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短編小説『ちーちゃんの青春混沌日和』

「きっぱりいいきろう。不可思議はつねに美しい、どのような不可思議も美しい、それどころか不可思議のほかに美しいものはない。」
(アンドレ・ブルトン著『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』より 
 訳:巖谷國士)

 これは朝の段階で既に始まっている話だった。
 なんだかドロネバのヘドロみたいな長くて厭な夢の沼から脱出し――、
 ようやく目覚めたあたしの視界に入ってきたのは、
いつものあたしの住む狭いボロアパートの部屋の天井、
そして何気なく敷布団の枕元の横を見ると、そこには――。
 あたしの仏壇が鎮座していた。
 あたしは飛び起きた。
 それは誰がどう見ても、どっからどう見ても、
あたしの仏壇以外のナニモノでもなかった。
 その証拠に、あたしの遺影らしき、
写真入りの写真立てが、仏壇の横に飾ってあった。
 仏壇はそれなりに豪華そうに見えるのに反して、
写真立ては、なんだか100円ショップで買ったかのような、
安っぽいもので、その中には、
横ピースをしてムカつくほど不快な笑みを浮かべている――あたしの馬鹿面で無駄に美肌効果抜群の写り具合の写真が、きちんと入っていた。
 ――なんであたしの仏壇が? 
 というか一体いつの間に!? 誰がどうやって?
 まずはそう思った。
 あたしが寝ている間に、誰かが部屋に侵入し、
あたしに気づかれないように、慎重な動作で、
仏壇を置いていったというのだろうか。
 ――しかし、何の目的で?
 両親がやったのだろうか……いや、それはありえない。
 あたしの両親は今あたしが住んでいるアパートよりも遥かに遠い、
田舎でのんびり暮らしている。
 じゃあ、高校のクラスメイトの友達が? 
 ……いや、それも無理があるだろう。
(あたしはこれでも音にすぐ反応するため、侵入者にはすぐ気づく)
 朝の起き抜けに、あたし自身の仏壇があったということで、
当然ながら、一瞬、破裂したような驚きがあたしを飲み込んだが、
とりあえずあたしは冷静になるため、
意味はないかもしれないが、耳をすませてみることにした。
 耳をすませたら、
もしかしたら、ここは極楽かなんかのあの世で、
外からは素敵な音色や海の波音や、
極楽鳥のさえずりかなんかが聞こえるのかもしれない――そう思った。
 だが、聞こえてきたのは――。
 オッホン……オッホンッ!!
ゴッホゴホ……ゴアアァァァァカアァァ――ッッペッ!!
 という、どっかのクソ親父の猛獣みたいなダミ声で、
道端に痰を吐く雑音が、あたしの部屋に乱入してきただけだった。
 あたしはスマホを手にし、画面を見た瞬間、
スマホはあたしの完全な起床を確認したのか、
自動的に目覚ましのアラーム機能をオフにさせ、
『おはようございます、マスター千鶴』
 と、愛用のスマホは、かなりの若いイケボで挨拶をしてきた。
 あたしは挨拶もそっちのけで、早速、カレンダーを確認してみると、
 なんら〈いつもの毎日〉と変わらなかった。
 それに、あたしは目覚ましアラームよりも早く起きてるし。
しょうがないので、あたしはスマホを置き、
とりあえず、溜息を吐いてから、
布団を畳んで押し入れにしまい、
続いて何事もなかったかのように、
いつものような調子で、朝一番のトイレに入った、その途端――。
 あたしは、自分でも聞いたことがない、
珍獣のような変な叫び声が出そうになった。
 なんと、トイレに入ると、正面の荷物置きに――。
 あたしの骨入りの骨壺(骨壷カバー付き)が置いてあった。
 その証拠に、骨壷のカバーの上側には、
ワープロで印字された付箋が貼ってい、
 それには――。
 《これは“ちーちゃんの骨”だお♪(^ω^)
  (*ゝω・)てへぺろりんちょ♡☆》
 と書いてあった。
 ……ああ、これはいよいよ厭な展開になってきそうだなぁ、
と、あたしは思った。
 とりあえず、突っ立てても何も始まらないし、
せっかくトイレに入ったのだから、
まず、あたしは朝一番のお花摘みを済ませて、
それからトイレを出て、洗面所で石鹸で手を洗って、
歯を磨いて、顔を洗って、髪の毛をとかして、
今日の下着とブラは何にしようか吟味し、
それから高校の制服――黒と白のトランプ柄
(スペードとダイヤとクローバーとハート)
のミニスカート並びにブレザーに着替えて、
同じく黒と白のトランプ柄のニーソを履いて、
ひと呼吸を置いて、それから、またトイレに入った。
 が、やはりカバー付きの骨壷は、何も変わらずまだそこにあった。
 目が飛び出るほどの巨乳の美少女メイドキャラが、
スタンバっているわけでもなければ、
イケメンな執事が不気味にもキザなポーズで突っ立っているわけでもなかった。あるのは、地味に凝ったカバー付きの骨壷だった。
誠に不愉快極まりない話である。
 改めて、誰がこんなことを仕組んだのか、
ということを考えてしまった。
 ちなみに、ちーちゃんというのは、他の誰でもない、
あたしのことなので、よって、この骨とやらは、
まぁあたしのなのだろう。
 それでも、あたしは重要なことが気になった。
 それは――。
 この骨壷の中には本当に骨が入っているのかどうか、
ということだった。
 だが、貼り付けられている付箋には、
“ちーちゃんの骨”だお♪(^ω^)と書いてあるではないか。
ということは、これはもはや信じるしかないじゃあないか。
 でも、中身が気になる。
ああ、気になる。なまら気になる。
 とはいえ。
 骨壷の中身をパカッと開けて、
あたしの骨がぎっしり詰まってたら、
それはもう発狂しそうなほど厭な思いをするに違いない。
 朝からそんな厭な思いをするのは、甚だごめんだった。
 というか、もう既に厭な気分である。
 でも、中身がどうなっているのか、
気になるのが人情ってものではないだろうか。
 とりあえず、これでは埒が明かないと思ったあたしは、
ひとまず自分の骨入り(?)の骨壷を、
自分の仏壇のところまで持っていき、
新婚待ったなしの仲睦まじい恋人同士のように並べてみせた。
 すると、意外なことが判明したではないか! 
な、な、な、なんと――。
 ますます、あたしのSAN値が意識の地底の奥底まで、
みるみると下がっていくのがわかった。
続いて、あたしはあらゆる高さと角度から、
あたしの仏壇とあたしの骨を眺めてみたが、
仏壇と骨壷が精霊のように消えてなくなる、
ということはなく、ましてそれが天使のように翼を広げて、
煌く大空へと羽ばたくなんていうアホな展開もなかった。
(カップラーメンにお湯を注いだら、
大天使ガブリエルが降臨しないのと同じ原理だった)
 続いて、仏壇を間近で覗き込んでみると、
ちゃんと位牌があり、
おそらくあたしの“戒名”らしきものまで、しっかりと記されてあった。
 だが――。
 読むことが出来ない。
 いや、正確にはどんな戒名が書いてあるのか、
読もうと顔を近づければ、□■□■と文字化けし、
もはや文字を認識することができなかったのである。
 そこで、あたしはようやく、
「これ……あたしの仏壇と骨じゃん……」
 その日の朝っぱらの第一声が、それだった。
他に言いようがなかった。
 あたしの朝一番の第一声の言葉は、
口から飛び立ったかと、羽ばたく翼を失い、
ゆっくりと畳に落下し、氷のように溶け、
部屋の隅々に流れては消えていった。
 もしも仮に、この後あたしが誰とも会わず話さず、
事故かなんかでくたばった場合、
あたしの生前の最後のセリフは、
『これ……あたしの仏壇と骨じゃん……』
ということになってしまう。
 それは想像したくもない厭な展開だった。
 とはいえ、まず最初に、
これらの原因に関して、
あたしの心当たりとして思ったことは、
もしやこれはおそらく、こないだ高校の授業で習った、
〈鳥頭妄言忘却理論〉の通話的不可変動から派生した、
吹き出し笑い方式が導き出した新説ではないか?
