてしまいそうだ。早く小屋から出ないと、自分が、自分の知らない何かになってしまう。

「うおおおおおおおら!!!」

 千鳥足で外に出た瞬間、思わず雄叫びをあげてしまった。なるほど。先ほどの男は、蓄積しすぎたエネルギーを放散していたのか。そうしないと体のバランスが狂ってしまいそうだ。

 俺はそれから、しばらく石に座っていた。いい感じに、やる気がみなぎっている。今までにない感覚だ。早く帰ってあらゆることがしたい。このパワーを提げて仕事がしたい。出世間違いなしだ。

 ◇

 夕暮れまであと1時間だと聞き、来た道を急いで戻った。みんな体力が有り余っていて、ジャングルをどんどん進んだ。

 道中、横たわった犀を、出会った場所まで担いで運んでやった。信じられないパワーだ。たった一人で犀を担ぐことができるなんてな。
 さらに驚いたのは、犀が再び呼吸を始めたことだった。
 信じられない。これもガンバル象の力なのか?
 俺は目の前で起きたことにたまげながらも、犀の蘇生を心から喜んだ。
 ガイドや同行のタイ人は、祝いのダンスのようなものを踊っていて、愉快だった。

 ジープに乗り込み、空港まで仮眠をとった。そして航空機を乗り継いで日本へ戻った。
 明日から待ちに待った仕事だ。どんな業務もかかってこい。同僚も、見違えるほどパワフルになった俺に驚くだろう。早くそんな顔が見たい。

 ◇

 目を覚ますと18時だった。どうしたんだ? 仕事が終わる時間じゃないか。何故だ? 目覚ましもセットして、スーツも用意して、鞄には普段の倍の量の書類を詰めていた。俺のやる気と、体から出ていた凄まじいオーラはどこへいったのだ。あんなに力がみなぎっムニャムニャ。

 眠い。
 眠たくて仕方がない。

 次に目を覚ますと、さらに翌日の18時だった。

 24時間眠っていたのか?

 どういうことだ、昨日の記憶がほとんどない。携帯電話を見ると、会社から何十件も着信が入っている。タイに行く前よりサボっているじゃないか!

 どうしてこうなった?
 やはり騙されたということか!?

 問い詰めようと、旅行会社に電話をかけてみたが、営業時間外だった。
 仕方なく、国際電話でガイドの坊主に電話をかけてみた。

「この前訪れた前島ですが」
「アア、コノ前ノ、オヤブン、ドウシタ?」
「ガンバル象にもらったパワーが、もうなくなったのですが……」
「ハハハ! アナタ、カエリ、犀、サワタ」
「ああ、触ったというか、運んだけど」
「コレ、ダメ」
「は?」
「ガンバル象、サワタアト、メンドク犀、サワル、ダメ。マタキテネ」

 俺は携帯電話を放り投げた。
 その軌道の向こう、何倍にも繁殖していたカップ麺の小蝿が、わっと宙に舞った。


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