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『止まない雨はない』に苦しくなる人達が癒やされる為に

『止まない雨はない』と言う慰めの言葉。
この言葉を発した側は、悩める友人を追い込もうとは微塵にも思っていない。
「不安に思わなくても大丈夫」
「だから今はゆっくり休んで」
純粋に、相手が克服し乗り越える力があることを信じている。
若しくは、経験からかただ漠然とかは分からないが、人生とはそういう風に出来ているのだと思っている。しかし、受け止めた側は、「いつ止むかなんてどうでもいい!今がつらいのに!止むまで待てるわけがないじゃない!」と、時に憤り、時に嘆き悲しみ、自らつらさの極限まで追い込む。
自分が克服出来なかったら良いと、潜在意識下で願っているからだ。
「可哀想な自分像」を演じることは、脳の思考回路を新しく作り替えることも、今までと違った行動にチャレンジすることも、過去の自分を否定したような気持ちにもならなくて良い。
可哀想な自分でないと、手の掛かる自分でいないと、見向きされず愛されないと信じているのだ。

私達は誰しも、絶望や悲しみがいつか終わることを、経験や感覚で知っている。
当然、苦しみを抱える彼等も頭の片隅では分かっているはずだ。
ただ受け入れられない。
本来、そこから抜け出す能力がある自分を信じられない。
だけど、楽になりたい。
誰か助けて欲しい!

そうして葛藤を全身に纏い藻掻き苦しむ夜、「雨が止むまで耐える」のではなく、「いつか止む雨だからこそ、つらさや哀しみをありのまま受け止め」てみては如何かと思う。
つらさや哀しみを、「抱えてはいけない非日常」「弱さの象徴」「弱さは悪いこと」だと思い、抗い取り払おうとするから余計苦しくなるのではないか。
では、どうしたら良いのか?

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