 ということだった。
つまり、もっと端的に言うならば、
仮説という仮説という新説から脱走した、
第七宇宙空間のコスモ波動が産みだした、
爆説的珍迷新説だということ。
 仮に、もしそうなら、
あたしもなんだか納得が出来るような気がしたが、
その答えをはっきりと教えてくれる相手は誰もどこにもいなかった。
 しょうがないので、あたしは――。
 テレビのリモコンを取り、ポチッとな、
という感じで、テレビをつけた。
 その途端――。
 アハハハハハハハハハハハハハ!!
 イ――ッヒッヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!!!
 オホホホホホホホホホホホホホホホホホホ!!!!
 という、朝の食欲が激減するほど気色悪く、
ウザいことこの上ない、オバハンどもの馬鹿笑いが、
洪水となって、あたしの部屋の中を勢いよく隅々まで浸水してきた。
 どうやら、なんかのバラエティ番組がやっているようだった。
 すると、司会者らしい、
タキシード姿の胡散臭い中年のオッサンが登場し、
『レディース&ジェントルメ――ン!! 
みんな今日も朝からやってるか――い! 
ハイネェェ――――ッ!!』と、
あたしの鼓膜を突き刺すほど、
けたたましい声で叫び出した。
 番組に出ている参加者もといエキストラのオバハンどもが、
『イエエエェェェェ――――イ!!』などと言い出す。
 ――朝っぱらからこれはウルセェ……つーかウゼェ……。
 やはり、テレビを消そうかと思った時、
『さあさあ今日もやってまいりました! 
朝のバラエティ『黄泉贈り笑い奇番』でーす!
今日のゲストはなんと!! 
聞いて驚かないでください! な――んとぉぉ!!
この方です! 
今をときめくラノベ界のジークンドーとも呼ばれるジャンルを確立し、
ポストライトノベルの先駆者にして、
革命的ラノベの発展にまで導いた蝦空千鶴先生でーす!! 
どうぞー!!』と、
司会のオッサンが身振り手振りで叫ぶ。
『おおおおぉぉぉぉ――!!』と、
番組エキストラのオバハンどもがハモる。
 それと同時に、スタジオの謎の扉が開き、
煙がバルサンの如くもくもくと溢れ、
最初に彼女の着物姿が見え、
やがて顔がゆっくりと照明アップされ、
その“蝦空千鶴”という謎に包まれた、
怪しくてインチキくさい変な女ゲストが登場してきた。
 デンデケデンデケデデデ――――ン!!♫
 というトンチンカンなBGMと、
『きゃああ千鶴様ですわ~♡』
『なんと見目麗しゅう♥』
『あれが伝説の千鶴姫様よ!』
『わたし生きてて良かった~!!』などという、
豪快な拍手の嵐と実に胡散臭いことこの上ない声援の中、
蝦空千鶴なる女はゆっくりと画面中央の司会者の横に立った。
 その容姿は、どっからどう見ても、
あたしと同い年か、あるいは、
少し年下ぐらいではないか、
と思えるほど幼い少女という感じだった。
 だが、それ以上に奇異に思ったのは、
彼女の姿が、桜と鶴の柄の着物姿で、
両手には黒と白の柄の指貫グローブをはめていたことだ。
そして髪の毛は艶のある黒で真っ直ぐにとても長く、
横髪の一部が白色だった。
更に、顔は綺麗だが可愛いらしいほど幼く、
なんと両目の色が違い、
青色(コバルトブルー)と、
黄色(サンシャインイエロー)という、
いわゆるオッドアイだった。
『ということで千鶴先生、
今日はお忙しいところおいてくださいましてありがとうございます!
さあ、どうぞテレビをご覧の皆様に一言お願いします!』
 と、司会のオッサンが促すと、蝦空千鶴は、カメラ目線で、
『ごきげんよう! テレビをご覧の諸君! わらわの名前は蝦空千鶴じゃ! 令和元年より人間界に降臨した。わらわは主にライトノベルの研究をしたり書いたりしておる。以後お見知りおきを!』
 と、幼い少女のような声で言った。
 一度はシーンと静まり返ったスタジオ内がまた、
『きゃああぁぁステキィィ♡♡』という、
保育園児すらも嘲笑するような胡散臭い歓声の洪水が、
アクセルペダルを強く踏むような勢いで、
あたしの部屋に浸水してきた。
 ――は? なんだこいつ。
 喋り方がなんというか、痛かった。
 これはアレだろうか。
中二病――いや、厨二病ってやつだろうか。
 蝦空千鶴の容姿といい、喋り方といい、
ついでに《えぞら ちづる》と読む名前といい、
もう何もかもが胡散臭くて、ついでにインチキだと思った。
 この女はウケを狙ってるのか、ただの馬鹿なのか、
それがわからなかった。
 そして、なんでいつまでもカメラ目線なのか。
 いや、カメラ目線というより、なんだか――。
 あたしのことをじーっと見ているような気がした。
(そんなはずはないのだが)
 蝦空千鶴は、ネームプレートのある席にゆっくりと座ると、
またカメラ目線になった。
 司会のオッサンはそんなことお構いなしに、話題を進行させる。
『では、千鶴先生に今まで、
つまり従来のラノベ事情について率直にどう思われたのか、
ということと、今後ラノベはどうあるべきか、
ということについてお尋ねしたいのですが。
千鶴先生はどうして、
新しいライトノベルを作ろうと思ったのでしょうか?』
『うむ! 
実はわらわもラノベとやらは読む専門じゃったのじゃが、
ラノベには語りきれぬほど無数の魅力と、
作者と読者にも知らない膨大な世界の真理と、
未知なる力がまだまだ発掘開拓されておらんかったり、
また眠っておると思ったのじゃ。
多くの作家諸氏はそれに気づいておらんでの。
更に、それだけでないのじゃ』
『ほうほう! といいますと?』
『特に2010年代を超えたあたりから、
ラノベ業界では主に異世界ものを中心とした作品が、
やたらと大量生産された時期があったことをご存知じゃろうか?』
『ああ! はいはい! ありましたありました! 
なんだかどれもこれも同じような設定っていうんですかね。
異世界転生とかチートとか、
あとなんか、ブサメンのキモオタのおっさんが、
朝起きたら見知らぬ場所かなんかで、
イケメンの美少年になってて美少女ハーレムで、
うはうはのひゃっほーい♫になる、
そんなのばっかなラノベが多かったですねぇ』
『じゃろ? 更に申すと作品の名前どころか、
作家のペンネームじゃって似たり寄ったりのようなもんばっかじゃったのじゃ。これは極論じゃが、わらわが登場しなかったら、
ラノベは衰退の道を辿っていたやもしれぬ』
『そう言われてみればそうですねぇ。
ですから千鶴先生が令和元年に出てきたことは、
ある意味でラノベ界にとっては新たな転換期だと思ってますよ。
先生の作品はパロディがほぼなくて、
取って付けたようなネタもほぼなくて、
千鶴先生独自のオリジナルですよね。
それにあらゆる視点からの面白さが見えてくるんですよ! 
ただの作り話とも思えないし、
読者がなんだか操られているような変な気分にもなる! 
これは今までになかったことです』
『うむうむ! 
じゃが本来オリジナリティというものは、
ラノベにおいてはミソのはずなのじゃ。
じゃから作者たるもの自分に媚び過ぎず、
読者に媚び過ぎず、そして時代に媚びすぎず、
けど、今の時代の先の先の先の更に先の時代を先取りし、
そこから自己と読者と時代を、
明るく照らし続けるのが本来のラノベ作家の在り方、
ではなかろうかと思っておる! 
よって現在、わらわの作品はラノベじゃ。
けれども従来のラノベではない、新たなラノベなのじゃ。
まあもっとも、わらわの場合はポストライトノベル。
ラノベの革新派の立ち位置じゃったからこそ、
新しいジャンルを構築することが出来たのじゃ』
 あたしはそれを聞いていて、
ふーん……ラノベも進化したんだなぁ、
と思っただけだった。
 司会のオッサンと蝦空千鶴の話はまだまだ続く。
『蝦空千鶴先生が初なんじゃないですかねぇ。
たしか従来のライトノベルを母胎として、日本語表現、
それも美に関しては、日本独自の伝統的表現だけではなく、
なんと20世紀初頭のモダニズム文学と、
中頃のポストモダン文学など、
どれも異彩を放った海外の15種類の主にアヴァンギャルド
(前衛表現)の要素や、
その代表的作者独自の手法を取り入れて、
一つに融合させたんですよね?』
『おぉ~! よくぞ勉強しておるの~! 
その通りじゃ! まぁ正確には4学問が導入され、
自己意識運動の1種類もを加えて16種類じゃのぅ。
で、その16種類は現時点でのこと。
16種類はあくまでベーシックとさせておる。
よってこれからはもっと増えるはずじゃ♪』
『え! もっと増えるんですか!? 
更なる要素を融合させるということですか!?』
『うむ。いずれじゃがな。
それはわらわがやるやもしれぬし、
ひょっとしたら他の誰かがやるやもしれぬ。
善き手法は是々非々として、
受け入れ一つの作品に昇華させるのが、
わらわの創作スタイルであり、作品を創るだけでなく、
己と他者と世界の未知を開拓し、その真理を探求し、
とことんラノベの究極を、
目指すことがわらわの最大にして最強の目標であり、
創作哲学なのじゃ。じゃから今も研究中なのじゃよ』
『ええぇぇ!! これ以上何を研究されるのですか!?』
『課題は山積みじゃよ。ラノベといえども、
ただ書けばいいってものではない。
ちょいと言い方は悪いが書くなんてことなんてのは、
ちょっと本を読めば誰でも出来ることじゃ。
問題はそこではない。
この世がそうであるように小説の世界も、
未知なる世界があることを作者もまた然り、
読者とは違う視点で追求し、
探求していかなくてはならぬのじゃよ』
 司会のオッサンと蝦空千鶴が、
たんたんと対談をしているのを聞いて、あたしは、
 ――へぇラノベの世界も奥が深いんだなぁ
 と、思っていたとき、突如、
蝦空千鶴がまたカメラ目線でこっちを見た。
 あたしは心臓を締めつけられたかのように、
ドキッとした。
『ところで、千鶴先生は先ほどから、
カメラの方を気にされてるようですが……気になりますか?』
 すると、蝦空千鶴は思わせぶりに笑い、
『ふっふっふ。
いや、カメラを気にしておるのではない。あちらのほら』
 そこで、彼女はあたしを見て、軽く指を差し示し、
 ――え? まさか?
『あちらで、わらわたちを見ている、“千鶴”を見ておるのじゃよ』
 すると、
司会のオッサンもカメラ目線――いや、あたしの存在に気づいたのか、
『ああ! はいはい! 
たしかに真剣な表情でこちらを見ておりますねぇ!』
『じゃろ? あの者は高校生で一人暮らしのようじゃ。
彼女も“千鶴”と呼ぶそうじゃ。そうじゃろ? “ちーちゃん”よ』
 蝦空千鶴が不気味に微笑んで、そう言った。
 ――ま、ま、ま……まさかあたしの存在に気づいてる?
『ああ、もちろん気づいておるとも。最初っからの』
 と、蝦空千鶴は、はっきりとそう言った。
 ――あたしの心が読めるの? 読心術!?
『い~や。読心術などというチャチなものではない。
わらわは最初からわかる、ただそれだけの話じゃ』
 あたしの体だけではなく、
魂の全てが氷ついたように温度が下がっていくのがわかった。
 ――どういうこと!? あなたは一体何者なの!?
『わらわは人間界に降臨したラノベ作家……いや、
ラノベ研究家じゃよ。とはいえ、まぁ人間ではないがの』
 ――は? 人間じゃない? どういうこと?
『うむ。実はわらわは鶴……それも霊鳥なのじゃよ。
今は人の姿になっておるがの。はっはっはっ!』
 と、蝦空千鶴は豪快に笑った。
 ――は? 霊鳥? 鶴? 
ただのイタイ厨二病で変なコスプレのロリ系年増じゃないの?
『“厨二病”とか“年増”とは失礼な小娘じゃな! 
申すにしても誠意を持って、
“中二病のお嬢様”と申すがよい!
ついでに申すと、わらわは中二病ではなく、
モノホンの霊鳥じゃよ。
その証拠に、
わらわはそなたの全てを知っていて全てわかっておるぞ』
 ――は? あんたなんかにあたしの何がわかるっていうのよ!
『全てじゃよ。千鶴……そなたの全てじゃ。
そなたがこれからどんな人生を歩み、誰と出会い、
どこで何をして、何がどうなるのか、
そしてそなたが最終的にいつどんな形で生を終えるのかをな』
 ――そんなのデタラメに決まってる! 
人の未来を勝手に決めるな! 
インチキな蝦空千鶴! あんたは胡散臭いペテン師だ!
 あたしは心の中でそう叫ぶと、
『ふっ、そうじゃろうかの? 
そなたも気づいておるはずじゃ。
自分というものについて。そして、自分とは何かについてな』
 何が言いたいのかわからない。
 ――どういう意味よ?
『わらわはそなたにとっての鏡じゃ。今もこうして――』
 ――そなたに話しかけておるじゃろ?
 今度は蝦空千鶴の声がテレビからではなく、
あたしの頭の奥の中心ではっきりと聞こえた。
 びっくりして、テレビ画面を凝視すると、
番組のBGMは火を吹き消したように静まり、
 番組の司会者と番組スタッフ、
それからその他参加者のエキストラなどが、
“全員”テレビ画面を見ているあたしのことをじーっと見た。
 司会のオッサンも、番組スタッフも、
それからエキストラも全員、顔に生気がなく、
無表情で目を見開いて、あたしを見る。
 ――なにこれ……。
 体と意識が氷で無常にも縛られたような感覚になり、
言葉が出なかった。
『そろそろ学校へ行く時間じゃろ? 
朝食も早く済まさぬと“ちーちゃん”よ』
 反射的に、あたしは急いでリモコンでテレビを消して、
コンセントを抜いた。
 その途端――。
あたしの部屋の周りを巨人の如く肥大化した〈静寂〉が、
春風のように揺らめきながら行き来したが、
すぐにみるみると小動物のように小さくなり、
部屋の隅で、あたしの様子を伺っていた。
 テレビを見ていたのに、時間を見たら、
そんなには進んでおらず、
例えるなら幼稚園児の愛用する三輪車くらいの速度でしか進んでいないようだった。
 急いでスマホから今日のテレビ欄をチェックすると、
あたしの聞き間違いでなければ、朝のこの時間、
さっき司会のオッサンが言ってた、
朝のバラエティ『黄泉贈り笑い奇番』なんてものは、
どこにも存在していなかった。
 ――ということは妨害電波の一部かしら? 
あたしをからかうために?
 あたしをからかったところで、
一体何の役にたつというのだろう。
 ――とりあえず、そんなことより早く朝食を済ませないと。
 ということで、あたしは朝食を食べるために、
冷蔵庫をガチャッと開けて仰天した。
 な、なんと――。
 冷蔵庫の中が、
デコレーションサイズの白いケーキ箱が一つだけで、
後は何もなかった。
 どうなっているんだ。
 ――あ、そういえば!
 と、あたしは思い出した。
 あたしは昨日これといって何も買ってなかったのだった。
 それはたしかに冷蔵庫の中はほぼ空なはずである。
 だが、この白いデコレーションサイズのケーキ箱は見覚えがまったくなかった。
 しかも、ケーキ箱の上に、《ちーちゃんへ♪ 丁寧にしっかり頑張って開けてね♡》と書かれた付箋が貼られていた。
 なるほど頑張るのか!そうか! 
ということで、あたしはデコレーションサイズの、
白いケーキ箱を冷蔵庫から取り出し、
居間のちゃぶ台に乗せてみた。
 箱は異様に軽かった――というか、
何も入っていないような気もした。
 それでも、あたしは丁寧な手つきで箱の中身を開いていく。
 そしたら箱の中身は――。
 少し小さめのサイズになった、
同じ形で同じ色のケーキ箱だった。
 今度は少しスピードを上げて、
ケーキ箱の中身を開いた。
 やはり、箱の中身は、
更に少し小さめのサイズだけど、
同じ形で同じ色のケーキ箱だった。
 もしや、これは……と思ったあたしは、
とりあえず更にケーキ箱の中身を開いていく。
 やはり、またまた少し小さくなったサイズの、
同じ形で同じ色のケーキ箱だった。
 誠に嫌な予感がしたので、
あたしは押入れから、
中学時代に友達の一人から誕生日プレゼントで貰った、
9億9千9百85万7千倍まで、
拡大可能な究極電子顕微鏡《NA≒ X》を用意し、
それから、中学の卒業前に理科の先生から貰った、
太陽エネルギーのみ、それも2分間太陽を浴びただけで、
240時間使用し続けることが出来る、
という電子ピンセット――しかも更に、
握った瞬間、利用者の意識と連動し、
先端部どころか握ったところ以外、
わずか0.000000001アトメートル(am)まで縮小が可能で、
PM2.5はもちろん、どんな細かい粒子もウイルスも軽々と掴むことが出来るチタンよりも硬いクロムモリブデン鋼で出来た超最先端超縮小型の電子ピンセット《ウルトラモンキーSA》を用意した。
(一見、どこにでもある真っ直ぐな、
スタンダード型のピンセットに見える)
 ケーキ箱の開封作業を続けていると、
ケーキ箱は予想通り小さくなっていき、
次第には人間の肉眼では、
到底確認することが出来ないほどのサイズにまで縮小していった。
 が、あたしは決してめげることなく、
電子顕微鏡《NA≒ X》と電子ピンセット
《ウルトラモンキーSA》を器用な手つきで使いこなしがら、
箱を開けていった。
 ちなみに電子ピンセット《ウルトラモンキーSA》は、
握っているだけで、あたしの意識と連動しているため、
意思通りに最高速度マッハ300の速さで精密に、
動くことが出来る優れ物だ。
 もはや、箱の中に朝食が入っているかどうか、
ということが問題ではなく、箱の中身を開け続けて、
その先にある真理をとことん発掘し続けていくことこそが、
あたしの使命なのではないだろうか、と思った。
 だが、開封作業を続け、箱の大きさも、
丁度0.00004フェムトメートル(fm)にまで小さくなった時――。
『マスター千鶴、もうそろそろ出発のお時間です。
朝食はちゃんと終えましたか?』
 と、あたしのスマホが学校に向かう準備をするように呼びかけてきた。
「え、あれ? もうそんな時間?」
 あたしはスマホに尋ねると、
『何をされてたのですかマスター千鶴。
そもそも朝食を摂るのではなかったのですか?』
 あたしはため息を吐き、
無駄だと思うことが出来た今の作業を潔くやめる決心がついた。
「そう思ったけど、箱は永久に小さくなるし、
時間がないならもうやめたわ!」
 あたしは諦めて、電子顕微鏡と、
電子ピンセットの電源をオフにした。
 そしてなんということだ。スマホで時計を見たら、
テレビを見ていた時とは違って、
あっという間に――買い物帰りのママリンの、
ママチャリ並みの速度で時が進んでいた。
 まったく酷い話である。
 ――おのれぇ……蝦空千鶴めぇ……。
 あの女が全ての元凶ではないかと、
呪詛の言葉をブツブツ言おうかと思ってた矢先、

 ……きゃ……や、やめて……そこは……あ、あん!

「ん!? なんだ今のは!」
 あたしの住む部屋(202号室)のお隣さん
(たぶん201号室)から、
イヤらしい変な声が聞こえたような気がした。
 そもそも、お隣(201号室)には、
誰が住んでるのかわからなかった。
 あたしはゲームかなんかのスパイのとっつぁんの如く、
呼吸と声を沈めて、声がした方角に向けて――居間の壁に、
体と耳をへばり付くようにあてて、耳をすませた。
 ゴト……ゴトゴト……ゴトゴトゴットンッ!
 なんかベッドのような、
たいへん大きな物が激しく動く、
そんな妙な音が聞こえた。
 ――ま、まさかっ!?
 まさか、まさか、まさか! ま・さ・か!?
 ヤっているというのか! あたしの住む部屋の隣で。
 あたしの住む部屋の隣で……チョメチョメしているというのか!?
 ということは、あれか……あたしの部屋の隣には、
若い夫婦あるいはバカップルかなんかが住んでいて、
夜から朝にかけて、
ガッタンガッタンバッコンバッコンズボズボズッポリ♡
 と、入れて出して、入れて出しての運動会をしているというのか!! 
なんてけしからん!!
 若い夫婦だろうか? 
いや、きっと、おそらくバカップルだろう。
それで決まりだ。
 おそらく女は下になって、
『いや~ん激し過ぎるぅ~頭ヘンになっちゃうぅぅ♥』
とか言って、上にいる男は男で、腰を振りながら、
『やべぇぇぇぇ気持ち良すぎて腰が止まんねぇぜぇぇ!!
俺の頭がバカになっちまいそうだぁぁ!!』
とか発狂しているのだろうか。
 そして更に問題は、そのバカップルらの利用する、
その下のベッドだ。
 いや、ここはベッド様。
 いや、ベッド師匠と呼んだらいいのだろうか。
 ベッド師匠もバカップルの引き起こす、
震度10くらいの揺れに激しく揺らされながら、
『ひょえええぇぇやめてぇぇぇぇ激しい! 激し過ぎるっしゅ~! 
そんなに激しく動かされたらオイラ壊れるっしゅ~!!』
とか心の叫びを訴えているに違いない。
 なんか想像しただけでも、ムカつく話で、
極めて許しがたい話だった。
 ただでさえ、毎年恒例のハロウィンと、
クリスマスのイブとバレンタインデーになると、
全国のラブホテルが一斉に満室になることだって許せない、
というのに、あたしの部屋の隣で、
元気に楽しく気分爽快よろしくチョメチョメしている、
というのは、これはもう万死に値する、
と言っても過言ではない。
 そして、バカップルが一体全体、
どんなプレイをしているのか、
それがあたしにはわからないのがまた許せないし、
二人が一体いつ頃絶頂するのか――すなわち、
いつフィニッシュを迎えて二人とも、
どんな表情をするのか、
こちらには、予想がつかないのもまた許せないし、
更に更に何よりも――あたしは朝方まで、
長くて厭な夢の沼を彷徨いながら、
口をポカーンと開けて、犬のようにグースカ寝ている時に、
隣のバカップルは、オスとメスの悦びのパラダイスを、
満喫しているというのが、極めて許せない話だった。
この際あたしも一緒に混ぜろという話である! 
したがって誠に遺憾である。
 ――ああ気になる! 気が狂うほど気になる!
 ――おのれぇ……許せんぞぉ……。
許せんぞぉ……蝦空千鶴めぇぇ!!
 と思ったが、さすがに蝦空千鶴は、
別に関係ないんじゃないかと思われた。
「こらマスター千鶴!! 
いい加減早く出発しやがれです!! 
今、何時だと思ってるのですか!! 
今日もまた遅刻しますよ!!」
 急にあたしのスマホが怒鳴りだした。
 はっと気づいたあたしは、時計を見ると、
なるほど本気で急がなければ遅刻しそうな時間になっていた。
時が遅く進んでいると思えば急に早くなったりと、
時の進み具合は一定ではないと錯覚してしまう今日この頃だった。
 なんで毎日スマホの目覚ましよりも、
早く起きているというのに、
遅刻してしまうのかがわからなかった。というか――。
「遅刻はどう考えても不可抗力でしょ!」
「いいえ、マスター千鶴……あなたが悪いのです。
ポストが赤いのも、自販機のジュースが最近やたらと高いのも、
その他に物価が高いのも、失業率が高いのも、
出生率が低いのも、世界がやたらと変ななのも、
マスター千鶴……あなたのせいです!! 
よって早く急ぎやがれです!!」
「はいはい、サーセンした。
言われなくても、今出発するわよ!」
 と、あたしは言い返した。
 この日の朝は、
もしかしたら……あたしの奇行が目立ったかもしれない。
 とはいえ、そんなあたしの奇行の目撃者など誰もいないが。
 いや、あたしの愛用する〈スマホ〉と、
あたしを取り巻く天井や床や畳や窓や壁、
といった上下左右の〈部屋の空間〉と、
それから部屋の隅で小動物よりも、
小さな姿でじっと大人しく、
あたしの様子を伺っている〈静寂〉だけが、
あたしの朝の滑稽な行動の貴重な目撃者だった。
 そんなわけで、そろそろ本気で急いで学校に行こうか、
と思っていた矢先、あたしは出発する前に、
玄関前で肝心なあることをてっきり忘れていた。
 あたしはスマホの画面に向かって、
「ねぇ、今日のあたしの体調と、
学校までの最短ルートを教えてよ」
「今日のマスター千鶴の体調はいつも通り平均値でございます。
ですがちょっと……」
「ちょっと……なに?」
「ちょっと血圧が高めですね……。
マスター千鶴はまだまだお若いのですから、
あまりしょうもないことでイライラしないことが大事でございますね」
「じゃかましい! 
逆にその発言がイライラするのよ! 
で、後は大丈夫なの?」
「はい、免疫力も平常値、血糖値も、
それから風邪、インフルエンザ、ノロ、コロナ、
その他もろもろのウイルス感染もありません。
全体をスキャンしましたが、
腫瘍も一つも確認されてません。体温は36・5度で、
イライラが原因の微妙な血圧以外は万全の体調です。
最短ルートに関してですが、
本日は商店街から通学されると良いでしょう」 
「なるほどね、ありがとう。ちなみにだけど、
あたしのイライラは、あそこにある――」
 あたしは自分の部屋にある仏壇と骨壷を指差し、
それから隣の201号室を指差し、
「仏壇と骨が原因よ。それから隣のバカップルかもね」 
「それは実に些細な出来事です。
〈そんなことより〉もマスター千鶴、急ぎやがれです」
「あんたねぇ……口の利き方に気をつけないとぶっ壊すわよ」
「いいえ、それは不可能だと思います。
なにせ〈わたし〉はタングステンのボディで出来ているのですから」
 と、自身満々なイケボでスマホは、そう答えた。
 そう、そのとおり……あたしは、
自分のスマホを壊すつもりは毛頭ないが、
壊すことも出来ない。
それだけ、あたしの愛用するスマホは、超頑丈なのだ。
(ちなみに臨床実験では40トンのダンプに踏んづけられても、
老朽化した高層ビルの爆破解体工事でもびくともしなければ、
傷一つないくらい頑丈であることが実証済みである)
 また、別にあたしのスマホに限った話ではない。
 一昔は、スマートフォンといえば、
道端や駅の構内とか、あらゆる場所でうっかり落としやすく、
更に落とした衝撃で画面にヒビが入り、
またデーターがロストしたり、
酷い時は故障したりなど問題は多かった。
が、スマートフォンも時代の流れで徐々に進化し、
昔は日本を含めて世界では5Gというものが、
注目を浴びていた。日本はそれに対抗するため、
5Gを超えた6Gをすぐさま開発し、
介護や医療の現場とかでも、
それまで以上に大活躍をし、
更にそれをもっと超えた7Gの開発にまで成功し、
つい最近では、およそ科学では到底不可能、
とまで言われていた超極小のAGIを搭載し、
画面をバズーカでも壊れない超強化ガラス――そして、
ボディは薄型のタングステンに覆われてい、
人間よりも深く自ら物事を考えて学習をし、
事象の予知予測をし、時には融合哲学を交えて喋って、
あたしたちの日常生活をバックアップする、
そんな最先端のスマートフォン――XG(エックスジー)の開発に成功した。
(ちなみに利用者に合わせて、喋るスマホの性格は違う)
 昔と違って、
今のスマートフォンは自動学習プログラムはもちろんのこと、
予知と予測が極めて優れているため、
18時間先の交通事故を瞬時に予知予測をすることで、
あたしなどの使用者に事故の注意喚起や、
回避を促すことが出来るのである。
 その他にも、あたしがスマホの画面を見ただけで、
スマホはあたしの体の内部を、
超新星爆発が起きた時に放出されるガンマ線に、
匹敵するほどの強力な――けれども体に無害な、
ハイパープラズマ線により一瞬でスキャンし、
体調(体温、血糖値、体重、血圧、
ウイルス感染、体の不具合)を確認し、
病に繋がる異常があれば、
自動的に近くの総合病院へと、
データーが送信されるようになっている。
 あたしはそんな超高性能なスマホを、
〈究極型特待生〉のおかげで、
高校側からプレゼントとしてもらうことが出来た。
(ついでにだけれども、
今住んでるこのボロアパート――夢和夢幻荘も家賃が無料だ)
 そんなわけで、未来が進むにつれて、
スマートフォンとは、
もはや超小型ロボット的デバイスとなっていた。
 人類にとって未来とは、
決して止まることのない急激な速さで、
成長をし続ける夢幻色の華であり、
また栄養素であり、月でもあれば太陽でもあった。
 あたしは生まれて物心がついた頃から、
そんな〈未来〉と共に生き、
〈未来〉や多くの〈人々〉とは違う一つの華として、
今現在、蕾の姿にまで成長することが出来たのだった。
 あたしは玄関の扉の鍵をガチャリと開けて、
ゆっくりとドアノブを回した。
 扉をゆっくり開けたのと同時に、
今日という一日の世界の光が、
あたしの体を祝福するように包んだ。
 こうしてあたしは、
止まらずスクスクと成長を続ける〈未来〉を孕んだ〈今日〉
という今日だけしか存在しない〈新たな世界〉へと
足を踏み込んだ。

     ☆     ☆     ☆

 あたしが玄関の扉を開けて、外に出たのと同時に、
家の中の〈空気〉と世界中を旅する暖かな〈風〉が、
仲の良い親戚のように、朝の挨拶を交わし、
互いとも親密な関係で別れた。
 風は暖かく過ごしやすいが、
アパートの廊下から空を見ると晴れではなかった。
 あたしはドアに鍵をかけて、それから、
すぐ隣の表札のない201号室を『覚えてやがれ』と睨みつけ、
それから“いつも通り”に錆びた階段で下まで降りて、
女子大生にしか見えないエプロン姿で、
竹箒で掃除をしている若いアパートの大家さんに挨拶をし、
学校に向かおうという流れで廊下を歩いていると――。
 バッサバッサバッサ…………。
 すぐ近くで、鳥かなんかが豪快に、
翼を広げて飛んでるような、そんな音が聞こえた。
 あたしはなんとなく、廊下から空を見ると、
ある変な生き物が、あたしの視界を横切った。
 それはなんと――。
 翼の生えた“アルパカ”だった。
 しかも、奴は頭に女子高生用の紫色のパンティを、
斜めに被って、頬をほんのり赤らめていた。
(断言する!
あのパンティは絶対使用済みで持ち主は200%美少女だ!)
 ついでに奴はどことなく嬉しそうな表情だった。
 あたしと目が合うと、翼の生えた変態アルパカは、
「ええぇぇ~~~~(↑)~~~~!!(*´ω`*)♫」
 と、ロリっぽい声で嬉しそうに鳴いて、
遠い東の空へ、バッサバッサと飛んでいった。
「ん!!? なんだ今のは!?」
 と、あたしは言った。
 それだけである。
 それ以上特にこれといった感想は浮かばなかった。
 そったらことよりも――。
 ここは2階だというのに、
やたらと高い所にいる気がした。
 やがて、それは気のせいではないことに気づき、
廊下から街並みを見下ろすことが出来るくらい高かった。
たぶん、70階の高層ビルから見る高さ、
くらいあるのではないかと思われた。
 その証拠に、階段が異常過ぎるほど異常に長かった。
 というか、これは――。
 ――どう見ても日本一のジェットコースター以上に長いじゃん!
 昨日までなかった光景である。
 目を軽く擦ってみたが、何も変わらず、
高いのも、ジェットコースター以上に長い階段も、
そのままだった。
というか、これはどうやって下りろというのか。
 ジェットコースターのレールの一番高い場所から、
急降下する時の光景、
まさにジェットコースターのように急な斜面の階段だった。
 もうとっくの大昔に死語になった流行語ではあるが、
それを借りるとするならば、
まさにインスタ映えしそうな光景だった。
 とにもかくにも、
エレベーターのないボロアパートなので、
あたしは長くても頑張って、階段を下りるしかないと、
ゆっくり降り始めた。
 カンコンカン♪ コンカンコン♫ 
カンコンカンコンカンコンカンコン♪♫
 と、階段を降りているうちに、
 ――あ、こんなペースじゃキリがないし、
日が暮れちゃうわぁ~あぁもうマンダムだぁ~!
 と、意味の分からない単語と共に、
心の中で悟ったあたしは、
 アン・ドゥ・トロワ♪ 
 アン・ドゥ・トロワ♫というリズムを、
頭の中で時速260キロの速度で詠唱しながら、
かつ、同じリズムで階段を降りると、
 カンコンカン♪ コンカンコン♫ではなくなり、
 代わりに――。
 タッタカタッタカタッタカタッタカ
 タッタカタッタカタッタカタッ……という音となって、
最終的には、タタカッタタカッタタカッ
タタカッタタカッタタカッタタカッタタカッ!!
 ……という、確実にどっかで聞いたことのあるような音に変わった。
 階段を下りながら、
あたしは、どういうわけか競馬の有馬記念かなんかで、
唾を飛ばしながら発狂しまくってるオヤジどもの姿が、
風船ガムを膨らますように浮かんできた。
 タタカッタタカッタタカッ
タタカッタタカッタタカッタタカッタタカッ……という、
あたしの足元から発する、階段を駆け下りる音の欠片は、
更に次々と新たな音の欠片を生み、
それらの一つ一つは、街を駆け巡る季節の風たちによって、
余すことなく粉砕され、音の粉となって、
砂のように舞い踊りながら、一日の風景に溶けていった。
 どんなに階段を下りても、更に早く駆け下りても、
階段の高さも長さもほぼ変わらず、延々と続き、
あたしは高い空から地上へと階段で下りている気分になった。
 だが、階段を下りる先がいつまでも果てしなく、
目的地などそもそもないように思えた。
 そんな時――。
 あたしの目の前に、
巨大な〈思考の壁〉が立ちはだかった。
 〈思考の壁〉は無表情に、
 ――あなたは“何で”そんなに急いで階段を下りてるの?
 と、尋ねてきた。
 ――何でって、
学校っていう一つの目的地に行くためよ。
それに急がないと遅刻しちゃうじゃない!
 ――あなたにとって“目的地”ってそもそも何?
 ――あたしにとって“目的地”って……それは……。
 そういえば一体何なのだろう?
 ――学校には“何の”目的で行くの?
 ――そんなの決まってるじゃない……勉強をしに行くのよ。
皆誰でも勉強するじゃない。
 ――勉強? じゃあその勉強ってそもそも何? 
人はどうして勉強するの?
 ――そ、それは生きるためじゃない。
 ――知育・徳育・体育を養うために学校に行き、
更なる未知を知る。勉強は人間だらこそできること? 
そもそも人間と人と動物の違いって何?
 ――それは…………。
 気づけば〈思考の壁〉は消えてい、
一欠片の間と沈黙と空虚の三つが混じり合い、
それはやがて、高い空へと舞い上がっていった。
 ――何で〈思考の壁〉が、
あたしの前に現れたのかしら?
 そう疑問に思っていると、あたしはいつの間にか、
1階近くまで下りていた。
 ここまでくると、毎日、いつもの若い、
このボロアパート――夢和夢幻荘の大家さんが、
竹箒でサァサァサァサァ……と、
庭を掃いている音が聞こえた。
 見ればきっと、毎度恒例の、
いつも見飽きてる地味な服装で、けれども、
どっからどうみても若い女子大生のお姉さんにしか見えない、
長い黒髪をサイドポニーにまとめた大家さんが、
庭で竹箒を掃いているに違いないと思っていたのだが――。
 何かがおかしかった。
 いや、たしかに大家さんはいる。
けど、服装と耳〈だけ〉がおかしかった。
 よく見ると大家さんの耳と服装が――。
 うさ耳の黒いバニーガール姿だった。
 うさ耳のバニーガール姿の女が、
朝から庭で竹箒を掃いていた。
 あたしが大家さんを見ていると、
彼女もあたしに気づき、
「あらぁ~、千鶴さんじゃないですかぁ~。
おはようございますぅ~。うふふふふふ♪」
「あ、お、おはようございます、大家さん」
 とても伸びのある、ゆっくりとした喋り、
語尾を延ばすのが特徴の大家さんだが、
声も見た目と同じでお姉さんのようだ。
 その声を聞いて、あたしはとりあえず、
1階まで階段を下りて、大家さんの近くまでいこうと、
階段を急いで下りるのだが、
どういうわけか1階まで下りれない。
 というか――。
 ようやく1階になるところで、
階段は唐突に左斜めに曲がりくねり、かと思えば、
右斜めに上がるようになってい、
あたしはそれでも律儀に一段一段を踏んでいく。
 気づけば、あたしは階段を下りているどころか、
上がってい、かと思えば右斜めに下がったり、
左斜めに上がったりして、
やがてあたしは階段を上がっているうちに、
あたしは自分の体が逆さまになって、
足が空に向けている状態にまでなった。
 ついでに、意外なことだが、
なぜかスカートが捲れず、パンモロもなかった。
「め、捲れない……だと!?」
 と、あたしは自分で自分に突っ込んだ。
 ということは――。
 これが、いわゆるアレか。
 かつてオタク業界を大震撼させたという、
“鉄壁スカート”ってやつなのか。
 もしそうだとするなら――。
 なんて便利だけど不気味で、
なおかつ、ぶっ飛んだキモい現象なのだろうか。
 そんなあたしの、今この状況を、
地味な竹箒を持ったバニーガールの、
無駄に巨乳のオバハン。
(断言しよう! あれは絶対Fカップだ!)
が、不気味にキショい笑顔であたしのことをガン見している。  
 彼女は逆さま状態で階段を下りる、
あたしの姿を見て、一体何を考えているのだろうか。
 ま、まさかじゃないが……。
大家さんは、心の中で、
(スカートの中が、見え……み、みみ、
 みえみえ……みえ……)
 とか思ってなかろうか。
 あるいは――。
(見えない!! 許せん!! やり直し!!)
とか思ってるんじゃあるまいな……。
 逆に、あたしのスカートがパーフェクトに捲れて、
見えたら見えたで、
(千鶴のパンモロ……ゲッツ(σ・∀・)σ)
 などと元気よくポーズを決めて、
叫ぶんじゃなかろうか……って、それはさすがにないか。
 仮にもしそうだったら、
ぶっ飛ばしたくなるほどウザい話である。
 ってか、さっきから何より、
階段がいつまでも続いてい、マジでウザくなってきた。
 それでも、あたしは生真面目な性格からか、
階段の上り下りを続ける。
 そんなあたしの状況を見ている黒いバニーガール姿の巨乳の大家さんは、
「うふふふふふふふふふ♪」
 と、不気味に笑っているだけだった。
 大家さんの『うふふふふふふふふふ♪』
という笑い声は、風にみるみる溶けて、あたしの体を、
らせん状に通り抜けていった。
 あたしは、階段を下りたり上がったり、
ぐねぐねと右に曲がったり左に曲がったりを繰り返しながら、
大家さんに、
「あ、あの……お、大家さん……?」
「はいぃ~、なんでしょうかぁ~」
「あの……階段……いつまでも終わらないんですけど」
「うふふふふふふふふ♪ 
千鶴さんって、やっぱユーモアがあって、
そこがなんというか、
千鶴さんは“ちーちゃんさん”ですねぇ~。
ちーちゃんさんって、いつもそんな感じで朝っぱらから、
多くの人たちを地味に笑わせてくれるから、
わたくし毎日が楽しくて仕方がありませんわぁ~♪ 
これからの時代は、意味があるかないかは別として、
〈誰かを笑わせてあげられる方〉が癒しキャラ的にも、
珍獣キャラ的にも重宝されますねぇ~うふふふふふふふ♪」
「いや、うふふふふふふ、じゃないですよ。
階段がいつまでも続いていて、下りれないんですって! 
階段ってどうやったら下りれるんですか?」
「ちーちゃんさん? 階段というものは、
足を使って下りる簡単で単純な作業ですよぉ~。
右、左、右、左、って感じで足を動かせば下りれますよぉ~。
ついでに運動にもなりますしぃ~♪」
 そりゃあそうだ。そんなことは当たり前である。
 さすがに嫌気が差したのと、
これはもうキリがない、と悟ったあたしは、
 ――もう怪我してもいいから、どうにでもなれぇ!
 と、階段の錆びた手すりに足を引っ掛けると、
「あらあらまぁ~! 
ちーちゃんさんったら、大和の乙女がはしたないですねぇ~!」
 と、言ってきたが、それには構わないで、
手すりをのぼって、タイミングを図って、
「えいっ!」という小さな掛け声とともに、
飛び降りると、
地面には何故かカメの形をしたトランポリンがあった。
 その甲羅の部分に両足が着くと、
高々と跳躍し、更にはなんと――。
「ぽよよ~ん☆」
 というロリ声が聞こえた――ような気がした。
 明らかに聞こえたのだけど、
聞こえたような気がした――ということにする。
 そもそもなんでこんな所にトランポリンがあるのだろうか。
 ――まさか、この大家さんの策士ではないわよね?
 そんなわけで、あたしはトランポリンの跳躍力のおかげで、大家さんの目の前にストン、と着地した。
「……とまぁそういわけで、大家さん……」
「はいぃ~♪ そういわけで、はいぃ~♪」
「改めまして、おはようございます……」
「はいぃ~、改めましておはようございますぅ~♪」
「…………」
「………♪」
 まったく売れなければ、
ムカつくほど笑えない――お笑い芸人のコント劇のような“間”が、
人類の物理常識を覆す闇鍋から発する湯気のようにプカプカと、
あたしと大家さんの間を漂っていた。
「バニーガールなんですか?」 
「はいぃ~そうなんですぅ~。
うさ耳と言ったらバニーガールですしぃ~♪」
 と、大家さんは嬉しそうに言った。
 ――よし決めた! 
この大家さんは、大家さん改“うさぴょん大家”と命名しよう!
 忘れないうちに、
自分の記憶のノートに“うさぴょん大家”と、あたしは書き込んだ。
「あ、なんかそういえば、
大昔にバニーガールが出る、そんなラノベがありましたよね」
「はいぃ~! ありましたぁ~♪ 
わたくししっかりと覚えてますぅ~♪ 
あれは……たしか、
“青春時代のブタオはバニーガール姿で登校するのが趣味だった”でしたっけぇ~?」
「……いや、それタイトル全然違くないですか?」
「あらあらぁ~、そうでしたっけぇ~、あらあらぁ~」
 そう言って首を傾げる、うさぴょん大家。
 たしかにタイトルは全然違うが――。
 それはそれで見てみたい、
と素直に思ってしまった。
 男のバニー姿とやらが、
一体どれだけ多くの読者あるいは、
視聴者に需要があって、そして一体誰が得するのか、
それとも結局何も得をしないのか、どうなのか、
気になって気になって、
それはもう“わたし気にますぅ~”的な、
よくわからない謎の“疑問”と“興味”が手を取り合って、
あたしの好奇心を震度5弱で揺らした。
 ちなみに、これはあたしの適当な予想ではあるが、
おそらくBL好きの怪しげな伊達メガネを装備したメス豚が、
『おひょおぉぉ~~~~!!♡♡』
 とか奇声をあげ、かつ、
鼻血ビームを連射しながら、
乱心するんじゃないかと思われる。
「そもそも何で急にバニーガールなんですか? 
そのうさ耳カチューシャですよね?」
「いえいえぇ~。
これはモノホンのうさ耳なんですよぉ~」
 彼女がそう言うと、たしかにうさ耳が小動物の如く、
控えめに動いた。
「え……ということは、
それって取り外し可能じゃないってことですか?」
「はいぃ~♪ 
だって、わたくしドラちゃんじゃありませんしぃ~♪」
 などと、うさぴょん大家が、
何言ってるのか、ちょっとよくわからないことを言った。
 更に彼女は続ける。
「よろしければ触ってみますぅ~?」
 そう言って、彼女はうさ耳をあたしの顔に差し出した。
 ゆっくりと、恐る恐る、そろそろっと、
あたしは触ってみた。すると、うさぴょん大家は、
「あっ……そこは……やっ……」
 と、顔を赤らめて、切なげな表情になった。
「思わせぶりなイヤらしい声を上げないでください!」
 というか、たしかに暖かく、
生きているそれで、まさに、うさ耳はうさ耳だった。
 つまり、ということは、
うさぴょん大家のそれは、ケモ耳でもあるわけだ。
 よく“ケモ耳はいいぞぉケモ耳は~!”、
のフレーズでお馴染みのケモナーには、
さぞかしウケるだろうな~と、
あたしは割とどうでもいいことを考えてしまった。
「だってぇ~ちーちゃんさんの触り方が……とってもアレでしたのでぇ~……」
 と、うさぴょん大家は、
初恋に目覚めた乙女のように恥じらう。
 ――アレってなんだアレって!
 あたしは、そこでハッと気になってたことを思い出した。
「もしかしてじゃないですけど、
朝の隣から聞こえた変な声は、大家さんの声ですか?」
「朝の……隣の……変な声……ですかぁ~?」
 と、うさぴょん大家がきょとんとした表情をした。
 ――もしかして、とぼけてる?
「隣の201号室のことですよぉ。
もしかして大家さん、さっき201号室にいました?」
「いえいえぇ~いませんよぉ~? 
201号室といえば、あっ……ひょっとして、
オチブレさんですかぁ~? オチブレさんのことですよねぇ~?」
「……えっと、すみません……誰ですか?」
 そもそも隣の部屋の住民が誰なのか表札がないので、
わからなかった。
「隣に住まわれてる方はオチブレさんっていう御夫婦なんですよぉ~♪」
「え? 夫婦……だったんですか?」
 ――なんだ、カップルじゃなかったのか。
「結構若い方々ですよね?」
「いえいえぇ~全然、その真逆ですよぉ~♪ 
御夫婦揃って、ちょっと歯抜けの爺さんと婆さんですよぉ~♪ 
更に二人揃って御年95歳ですしぃ~♪
うふふふふふふふふふ♪」
 と、うさぴょん大家は満面の笑みで言った。
 ――な、な、な、なんだと!! なんだとぉ~~~~!!!
 その時、あたしの頭の周りを、無数の入れ歯がカクカクカクと笑いながら、蠢いていた。。
 なんということだ。ということは、じゃあアレか。
 あたしは何処の馬の骨だかわからない、
歯抜けのジジイとババアだとは知らずに、
一人で勝手にメス犬のように発情していた、
ということになるのか。
 それだけじゃない。
 あたしは、いくら知らなかったとはいえ、
そんな下半身だけはバッキバキに元気な歯抜けのジジイと、
ババアとあたしの三人でチョメチョメプレイをしたい、
とまで思っていた――ということになるのか……。
 あたしの頭上を無数の〈入れ歯〉が、
嘲笑うように、カクカクカクカク♫
と不気味な音を奏でながら反時計回りに周回した。
 なんという黒歴史。
 末代に残る恥さらしとはこのことだろうか。
 これはもう――。
 黒歴史を自分の墓まで持っていくつもりで、
死守せねば――とはいえ、
朝自分の仏壇があったんだけどさ――という、
謎の使命感と謎のツッコミがあたしを激しく酔わせた。
「…………」
 もはや、あたしの思考はピカソとムンクが、
合体した絵画のようになった。
 「あらあらぁ~どうされましたぁ~? 
お顔が優れないようですが、何かありましたか
ぁ~?」
「いや~……もう朝から色々ありましたよ……」
「あらあらぁ~。朝からですかぁ~?」
「はい……。聞いて驚かないでください」
 そこで、あたしはある決心がついた。
「実は……朝起きたら、自分の部屋に自分の仏壇と、
トイレに自分の骨壷があったんです……」
 すると、うさぴょん大家は大いに困惑し、
「困りましたわぁ~。ちーちゃんさんったら、
またそうやって口から出まかせをぉ~」
「出まかせなんかじゃないんですって! 
っていうか、いつもあたしは出まかせなんて言いませんって!」
「ちーちゃんさん」
「……な、なんですか?」
「だとするなら、それは……」
「それは?」
「それはいわゆるインチキってやつですよぉ~♪ 
うふふふふふふふふふ♪」
 あたしは愕然とし、
このコスプレのオバハンに聞いたあたしがバカだったと悟った。
「笑い事じゃなくて本当なんですって……」
「大丈夫ですよぉ~ちーちゃんさん♪ 
ちーちゃんさんは仏壇と骨壷でしたが、
わたくしはご覧のとおり、
ほ~ら♪ うさ耳ですからぁ~♪ 
ぴょんぴょんぴょん!うふふふふふ♪」
 大丈夫の意味が違うんじゃないかと思われる。
「……っていうか、大家さんはいつから、そのうさ耳なんですか?」
 あたしがそう質問すると、うさぴょん大家は、
「えっとですねぇ~……」
 と言って、右手の人差し指を自分のこめかみに当て、
自らの〈記憶の鞄〉から、
まだ小さくて薄い〈今日の記憶〉を、
そっと摘むように取り出し、
それを意識の目で見ながら、
「朝起きたときには、
なんとなく耳が痛いな~って思っていたんですぅ~。
ですがぁ~ほらぁ~わたくしって、
知ってのとおり寝起きが悪いじゃあないですかぁ~」
 そんな、どこぞのボロアパの大家の寝起き事情なぞ、
誰も知らない話ではないかと思われる。
 うさぴょん大家の話は続く。
「それでぇ~、寝ぼけながら洗面台の鏡で顔を見たらぁ~、
なんか……うさ耳だったわけなんですがぁ~、
まぁ朝なのでぇ~、
とりあえず気のせいってことにしておいたんですぅ~」
「は、はぁ……」
 鏡で見た自分のうさ耳を、
気のせいにする度胸が常人離れしているものと思われる。
「……で? これはうさ耳だと本格的に気づいたのは?」
「そうそうそこなんですよぉ~! 
それで朝ごはんで、いつものように、
納豆を右手の人差し指でグリグリと、
かき混ぜてる時に、
『あれ……? これ……ひょっとしてアレじゃね?
うさ耳じゃね?』って気づいたんですぅ~。
でぇ~、うさ耳といえば、
やっぱバニーガール姿、
っていうのがデフォじゃないですかぁ~。
なので気合を入れて、うふふふふふふ♪」
 うさぴょん大家の、
バニーガールのくだりのところはスルーして、
なるほど、朝ということは、
あたしの部屋の仏壇とトイレの骨壷と同じ現象だとわかった。
 だが、気になることがあった。
「でも、なんで大家さんが“うさ耳”で、
あたしは仏壇と骨壷なのかしら……」
「そうですよねぇ~。
わたくしも色々と便利なところと、
不便なところってありますしぃ~」
「え、やっぱ便利なところと不便なところってあるんですか?」
「ええぇ~それはもうぅ~♪ 
まず不便なところから言えば、
ヘッドホンが装着しづらくなったことですねぇ~。
なにせ、わたくしの愛用しているSONYのMDR-7506が、
上手く装着出来なくなってしまいましてぇ~。
ですのでぇ~、
そういう時は輪ゴムかなんかで、
上手くキツく止めるしかないですしぃ~」
 なるほど、たしかにそれは不便な話である。
「ですがぁ~ちょっと便利なところもあるんですよぉ~」
「便利なところ……ですか?」
「はいぃ~。遠くの音をですねぇ~、
それはもうぅ50キロ圏内でしたら音を、
全て聞きわけることが出来るようになったんですぅ~♪」
「えっ……それってどんな微かな音でもですか?」
「はいぃ~そうなんですよぉ~。
48キロ先にいるバクテリアが動く音とかも、
ちゃんと聞き取れますしぃ~♪」
 それは便利なのか不便なのか、
線引きが曖昧な能力ではないかと思われた。
 ……っていうか、それだったら、
仮に49キロ先で愛を誓った男と女()が、
場末のラブホでガッタンガッタンバッコンバッコンと、
チョメチョメしてる音声も、
このうさぴょん大家なら気軽に、
そして手軽に堪能出来るということなのか!?
 それこそ右手かなんかを、
不気味に怪しく忙しく動かしちゃったりしながら。
 だとするならば――。
 なんとまぁ、けしからん能力だ。
 そもそも、うさぎって、
そこまで聴覚良かっただろうか?
「まぁでも、大家さんは“うさ耳”ですけど、
あたしは自分の仏壇と骨っていうのが凄く縁起悪くて、
これからもあるのかと思うとうんざりして、
おかげで朝から凄く厭な気分ですよ!」
「まぁまぁそうでしたかぁ~。
ですが、ちーちゃんさん? 
ちーちゃんさんの仏壇と骨については、
おそらくちーちゃんさんの中で( A )があるから、
じゃないでしょうかぁ~」
「……え? あたしの中に( A )があるから?」
 と、あたしは聞き返してしまった。
「はいぃ~♪ ですので、ちーちゃんさんが、もっと( B )していけば、完全ではなくても( A )は、
徐々に払拭されていくと思いますよぉ~♪ 
うふふふふふ♪」
 でも、それだからって、
仏壇と骨壷が消えるだろうか。
 なんでよりにもよって、
“今日この日”なのだろうか。
 あたしがそう考えていると、
「ところで、ちーちゃんさん?」
「あ、はい」
「学校♪ 遅刻しちゃいますよぉ~?
 うふふふふふふ♪」
 そこであたしは、
弾けるシャボン玉の如く我に返り、
「あ! そうだった! 遅刻しちゃう! 
急がなきゃ! 大家さん行ってきます!」
 あたしは急ぎ走って、
夢和夢幻荘の敷地から出ようとすると、
「あっ……ちーちゃんさーん!」
 と、大家さんが呼び止めたので、
あたしはまた立ち止まり、振り返ると。
「うふふふふふふふふ♪ 
単に呼んでみただけですぅ~うふふふふふ♪」
「……。行ってきます……」
「はいぃ~♪ 行ってらっしゃいませぇ~♪」
 振り返らずとも聞こえた、
うさぴょん大家の『行ってらっしゃいませぇ~♫』
という声は、
あたしの体を暖かなベールのように包み込んだ、
かと思うと、すぐにそれは輪郭を失い、
霧のように消え去っていった。
 あたしは今度こそ、立ち止まることなく、
夢和夢幻荘の敷地を出て、
とても閑静な住宅街をとにかく走りながら、
今のあたしにとっての〈目的地〉である高校――、
幻立夢真宵女子連合学園へと向かうのだった。

お笑いな額縁1

note短編小説
“ちーちゃんの青春混沌日和 朝っぱらの不条理・出発編”closed.

※表紙画像は、
シュルレアリスム画家ルネマグリットをモチーフにした、
コラージュアート


#私の不思議体験

皆様からの暖かな支援で、創作環境を今より充実させ、 より良い作品を皆様のもとに提供することを誓いま鶴 ( *・ ω・)*_ _))